令和という幼年期の終り:「母胎回帰」だったコロナ・ウクライナ劇場

浜崎洋介さんとの文藝春秋PLUSは、おかげで多くの方がご視聴くださったようだ。とはいえ、ウクライナを応援することを「ウクライナに耳あたりのよいことを言うこと」と取り違えてきた人には、なかなか受け入れがたい内容らしい。

こうした反応が典型で、そもそも ”you are not winning” と言い出したのは私ではなく、トランプの発言の引用だ。さらに、理詰めでゼレンスキーを叱責したヴァンスと比べて、身もふたもない現実ばかり振りかざすトランプの子供っぽさを強調したから、浜崎氏が笑ったのである(7:50頃~)。

「プーチンの一方的な言い分」を垂れ流しているのも、もちろん私や浜崎氏ではない。ロシア側の言い分は無視するというコンセンサスを、今回トランプとヴァンスが崩壊させたことを、事実として指摘しただけだ。それが不当だと思うなら、罵るべき相手は米国であって、われわれではない。

ウクライナは主権国家でなくなるのか(文春plusでウェビナー配信中です)|Yonaha Jun
3/11にサウジアラビアでの協議で、米国とウクライナが「暫定停戦案」に合意した。もっともロシアが乗らなければ意味がないので、今後の帰趨はトランプとプーチンのディールに委ねられよう。 先月末にホワイトハウスで「停戦を拒否している!」と痛罵されたゼレンスキー大統領には、欧州諸国から同情が寄せられた。しかし実際のところ、戦...

しかしこうした反応は、大事なことを教えてくれる。発言者氏の主張が示すのは、自分にとって不快な「ロシアの言い分は目に触れさせるな」、それが正しい報道であり、論壇であり、国際政治学のリアリズムだと錯覚しているという事態だ。そうした人は、有名無名を問わず、かなり多い。

自分と同じ意見しか目にしたくないと思い、異論の持ち主をブロックし続けた結果、本気で「世界にはひとつの立場しかない」と思い込む環境に陥る現象をエコーチェンバー(こだまの響く部屋)という。ふだんならそれを肯定する人はおらず、克服すべきネットの弊害だと見なされる。

【書評】『みんな政治でバカになる』綿野恵太著 同じ意見同士が集う病理 
 少し前からネットでよく目にする、エコーチェンバーという用語がある。直訳では残響室だが「自分と同じ声ばかりが、こだまで増幅される部屋」と訳した方が意味をつかみ…

ところがそれは「平時」の話で、令和に入ってはっきりしたのは、「戦時」となると日本人はむしろ、その人にとっての正しい主張しか目に入らない「よいエコーチェンバー」を熱望するという事実だった。コロナで言えば、

マスクが無意味なんて話は、聞きたくないッ! 自粛がムダなはずなんてない! 外食する自由なんてどうでもいい、時代遅れなオールドノーマルは要らない! ワクチンという究極兵器がコロナ禍を終わらせるんだ、副作用なんてあるわけないッ!

うおおお専門家の西浦博先生を支持、尾身茂先生を応援ッ! 先生方を批判するやつらをメディアに出すな、うおおお、うおおお、うおおおお!!

みたいな話だ。で、これを「支援がムダなはずなんて…」「異論を唱える自由なんて…」「平和主義はオールドノーマル…」「F16戦闘機の大量供与が…」云々に置き換え、センモンカの箇所も適切な人名に替えれば、そのままウクライナ戦争に当てはまるわけである。

大東亜戦争とコロナワクチン: 歴史学者たちの「責任」|Yonaha Jun
今週発売の『文藝春秋』5月号も、表紙に刷られる目玉記事3選の1つが「コロナワクチン後遺症 疑問に答える」。この問題は当面、収まりそうにないし、またうやむやにしてはならない。 及ばずながら前回のnote では、日本で接種が始まった2021年以降、僕がコロナワクチンについてどう発言してきたかの一覧を掲載した。こうした試み...

私たちの社会がそうした状態にあることは、いつ比喩ではない戦時が訪れるかもしれない現在、非常に危険だ。国民が丸ごとエコーチェンバーに溺れるリスクを、日本という国は常に、潜在的に抱えていると見た方がよい。

3/20発売の『Wedge』4月号の特集は、「民主主義がSNSに呑まれる日」。私の寄稿から、上記の問題をえぐる箇所を引こう(東海道新幹線のグリーン車で無料配布中のほか、むろん書店で買えます)。

2025年4月号 民主主義が SNSに呑まれる日 Wedge(ウェッジ)
「超選挙イヤー」の2024年。日本でも東京都知事選や衆院選、兵庫県知事選があった。一連の選挙で〝主役〟のように存在感を高めたのが、「SNS」だ。刺激的な情報や分かりやすい「言葉」に翻弄された有権者も少なくなかっただろう。日本の民主主義は今、押し寄せるSNSの荒波に呑み込まれようとしている。だが、問題をそのことだけに矮小...

人間には、自分を脅かす他者の存在を不安に感じ、「同じ者どうし」だけで軋轢なく過ごしたいと願う欲求もある。

心理学や精神分析では、そうした欲望を「母性原理」に喩える。かつて母親と一体だった胎児のように、自他を区別せず、ひとつに溶けあった状態こそが気持ちいいとする発想のことだ。……

「母なる文化の国日本の兵士は強かった。しかし、それは母性原理に基づく男性の強さであり、彼らは死に急ぐことにその強さを発揮したのである」。

一蓮托生で異論は許されず、仲間とともに正しい側にいるという昂揚感さえあれば、結果が総員玉砕でもかまわない。こうした発想は確かに〝強い〟が、危機管理には向かない

しかし当人の主観としては、まさに危機にあり不安だからこそ、そんな紐帯を求めてしまう。

34頁
強調を附し、段落を改変

真ん中の「 」は、心理学者の河合隼雄が1976年に出した『母性社会日本の病理』から引いている。河合は手塚治虫らと同じ28年の生まれで、敗戦の年に17歳。もとは高度成長後に社会問題となった、不登校児の家庭を論じるための議論が、令和のいまではネット社会の全体に当てはまる。

『母性社会日本の病理』(河合 隼雄):講談社+α文庫 製品詳細 講談社BOOK倶楽部
必ずプラス・アルファがある河合隼雄の本! 「大人の精神」に成熟できない日本人の精神病理がくっきり映しだされる!! 心理療法をしていて、最近心理的な少年、心理的な老人がふえてきた、と著者はいう。本書は、対人恐怖症や登校拒否症がなぜ急増しているのか、中年クライシスに直面したときどうすればいいのか等、日本人に起こりがちな心の...

今回の『Wedge』への寄稿では、よく聞く経済安全保障の概念に倣って「言論安全保障」の必要性を提起した。母性社会と呼ばれる日本では、危機の時ほど容易に言論が一色に染まり、それが正しいという保証はない

だからこそ、社会の画一化に違和感を覚える人・異論を唱える人・対立する主張の持ち主にも発言する権利を認め、公平な議論ができる人を、自覚的に育てていかねばならない。あるべき模範と見なさねばならない。

逆に令和のSNSに繁殖した、相手をブロックしたことを誇り、気に入らなければフォロワーを煽って叩かせ、自分の意見だけが広まるべきだと公言し、文章で反論もせず「開示請求! 法的措置!」と連呼する人は今後、雑草を抜くように扱われねばならない。有事に備えて安全保障の敵を無力化しておく、政治的なリアリズムってやつである。

SNSでバトルする「専門家」を、なぜ信用してはいけないのか|Yonaha Jun
ご報告が遅れましたが、6月26~28日に3回に分けて、経営学者の舟津昌平さんとの対談が「東洋経済オンライン」に掲載になりました!(リンク先は1回目) こちらのnoteをご覧になった、舟津さんと編集者さんが企画して下さったもので、ありがたい限りです。 例によってPRの記事をと思ったのですが、困ったことにいま、国境で...

1年前、すでに戦場でのウクライナの劣勢は明らかだったにもかかわらず、「でも日本のTwitterではウクライナ応援団が勝ったもんね☆」なる企画をぶち上げた雑誌があった。現実の戦況からは目を背け、論壇を挙げて「母胎に回帰し引きこもりましょう」と謳うに等しい、幼年期の発想である。

海外の報道(たとえばBBC)によれば、2024年にロシアが獲得した=ウクライナが失った国土は、前年比の6倍以上にあたるという。1年前に停戦に舵を切っていれば、守れたはずの領土であり、人命だ。そうした「現実の死者に目を向けずヘラヘラしてる」ことこそ、許されない。

論壇誌は「Twitter学者」が言い訳をする場所なのか?|Yonaha Jun
今月発売の『中央公論』4月号に、国際政治やウクライナ戦争の「専門家」として知られる3名の鼎談が載っている。実は前回の記事「『専門家の時代』の終焉」を公開すると決めたのは、それを知ったのが契機だった。 3名とは、慶応義塾大教授の細谷雄一氏・筑波大教授の東野篤子氏・東京大准教授の小泉悠氏。私は小泉氏とは対談でお会いしたこ...

5月に文藝春秋から刊行するのは歴史の本だから、もちろんコロナやウクライナを、直接に扱っているわけじゃない。しかし、こうした母性社会日本にとってかつての戦争や、戦後とはなんだったのかを、それを「母性」と形容することの妥当性も含めて、問い直す1冊になっている。

失われた「昭和」の教訓」と銘打った『Wedge』4月号への寄稿でも、いま同書を刊行する意義に触れた。令和のこの国が幼年期を脱し、今度こそ成熟するために、手に取って楽しみにしてくれる人がいれば嬉しい。

二人の巨人と辿る戦後80年間の魂の遍歴 『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』與那覇潤 | 単行本 - 文藝春秋
二人の巨人と辿る戦後80年間の魂の遍歴 小林秀雄賞受賞の著者が放つ渾身の文芸批評。『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』『平成史』に続く近現代史三部作完結編。『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』與那覇潤

参考記事:

なぜいま『江藤淳と加藤典洋』なのか|Yonaha Jun
今年の5月に、『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』という本を出す。副題のとおり戦後80年にあたっての、ぼくの研究成果だ。 江藤と加藤と聞いても、どっちも知らないよ、という人も多いだろう。別に、それでいい。ふたりとも日本の文学と歴史を大事にして、在野と大学の双方を体験した、批評家だった。この説明以上の知識は、特にい...
なぜいま『江藤淳と加藤典洋』なのか|Yonaha Jun
今年の5月に、『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』という本を出す。副題のとおり戦後80年にあたっての、ぼくの研究成果だ。 江藤と加藤と聞いても、どっちも知らないよ、という人も多いだろう。別に、それでいい。ふたりとも日本の文学と歴史を大事にして、在野と大学の双方を体験した、批評家だった。この説明以上の知識は、特にい...
「専門家の時代」の終焉|Yonaha Jun
いま連載を持っているので、送っていただいている『文藝春秋』の4月号が届いた。すでに各所で話題だが、「コロナワクチン後遺症の真実」として、福島雅典氏(京大名誉教授)の論考が載っているのが目につく。タイトルが表紙にも刷られているので、今号の「目玉」という扱いだ。 お世話になっているから持ち上げるわけではないが、『文藝春秋...

(ヘッダーは、有名なSF小説の古いカバーより)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年3月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。