13日に投開票が行われた台湾総統選では有権者約1400万人が投票(71.86%)し、正副総統に民進党の頼清徳・蕭美琴ペアを選んだ(就任は5月20日)。同時に行われた立法委員選の113議席は、国民党(青)52、民進党(緑)51、民衆党(白)8、無所属2で決まり、総統府と議会に捻じれが生じた。
この結果を受けて、立法委員選の得票1票につき50元が今後4年間割り当てられる政党助成金は、緑に2.5億元(11.6億円)、青に2.4億元(11.1億円)、白に1.5億元(7.1億円)となった。
筆者は、白に多くの票が流れることが予想された頼・蕭ペアが僅差ながらも勝った要因は、直前に青の足を引っ張った馬英九と、これも直前に放映された緑のCM「在路上」そして米国通の蕭美琴にあったと思う。人間は直近のことに影響され易い。馬英九は青と白の野合に介入してぶち壊し、投票直前にも習近平を「信頼できる人物」とする鳩山並の戯言を吐き顰蹙を買った。
緑のCM「在路上」は助手席の頼と運転する蔡英文が車内で8年間を労い合った後、頼が運転席に移って助手席に蕭を乗せ、降りた蔡が窓から二人に後を託すという、スタジオ撮影とは思えない爽やかな画像が評判を呼び、蕭美琴の太い米国とのパイプと相俟って、北京からの黒金(汚職)と疑米(米国は台湾を助けない)の風評を和らげる効果があった。
立法委員選では青が1議席上回り捻じれた。緑の敗因は前述の風評と侯が市長の新北市や隣の桃園市など北部で青が浸透したことにある。一方、女の闘いとなった高雄6区では若く爽やかな緑が勝ち、高雄8議席と頼・蕭に縁の深い台南8議席を緑が総取りして、南の牙城を守った。
台湾を民主化した総統直接選挙は、88年の蒋経国総統死去後に副総統から昇任した李登輝総統によって96年に実施された。00年に緑陳水扁が初めて政権を奪取して以降、08年からの青馬英九、16年からの緑蔡英文と、全て2期8年で政権党が交代したが、今般初めて緑が3期目も担う。国営「台湾国際放送(RTI)」はこれを「『8年の呪い』」を破る」との見出しで報じた。
頼清徳の勝利の弁に次に一節がある。(太字は筆者)
高ぶらずへつらわずに、現状を維持し、対等と尊厳が保たれる前提の下、拒絶の代わりに交流を、対抗の代わりに対話をという原則に沿って、中国と交流と協力を行い、台湾海峡両岸の人民の福祉増進のために、平和的な共存共栄の目標を達成するためにも努力する。中国の「文攻武嚇※」から台湾を守る決意もある。(※言論による攻撃と武力による威嚇)
86年の結党時に制定し、91年に改訂された緑の綱領は「台湾共和国の建設」を掲げる。他の主な政策は男女同性婚を始め、反原発、環境保護、人権擁護など、政党名が示す通り全くのリベラルだ。が、筆者は「台湾独立綱領」のみを以って緑を支持する。過半数の台湾人が「現状維持」を望んでいる状況だが、独立運動もしたDr.頼と史明の「台湾人四百年史」を読み政治を志した蕭に期待したいことがある。
その前に立法委員の捻じれに再び触れれば、緑のこれらリベラル政策が保守の青に阻まれても、西側の保守派は痛痒を感じない。が、緑の外交安保政策に青が反対し、白の8議席の協力も得られない場合、台湾の対中防衛に赤信号が点る。これの回避には、キャスティングボートを握る白を支持する若者層が、米国との協調の重要性を認識することが必要だ。
即ち、台湾がいくら「現状維持」を叫ぼうとも、今や台湾統一を「個人」の目的化し、その達成に武力行使も排除しないと公言する習近平は、常に「現状」を破る隙を狙っていると知ることだ。李登輝が改訂した「認識台湾」で歴史教育を受け、「自分は台湾人」とする者が3分の2もいるのに、「現状維持」が過半数を超えるという矛盾の原因は、偏に習による「文攻武嚇」である。
「8年の呪い」を解いた以上、頼氏には72歳までの2期8年間、蕭氏にも68歳まで2期8年間、是が非でも政権を維持して欲しい。そしてその間のどこか早いうちに99年の「台湾前途に関する決議」(台湾は既に主権が独立した国家であるとの現状認識に立ち、現状を変更する場合は必ず住民投票によって決定しなければならない)を実現してもらいたい。
先の大戦末期に連合国が日本に示した降伏条件「ポツダム宣言」の第12条は以下の様にいう。
前記の諸目的が達成されて、かつ日本国国民の自由に表明された意思に従って、平和的傾向を持ち責任ある政府が樹立されたならば、連合国の占領軍は直ちに日本国から撤収されるであろう。
もし今、習近平と国際社会が、台湾国民2350余万人に自由な意思の表明を保証するなら、中国人アイデンティティを持つ数%を除く23百万近くの台湾人は、「現状維持」ではなく「台湾独立」を躊躇なく唱えるだろう。
新国家の成立
そこで「台湾独立」のことなる。新国家の成立には、複数の既存国家の合併による場合や国家の一部が分離する場合などがあり、特に第二次大戦後は植民地の独立という形で多くの国家承認が行われたことは周知の通りで、これには大東亜戦争が深く関わった。その国家承認の学説には、「創設的効果説」と「宣言的効果説」の2つがある。
前者は、国家が事実上成立するだけでは国際法上の存在になれず、既存国家の承認によって初めて国際法上の法人格が得られるとする。後者は、新国家が国家としての資格要件を備えることで国家としての法人格を有し、承認は、承認前に有していた国際法上の地位を確認し宣言するに過ぎないとする(「現代国際法講義」平成19年第4版、有斐閣)。
「国家としての資格要件」として「モンテビデオ条約」(34年12月発効)は、a)永続的住民、b)一定の領土、c)政府、d)他国との関係を取り結ぶ能力、の4項目を挙げている。一読、台湾が全ての要件を満たしていると知れる。それもそのはず、台湾(中華民国。以下、国府)は、71年に開かれた第26回国連総会中の10月25日に脱退するまで、国連安保理事会の常任理事国だった。
この総会では、北京政府の代表権回復と国府の追放が焦点となり、7月半ばにこれを趣旨とする「アルバニア決議案」(共同提案23ヵ国)が提出された。これに米国は9月、北京政府の国連参加を認め、安保理常任理事国にすると同時に国府の議席も認める「二重代表制決議案」(共同提案は日本など19ヵ国)と国府追放を憲章18条に従い重要問題とし、3分の2の多数によって決めるべきとする「追放反対重要問題決議案」(共同提案は日本など22ヵ国)を提出した。
10月18日からの本格審議を経て25日に表決が行なわれ、「追放反対重要問題決議案」は先議権を得たものの、賛成55、反対59、棄権15、欠席2で否決された。続いて「アルバニア決議案」が賛成76、反対35、棄権17、欠席3で採択され、「二重代表制決議案」は表決に付されなかった。国府代表団はアルバニア決議案表決に先立ち議場から退場、国連を脱退した(以上「外務省サイト」)。
筆者は、国府が国連脱退に至ったのは、大陸反攻に固執する蒋介石が「二重代表制」を受け入れて国連に残るのを潔しとしなかったからだと思う。例えば、58年8月に人民解放軍の金門砲撃で始まった第二次台湾海峡危機では、大陸全土の同胞が共産党政権に反旗を翻すことを大陸反攻の条件と考えていた蒋は、金門・馬祖を反攻の基地とする米国の勧めを否定した。
その2ヵ月後に訪台したダレスは蒋に対し、休戦協定や大陸反攻の放棄、国軍の台湾防衛に適した規模への削減などを含む提案を行った。が、蒋はこの提案が国府の基盤を崩壊させる性質のものであり、休戦協定の締結は「2つの中国」の構想を受け入れることを意味するとして、拒否した。
この姿勢は、67年に文化大革命の混乱に乗じて、蒋が大陸の民衆救済を目的に大陸反攻を行いたい旨を米国に伝え、その承認と米軍による兵站支援を要望してジョンソン大統領に即座に断られても続いた。蒋は息子経国に中国統一を託し、75年4月に他界したが、経国が大陸反攻を修正するのは、総統に就任した78年1月だった(以上、五十嵐隆幸著「大陸反攻と台湾」名古屋大学出版会)。
李登輝は総統2期目を終える間際の99年7月、独放送局のインタビューで両岸関係を「特殊な国と国の関係」と表現し、いわゆる「二国論」を展開した。蔡英文の考えも、台湾は既に独立しているので独立宣言は不要とする「天然独」だ。これらは蒋が否定し続けた「2つの中国」論であり、「蒋があの時、ダレス提案を受け入れていたら」とは、余りに大きな「歴史のif」である。
米国は腰を据えよ
バイデンは13日、総統選結果を受けて「台湾の独立を支持しない」と述べた。これは95年7月の北京による台湾への初のミサイル打ち込み実験後、クリントンが江沢民に秘密書簡を送って表明した台湾に対する「3つのノー」、即ち、「2つの中国、台湾独立、台湾の国連加盟を支持しない」の一つだ。
が、クリントンを後継したブッシュ(子)政権は「3つのノー」政策を支持せず、アーミテージ副国務長官は「台湾独立を支持しない」と何度も発言した。なぜ「台湾独立に反対する」といわないのか問われ、彼はこう答えている。
言葉遣いは大切だ。「支持しない」と「反対する」とでは意味が違う。両岸の人々が合意できる解決策に至れば、米国は関与しないだろう。だから我々は「支持しない」という言葉を用いるのだ。何れにせよこれは当事者である両岸の人々によって解決されるべき問題である。
が、ブッシュ自身が陳水扁政権時代に「台湾独立に反対する」と江沢民や胡錦濤に対して何度も発言した。ホワイトハウスは否定に躍起になったが、北京はすっかり「我々は米国を動かした」と思ったようだ(以上、ジョン・J・タシクJr.著「本当に『中国は一つ』なのか」草思社)。
だとすれば、バイデン発言には北京に対しブッシュ発言を否定する効果くらいはあるかも知れぬ。が、01年3月の会見でバウチャー報道官は「3つのノー」の終焉を明言しているから(前掲書)、この問題に関して腰が据わらない米国の揺らぎは、台湾にしてみれば看過できることではない。
折しも15日、台湾とナウルが国交を断絶した。80年にナウルは台湾と国交を樹立したが、02年に中国に乗り換えたため関係を解消した。が、中国が約束した援助計画をほとんど提供しなかったため05年に再度関係を回復していた。これにより台湾と外交関係を有する国連加盟国は12となった。
この件が物語るのは、国交の断絶も回復も他国の干渉がなければ造作ないということ。ならば将来、頼か蕭が「台湾前途に関する決議」を実現して住民投票を行い、台湾が宣言した独立を日本が承認しても、それは日台間のことであって中国が干渉すべき話ではない。よってアーミテージ発言は筋が通らない。台湾独立の承認は台中間ではなく、台湾と全ての既存国家とが個別に決めるべきことだ。