大河ドラマ『どうする家康』解説⑥:家康はいつ秀吉に臣従したか

呉座 勇一

先日の『どうする家康』第35回の放送で、徳川家康が豊臣秀吉に臣従した。

さて『どうする家康』でも描かれていたように、一般に家康はなかなか秀吉に臣従しなかったと考えられている。秀吉が妹の旭姫を家康の正室という名目で人質に送り、さらに母の大政所を旭姫の様子伺いという名目で人質に送り込んだため、家康はようやく重い腰を上げて、大坂城に赴き、秀吉に臣下の礼をとった、というものである。

しかしながら、誇り高い家康が容易に膝を屈しなかったというイメージは、神君家康を顕彰する江戸時代の史料によって作り出された側面が大きい。

第35回「欲望の怪物」より
NHK「家康ギャラリー」

天正13年(1589)11月13日、徳川家で秀吉との交渉を担当していた取次(外交窓口)の石川数正が出奔し、秀吉の麾下に入った(『当代記』など)。数正は秀吉との融和を主張し、決戦派が多数を占める徳川家中で孤立したため、秀吉のもとに亡命したのである。

対秀吉の取次である石川数正の失脚は、徳川家が秀吉との決戦という意思統一を行ったことを意味する。そこで秀吉は翌年正月に家康を討伐することを決定し、諸将に出陣の準備を命じた(「一柳家文書」)。

ところが11月29日夜半、畿内を中心に大地震が起きた。いわゆる「天正地震」である。秀吉の領国は大きな被害を受け、戦争を起こすことは困難になった。秀吉は家康との決戦回避を模索し始める。

ここで、織田信雄が一肌脱ぐ。信雄はもともと秀吉の主君であったが、この時期には既に秀吉に臣従していた。徳川家康は織田家に従属していたので、信雄は家康にとっても主筋にあたる。

天正14年正月下旬、信雄は自ら三河岡崎城まで出向いて家康と会談し、秀吉と家康の和睦を斡旋したのである(『当代記』『顕如上人貝塚御座所日記』など)。信雄の岡崎訪問は秀吉の依頼を受けたものと見られる。信雄自身が説得に赴いたら家康も断りにくい、と秀吉は思ったのだろう。かくして秀吉と家康の戦争は回避されることになった。

ただ、和睦と言っても、秀吉は関白に就任した「天下人」であるから、対等な立場での停戦や同盟ということはあり得ない。この時点で家康は秀吉への臣従を承諾したものと考えられる。

2月8日一柳直末宛て豊臣秀吉朱印状(「一柳家文書」)によれば、家康が「何事も関白の意向に従う」と申してきたため、秀吉は家康討伐を中止し、赦免することにしたという。また2月晦日、秀吉は真田昌幸に対して、家康を赦免することを伝えた上で、家康との停戦を命じている(「真田家文書」)。家康の臣従の意向を確認した上で、秀吉は家康との対立関係を解消したのである。

このように、家康が秀吉への臣従に同意したことを前提に、秀吉妹の旭姫が家康に輿入れすることになった。この縁談は4月初旬から具体的な計画が進められ、トラブル発生による延期もありつつ、5月14日に旭姫が家康の居城である浜松城に到着し、無事に実現したのである(『家忠日記』)。

ただし、家康の臣従は、家康が秀吉のもとに出仕することで確定される。かつての研究では、家康が旭姫との結婚後もなかなか上洛しなかったことから、家康が秀吉への臣従に依然として抵抗していたと見られてきたが、家康が上洛しなかったのは、真田問題が解決していなかったからである。

上洛前から家康は、徳川家から離反した真田昌幸を徳川の与力につけてほしいと秀吉に要請している。この要請は、家康が秀吉を徳川・真田の上位に立つ調停者=「天下人」として見ていたことを示すもので、既に家康の臣従は既定路線であった。

8月9日水野忠重宛て豊臣秀吉朱印状(「徳川美術館所蔵文書」)によれば、秀吉は、家康が既に真田討伐のために出兵しているのであれば、家康自身が出陣して真田昌幸の首を刎ねるべきであり、上洛が遅れることはやむを得ない、と考えていた。秀吉は家康の早急な上洛を必ずしも求めていなかった。既に臣従は実質的には成立しており、大坂城への出仕は家康の臣従を諸大名に見せつけるための形式的なものにすぎず、ことさら急ぐ必要はなかったのである。

もっとも、家康が真田を徳川に帰属させるため、交渉カード(取引材料)として上洛を引き延ばしていた可能性はある。しかし、それは秀吉からより多くの果実を引き出すための条件交渉にすぎず、臣従を前提にしたものだった。

結局、家康は10月末に上洛するが、この時期になったのは、正親町天皇から後陽成天皇への譲位式(11月7日)に参加するためと考えられる。家康上洛中の安全の保障として、大政所が人質として三河に下向したことは周知の通りである。

江戸時代に作られた「家康神話」をいかに相対化していくか。これが徳川家康研究の最も重要な点である。

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