ドイツ連邦議会(下院)で6日、「キリスト教民主同盟」(CDU)のフリードリヒ・メルツ党首(69)を首相に選出する投票が行われたが、メルツ氏は選出に必要な過半数の支持を得られない、といった事態が生じた。その後、同日午後から再開された第2回目の投票で過半数316票を上回る325票を得て新首相に選出された。以下、「歴史的」と評される連邦議会で展開した「首相選出ドラマ」を振り返ってみた。

第1回投票で選出されなかったメルツ氏、2025年05月06日、連邦議会公式サイトから
議会での首相選出は通常、過半数を有する連立政党が推薦した政治家がほぼ自動的に首相に選出される。そこには突発的なドラマはない。ところが、6日の首相選出では「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)と連立パートナーの社会民主党(SPD)が擁立したメルツCDU党首が選出に必要な過半数の票を取れずに落選したのだ。
選出されるためには過半数の316票が必要だ。CDU/CSUの208票とSPDの120票を合わせて328票となるから、両党の全議員がメルツ氏を支持したならメルツ氏の当選は間違いない。だから議員たちは第1回の投票でメルツ氏が首相に選出される、と当然予想していた。しかし、票の集計後、メルツ氏支持票は310票に留まり、過半数まで6票が足りなかったことが判明したのだ。連邦議会内の議員ばかりか、投票を放映していたメディア関係者も驚いた。ドイツ民間放送ニュース専門局NTVは「首相候補者が落選したことはこれまでなかった。歴史的なことだ」と速報を流した。
カメラはメルツ氏の表情を捉えようとした、メルツ氏は自身への支持票が過半数割れしたことを知った時、目線を少し落とした後、席を立ち同僚のCDU議員と話してから議会を出て行った。
第1回投票の結果を受け、CDU/CSUとSPDの院内総務は緊急に会合して、投票結果を分析する一方、同日に2回目の投票を実施するために野党との協議を行った。なぜなら、連邦議会の法令では1回目の投票から2回目の投票を同日に実施するためには議会の3分の2の賛成が必要だったからだ。幸い、CDU/CSUとSPDの申し出を野党の「緑の党」と左翼党が支持したことを受け、同日午後に2回目の投票が可能となった。
ちなみに、連邦議会での首相選出投票で当選に必要な過半数を得ることがなかったことは初めてだ。同国では戦後、アデナウアー氏が1949年9月、1票の差でかろうじて選出された。コール氏も同様、1994年に1票差で選出されたことがある。首相候補者が投票で落選したことはこれまでなかった。メルツ氏が少なからずショックを受けたことは間違いないだろう。
参考まで第1回投票の結果をもう少し振り返る。賛成310票、反対307票、棄権3票、無効票1票だった。CDU/CSUの208票とSPDの120票を合わせると328票となり、過半数を大きく上回るはずだが、結果は310票だったということは18票、18人の議員がメルツ氏の首相選出に反対したことになる。
メディアはメルツ氏を支持しなかった与党議員探しを始めた。反対票を投じた与党議員はCDU/CSU議員より、SPD議員のほうが多かったはずだ。連立交渉でも両党には政策、特に、移民問題や経済政策では相違があったからだ。特に、SPDの中にはメルツ氏の強硬な難民政策に強く反対する声があった。また、閣僚入りできなかった議員や党内の主要ポストを得ることができなかった議員が連立政権の発足を阻止しようとしたのかもしれない。
NTVのニュース解説者は「連立政権内でメルツ氏の政策に強く反発する議員がいることが明らかになった。メルツ氏は今後、様々な政策を実施する際にも1回目の投票結果を忘れてはならない」という。第1回目投票の18票の反対票はメルツ氏の政権運営で今後も悩ますことになるというわけだ。
ところで、ドイツの首相に選出されたメルツ氏のキャリアをみると、同氏はこれまで何度も「敗北」を経験している。メルツ氏はメルケル元首相とのCDU党内の権力争いに敗北、政界から一時期引退し、実業界入りした。そして2002年、政界に復帰してCDU党首選に出馬したが2度落選し、3度目でようやくCDU党首となった。そして今度は連邦議会での首相選出投票で1回目の落選という敗北を喫した。表現は適当ではないかもしれないが、「メルツ氏は敗北に慣れてきた政治家」ということになる。
メルツ党首とSPDのクリングバイル党首(副首相兼財務相)は5日、連立協定(144ページ)を署名した後、メルツ氏は「ドイツ経済の回復と投資の促進」の2点を大きな課題に挙げていた。一方、クリングバイル氏は「ドイツの復興のためにチームプレーを大切にしたい」と述べていた。皮肉にも、6日の1回目の投票結果は、与党間の連携が重要であることを改めて明らかにしたわけだ。
連立協定のタイトルは「ドイツに対する責任」と記されている。「欧州の盟主」ドイツの国民経済はリセッションだ。ワシントンからトランプ米大統領の関税攻勢が進展中だ。一方、ウクライナ支援問題でもドイツの積極的な貢献が求められている。ドイツが本来の指導力を発揮することを願う国も多い。メルツ新政権の前には多くの課題が山積している。
欧州のメディアの中には、「メルツ氏は閣僚経験もない政治家で、その政治手腕は不明だ」といった論評が聞かれる。それに対して、CDU議員の中には、「メルツ氏は政治の世界ばかりか、経済に精通した実業家出身だ。経済が分かる政治家は国家にとって有益だ」と指摘する。
いずれにしても、政治の世界で何度も「敗北」を経験したメルツ氏はその痛みを誰よりも知っているはずだ。激動時代に直面している現在、それは国家運営で強みとなることもあり得るだろう。
メルツ氏は6日、ドイツ公営放送とのインタビューで、「(首相に選出されて新政権がようやく発足したことで)安堵したが、同時に、少々疲れた」と吐露している。

メルツ首相インスタグラムより
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年5月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。