『高田保馬リカバリー』の「縁、運、根」

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(前回:『都市の少子社会』の「縁、運、根」

『都市の少子社会』と『高田保馬リカバリー』

前回取り上げた『都市の少子社会』初版刊行日は2003年9月1日であった。これは取りかかってから約1年で脱稿したものであるが、2003年12月27日が高田保馬生誕120周年であることを承知していたので、その数年前から高田関連の論文集をひそかに計画していた。

なぜなら、生誕100年の83年では久留米大学に勤務して6年目だったし、生誕110年の93年には、この第4回連載でも紹介した学位論文『都市高齢社会と地域福祉』(ミネルヴァ書房)と共著の『マクロ社会学』(新曜社)を、同時に準備しており、それ以外の余力が無かったからである。それで120周年に照準を置きながら、出版構想を2年前から練っていた。

その意味では、『都市の少子社会』と『高田保馬リカバリー』もほぼ同時に用意していたことになる。

単行本未収録論文を再録する

『高田保馬リカバリー』編集の第一方針は、雑誌と単行本に掲載された晩年の論文を収録することであった。

とりわけ70歳から80歳までに書かれた珠宝の論文が、そのまま放置されていた。学界にとっても残念なことなので、『社会学評論』(日本社会学会)と『都市問題』(東京市政調査会)の雑誌論文、そして「新明博士還暦記念論集」と「蔵内博士退官記念論集」への寄稿論文4点を選び、冒頭に収めたのである。

採録論文の解説

冒頭の「市民組織に関する私見」は高田唯一の町内会論であり、日本都市社会学の第一世代である鈴木榮太郎、奥井復太郎、磯村英一が高田とともに執筆した『都市問題』44-10(1953)は、それだけでもすでに希少価値をもっている。

次の「力の欲望と唯物史観」は、長年にわたり高田社会学の批判をしてきた新明正道の還暦記念論集に寄稿した論文である。大正時代に鋳造した概念「力の欲望」を駆使し、これまた40年以上にわたり精緻な分析をしてきた「唯物史観」を批判的に論じている。

社会変動論は「巨視的」で「遠視的」

第三の「社会変動について」は、『社会学評論』39・40(1960)における「社会変動」特集の巻頭論文である。社会変動論は「巨視的」で「遠視的」な性質をもち、「行為の体系に執着する限り」社会変動論は不可能であるという結論は今なお示唆的である。

第四の「理論社会学の性質について」は、九大の初代社会学教授である高田から数代後に教授を務め、のちに阪大でも一緒になった蔵内数太の退官記念論集に寄稿した論文であり、実質的にはこれが高田の遺稿になった。

自身の研究史を振り返り、経済原論に触れつつ恩師の米田庄太郎を回想し、研究する時代も対象地もすべて等価値とする。そして「総合社会学」ではなく、1920年前後に会得した「特殊社会学」に残留することを宣言している。

いずれも貴重な示唆に満ちた論文であり、現在でも味読する価値がある。

若い世代向けの高田理論の要約的な解説

第二の方針は、若い世代向けに高田理論の入門的な解説を掲載することであった。なぜなら、ご逝去が1972年だったので、それからすでに30年が経過しており、若い世代では高田への関心が薄れていたからである。

100冊の著書の大半が古書店になく、どの出版社からも全集版はおろか復刻版さえも出ていなかった。もっと古いマルクス、ジンメル、デュルケム、ウェーバーなどは日本でも盛んに論じられていたのに、なぜか高田保馬だけは数名の方を除けば、ほぼ社会学者の全員から無視されていた。

そこで、これまで私が学んだ数冊の高田論から該当箇所を選び、その著者による「高田保馬」解説論を選択した。

四名の解説論

まずは、大道安次郎「高田保馬」だが、大道は高田が九大教授時代の弟子であり、1953年に『高田社会学』(有斐閣)を刊行したことでも知られる。その成果に基づく本論文は手際よく高田社会学の全貌を要約している。

英語論文は富永の執筆であるが、富永自身の社会学の業績は多方面に及ぶ。ただし、この時期は高田社会学の継承と紹介にも熱心であり、その功績も大きい。10篇近い高田論のうち、高田保馬『社会学概論』の英訳版の巻頭に置かれ、現在まであまり知られていない富永のIntroductionをここでは採録した。

少子化と長寿化の急速な進行により、発表後50年間忘却されていた高田の「人口史観」が見直されてきた。中西論文はその初期における成果であり、人口方程式の修正を含めた資本主義の人口法則が学説史を踏まえて検討されている。

研究の独自性に加えて、高田の研究領域の広さは学説研究でも発揮されていた。「マルクス論」「ヴェーバー論」「ケインズ論」を一人の研究者が、同じ水準で書けるであろうか。ここでは大庭の『社会科学と価値理念』からの紹介を転用した。この本では、高田が終生ライバル視していたシュンペーターとともに、社会学者ではパーソンズのみが高田と同じ扱いを受けている。

高田理論の継承と発展

第三が「高田理論の継承と発展」であり、これこそが『高田保馬リカバリー』の本来の狙いであった。

高田社会学のうち21世紀の日本社会を含む先進社会の研究に不可欠な理論として、人口史観、結合定量の法則、勢力論を位置づけた。これを受け持った執筆者でも、各自の問題意識に応じてウェイトづけは異なるが、これらの三領域の重要性には異論がなかった。

『階級及第三史観』

そこで私が『階級及第三史観』を担当して、少子化と長寿化が急速に進行する高齢社会においての人口史観の有効性を主張し、少子化の分析に人口方程式を応用した。

『勢力論』

盛山和夫東京大学教授は『勢力論』を担当して、富力と威力を権力に加えた高田独自の「勢力論」を、従来からの社会学的権力理論研究とともに勢力経済学の分野までも含めて体系的に考察された。

「現代市民社会論」の可能性

高田社会学の学説的展開にはいくつもの広がりが認められる。その一つに高田理論の影響を強く受けた鈴木榮太郎の社会学があり、両者の接点の分析を小林甫北海道大学教授にお願いして、それぞれ理論の紹介と検討と継承方法をまとめていただいた。

小林は、「引用もできないほど高田の影響を受けた」鈴木榮太郎の業績を捉えなおす試みから、高田と鈴木の両理論を踏まえた「現代市民社会論」の可能性を追求した。

パーソンズ論と高田論の融合

富永は卓越した理論社会学研究の水準から、2002年にパーソンズ生誕100周年記念の「ルネッサンス」を主催したパーソンズ論と、2003年に生誕120周年の「高田リカバリー」を本書で融合させた。日米の社会学者で巨人ともいうべき代表的理論家の比較分析は学説史的にも貴重である。

世界各国の社会学者のうちパーソンズ論を書ける方々は少なくないであろうが、日本以外の国では高田保馬を研究する専門家は皆無と言っていい状態であったので、両名を比較しながら論じられるのは富永先生だけだと判断してお願いしたのである。

英語版のIntroductionも収めた

さらに旧版『社会学概論』を体調悪化のなかで高田自身が8割ほど英訳して、その後周囲の協力で完成した英語版Principles of Sociology(University of Tokyo Press、1989)が刊行されていたこともあり、既述したようにその冒頭に収められた富永解説論文(Yasuma Takata:An Intellectual portrait)の転載をお願いした。

いずれも「大変いい企画なので協力する」というお返事をいただき、両方ともに実現した。富永先生とはたくさんの縁があり、運にも恵まれて、二編の論文を掲載できたことで、本書の価値はいちだんと高まった。

私信でも評価

2003年10月に『高田保馬リカバリー』を刊行してから半年後に、便せん4枚の私信をいただき、「あなたの『高田保馬リカバリー』は成功でしたね」、「人口論に着目したことが成功の秘訣だったと思います」、「和歌をたくさん散りばめたのもよかったですね」というように評価していただいた。さらに3冊の復刻に触れて、『世界社会論』(1947)が入っていたら、いっそうよかったと思います」とも添えられていた。

復刻本

その復刻本も、若い世代向けに旧仮名を改めて、『勢力論』『階級及第三史観』『社会学概論』の3冊を同時に12月に刊行した。これはミネルヴァ書房創立55周年記念事業の一環としての企画でもあった。

高田保馬の孫の世代である私にとっても、賛否両論があった新仮名にする作業はなかなか大変であったが、これはもう一つ下の世代にぜひ精読して欲しいからであった。ひ孫世代が直面する人口減少社会は人口史観なしには解明できないであろう。

3冊に限定

復刻版刊行の1年前ミネルヴァ書房にお願いした際には、この3冊と『世界社会論』(1947)、『社会と国家』(1922)、『社会関係の研究』(1926)の合計6冊を候補として出していた。

しかし、主として販売上の危惧から、取りあえず3冊に限定するという方針で復刻が決まったのである。これらもまた古書市場でも入手困難だったから、3冊の復刻でもそれらが若い世代に読んでもらえれば、日本社会学の先覚者の業績を継承できると考えてその方針を了解した。

『高田保馬リカバリー』の反応と影響

そのような事情なので、今回は『高田保馬リカバリー』の「縁、運、根」ではあるが、復刻の3冊も含めて高田保馬の社会学の意義にも触れてみたい。

『高田保馬リカバリー』を上梓したあとで、既述した富永先生以外にも数名の方々からメールやお便りを頂戴した。恩師の鈴木広先生からは「近頃珍しい良書」とのおはがきをいただき、喜んだ記憶がある。後日先生は、「もし『世界社会論』の復刻が決まれば、その解説論文は自分が書きたい」と直接おっしゃったので、ミネルヴァ書房と再度交渉したが、上手くいかなかった。

意外だったのは複数の出版社からこのような本をうちでも出したかったというメールが来たこと、同時に少子化と長寿化の実証的研究者とみられる私が、なぜ高田保馬関連の本をここまで熱心に出す努力をしたのかという疑問が寄せられたことである。その回答の一部は『高田保馬リカバリー』の私の序文にあるし、『階級及第三史観』の「解説論文」でも触れている。

なぜ高田理論にこだわったか

ここではそれらに書き残したことをまとめておこう。

私が卒論を書き終え、九大社会学研究室を卒業する直前の1972年2月2日に高田保馬はその88年の生涯を閉じた。その告別式の模様は清水幾太郎「或る告別式」(『図書』岩波書店1972年3月号、『高田保馬博士の生涯と学説』創文社 1981年に再録)で知ることができる。愛惜の気持ちが伝わる清水のこの文章を何度読んだか分からないが、「著書と一緒に著者も忘れられてしまっている」という結論は衝撃であった。

『社会学概論』に出会う

唯一の救いは、「忘れられていた」かもしれないが、1971年に『社会学概論』(2003年に復刻した)が富永先生の詳細な解説論文付きで新しく出版されたばかりであったことである。

71年は学部4年であったが、私はその富永解説論文と卒業前に清水の追悼文を読むことで高田理論に関心をもち始めた。この時期から福岡市や久留米市などの古本屋回りが始まる。なぜなら、100冊を超える高田保馬の本は全集や選集にまとめられてはおらず、古本屋か大学図書館でしか入手できなかったからである。

大学院では水面下で高田への関心を持続

ただ大学院では都市社会学を専攻したので、集めはじめた高田本はツンドクでしかなかった。しかし『高田保馬リカバリー』序文で記したように、1975年に「高田先生の生家」というエッセイを鈴木広先生がお書きになったあとに、「生家」を訪ねたりして、人間高田への興味は抱き続けていた。

生誕100年目の「光彩放つ高田保馬の業績」

それは社会学と経済学の門下生一同が出された『高田保馬博士の生涯と学説』(1981)で頂点に達する。

さらに83年5月28日の『日本経済新聞』で建元正弘阪大教授が書かれた「光彩放つ高田保馬の業績」で関心が増幅された。この年は生誕100年であったが、日本社会学会でも出版界でもとくに何も行なわれなかった。

社会学者の大半は高田作品を読まず、触れず、語らずであった。たまに語るときには、40年前の戦時中の言説のみを針小棒大に取り上げて論難するというパターンが出来上がっていた。

『社会学評論』の特集と学会大会シンポジウム

そもそも日本社会学会で、複数の研究者が一同に会したかたちで高田保馬を取り上げたのは逝去の年だけである。

一つは『社会学評論』(90号 1972年9月)であり、もう一つは1972年10月の法政大学を会場とする第47回大会で、シンポジウム「日本社会学と高田社会学」が午前9時半から午後5時まで開催された。高田理論社会学に忠実な向井利昌、全面批判者の宇津栄祐、意義と有効性を強調する富永健一の三氏のご発表、吉田民人、稲上毅、小室直樹氏らのコメントを、修士課程1年の私は末席で拝聴した。

酷評した2冊の本

その後30年間、社会学史の一部として簡単に取り上げられることはあった。しかし、高田保馬をタイトルにした社会学書は河村望『高田保馬の社会学』(いなほ書房 1992年)と北島滋『高田保馬』(東信堂 2002年)しかない。しかも、両者ともにはじめから高田と高田理論を酷評する意図をあらわにした本であった。

それらはマルクス主義の観点からの糾弾や否定が全面に出ており、高田社会学の応用や継承をまったく放棄したものであった。

「高田保馬リカバリー」のテーマセッション

しかし、復刻した3冊だけでも明らかなように、21世紀日本で最大の課題になる少子化や長寿化研究の理論社会学の一部に人口史観が有効なことは自明であるし、ネットワーク論やボランティア論の基盤に結合定量の法則を活用することもできる。勢力論は国際化、地方分権化の両方にも、また官僚制研究にも多大のヒントを提供する。

それらを念頭に置いた「テーマセッション」を、私は2003年11月の中央大学での第76回大会で「高田保馬リカバリー」として実施した。復刻3冊でご協力いただいた盛山和夫、小林甫の両氏に加えて、森岡清志、下平好博氏らが登壇され、会場には富永先生はじめ多くの関係者が参集された。おそらく31年ぶりの学会大会での高田関連の集合的議論であったはずである。「写真」は集会が終了した時に撮影したものである。

本来、書物は刊行された瞬間から、一人歩きをする。私が2003年の1年間でやみくもに突き進んで高田生誕120周年記念企画でまとめあげた4冊もまたそうであろう。ウェーバーもデュルケムもパーソンズも精読に値するのと同様に、高田の社会学書も欧米の大家の作品にひけをとらないと今でも考えている。

刊行21年後のアマゾンでの「書評」

その一例として、刊行21年後の2024年6月23日にアマゾンに投稿されたMrPop氏による『高田保馬リカバリー』の「書評」を紹介しておきたい。きちんと読んでいただいたMrPop氏にお礼を申し上げる。

5つ星のうち5.0 「知の巨人」高田保馬を甦らせる

高田保馬(1883年生~1972年没)は戦前の日本を代表する社会学者・経済学者である。しかし戦後名声を失い、今ではその名を知る人も少ない。高田はどのように偉大だったのか、なぜ無視されることになったのか、今日私たちが学ぶべき高田の遺産は何か。本書はこのような問いに正面から答える知的刺激に満ちた一書である。高田の2世代も後の社会学者・金子勇教授の執念の書(編集本)でもある。いずれの章も興味深いが、富永健一教授による高田とパーソンズの比較論、中西泰之教授による人口論史における高田の位置づけ、小林甫教授による高田の農村論の批判的検討はとりわけ教えられることが多かった。社会学・経済学・人口学ともに細かい分析に終始することが常となった今日、高田のようなスケールの大きな論法は魅力的である。

未公開写真と「和歌」の紹介

なお、本書を準備するため、2002年時点ではご存命で、芦屋市に住んでおられた高田長女の関明子様宅を訪問した。『高田保馬リカバリー』出版企画を喜ばれ、その際にご提供いただいた高田の未公開写真を4枚使用できたので、参考までに高田の数多くの「和歌」から私が精選した16首とともにご紹介させていただくことにする。

【参照文献】

  • 金子勇編,2003,『高田保馬リカバリー』ミネルヴァ書房.
  • 高田保馬,1922=1971=2003,『社会学概論』ミネルヴァ書房(解説は富永健一).
  • 高田保馬,1925=2003,『階級及第三史観』ミネルヴァ書房(解説は金子勇).
  • 高田保馬,1940=1959=2003,『勢力論』ミネルヴァ書房(解説は盛山和夫).
  • 高田保馬博士追想録刊行会編,1981,『高田保馬博士の生涯と学説』創文社:202-208.
  • Yasuma Takata,1989, Principles of Sociology ,University of Tokyo Press.

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