今年のミスフィンランドに選ばれたサラ・ザフチェ氏が、目を指でびろーんと広げ、東アジア系の表情を揶揄する写真を投稿し、優勝をはく奪された件が話題です。
さらになんとザフチェ氏への非難にも関わらず、フィンランドの国会議員らがザフチェ氏への連帯を示すために、ジェスチャーをSNSに投稿し始めたのです。

つり目ポーズのサラ・ザフチェ氏(左)と国会議員
日本の方はそもそもこのようなジェスチャーが一体どういう意味合いで行われるのか、そしてなぜ特に海外在住の一部日本人が大変怒っているのかということがわからないのかもしれません。
2025年12月9日発売の私の最新書籍である『世界のニュースを日本人は何も知らない7 フェイクだらけの時代に揺らぐ常識』でも解説しましたが、日本の方の多くは欧米での東洋人差別についてほとんど理解していません。
まず基本的にこのような目を細く広げるジェスチャーというのは、東洋系に対して差別的なことを行うときにやる典型的な仕草です。
東洋系に対する差別の中でも最もひどいものだと言って差し支えありません。
こんなことをやられたら、東洋系からその場で殴られたり自殺されても構いませんと言うレベルのひどさです。
欧米の人々は日本人や他の東洋系は目が細くて出っ歯だというふうに認識しています。そして彼らは我々のことを顔が平らで気味が悪いとも言います。
顔が平らだと言えばまだマシなのですが、ひどい人の中には顔が潰れていると堂々と言う人もいるのです。
基本的に彼らの多くは東洋人の見た目は美しいとは考えていません。とても醜いと考えています。
ただし北米や欧州北部の場合は、そういうことは言ってはいけないということは認識している人が多いので、美しいと言う代わりに「肌が綺麗」とか「目がアーモンドのような形」「目が月みたいな形」と言う表現をします。
ただしこれは東洋系を美しいと言っているわけではないので注意が必要です。
また日本人が知っておかなければならないのは、外国人に対する差別にはいくつかの階層があると言うことです。
彼らはこのような露骨な差別を、アフリカ系や中東系、ユダヤ人に対しては絶対やらないのです。
なぜかと言うと、多様性や人権教育でそういった差別をやってはならないということを教育されているからです。
なぜ東洋系に対してはそういったことであるかと言うと、東洋系は馬鹿にしても構わない人々であるという意識が潜在下にあるからです。
これは東洋人が反応しなかったり反撃をしてこないというのもあります。
日本人に限らず、中国人や韓国人、台湾人、タイ人、ラオス人、カンボジア人、ベトナム人、フィリピン人というのは、基本的に物理的な暴力を嫌います。
なんだかんだ言って和を保つことを重視する人々です。もちろん日本とは違いがありますが、全体的にはそうであるということです。
ですから何か差別的なことを言われても、反応することは調和を乱すので芳しくないと考えるのです。全体的に東洋系は議論することも嫌います。
やはりそこは東洋的な共通点があるのだと思われます。
実は東アジアというのは、他の地域に比べると気候が恵まれているところが多いのです。
もちろん貧しいところもあるにはありますが、南アジアや中東、欧州北部に比べたらはるかに恵まれており、相対的には水も豊富ですし、農業をやることが可能です。
日光も豊富です。欧州北部は冬は午後3時になると日が暗くなり始めます。雨だらけで寒く、作物は育ちません。森も日本や東アジアほど多くはないので、生きるための資源を取り合います。これは実際に住んでみたらよくわかります。
豊かなところで育った東アジア系というのは、全体的になんとなくのんびりしているのです。
その中でもポリネシア系の遺伝子と文化を引き継いだ日本人は特に楽天的です。日本人は日本の人のことを悲観的だと考えていますが、実はそうではなく、全体的に感情的で場当たり的、そして楽観的なのです。
しかし欧州や北米、中近東や南米の人々は、東洋系が反応しないことは単に弱いというふうに考えてしまいます。彼らの世界は異なる者同士が激しい議論や略奪を繰り返して覇権を握るということが前提になっています。
だから反撃してこない東洋人は最初から負けていると考えており、我々の攻撃を受け入れているのだと考えるのです。
全体の調和を重視する東洋系と、そうではない世界の人々の世界観の違いがそこに存在しています。
哲学が違うので、お互いに理解し合えないのです。
彼らは東洋系の謙遜や議論を避ける態度は、調和を保つという総合的な世界観の結果であるということを理解していません。
では日本人を始めとする東洋系はどうするべきかというと、とにかく反論することです。反論する際に、なぜそれが差別的なのか、論拠を示して淡々と意見を述べるのです。
何度も何度も繰り返してです。
時には商品やサービス、取引のボイコットなどの実力行使に出なければなりません。このような激しいやり方は日本的でも東洋的でもありませんが、戦わねば理解されないのだから仕方ないのです。
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