
イラン戦争の帰趨はまだ不透明だが、それがアメリカの凋落を世界に晒したことはまちがいない。みんなすぐ忘れるから思い出しておくと、3月6日の時点では、トランプはお得意の「無条件降伏」をSNSで要求していた。

ところが現にいま、アメリカは戦争を終わらせる「条件」の交渉を、イランに持ちかけている。その意味では、外交ではすでに米国は撤兵を始め、後はそれをいかに軍事面に及ぼすかが残るだけとも言える。
ミアシャイマーが言うような、米国が開戦の目的をすべて放棄し、中東の覇権も失う「完全敗北」になるかはわからない。だが、ウクライナ戦争の行方を早くに言い当てた人だから、日本のセンモンカよりずっと信頼できる。

二つ目の主張は、それが望まざる未来だとしても、ロシアがこの戦争に勝つということです。
(中 略)
西側諸国は往々にして、ロシアはウクライナ全土の征服を固く決意していると見ています。しかしロシアはそのような行動に関心をもったことは一度もないし、これからも目標には設定しないでしょう。ロシアがめざしているのは、ウクライナの一定の領土を占領したうえで、同国を機能不全のrump state〔残存国家〕にすることです。
『Voice』2023年9月号、107-9頁
(強調を付与)
そしていま、トランプのTACOぶりを笑うだけの人たちは、あまりにも軽薄だ。彼の失敗は、ベトナムやイラクからの撤退を遥かに超えて、アメリカが世界に及ぼす力が第二次世界大戦の前まで、後退することを示すからだ。
テヘラン会談をご存じだろうか。1943年の冬、米英ソの3首脳が(王政下の)イランの首都で初めて顔をそろえた。一般には、ノルマンディー上陸作戦など対ナチス・ドイツの西部戦線の構築が、協議の主題だったとされる。

が、いま振り返って重大なことは、他にある。
会談でスターリンは、ルーズベルトが表明していた「無条件降伏」の政策に異を唱え、この時点ではチャーチルさえソ連の肩を持ったらしい。条件つきでいいから早く降伏させたい親独国が、東部戦線には複数あったからだ。
実際に英国の外務省は、会談後に「条件を示しての交渉」への切り替えを、米国国務省に打診する。だが、加藤典洋がその処女作で調べたところでは、ルーズベルトの反応は異様に冷たかった。

「テヘランにおいて自分の出席していた席でこういう問題は討議されなかった」
239頁
その後もルーズベルトは、敵国が飲める条件をつけた方が「終戦が早まります」との進言を、徹底して却下し続ける。その謎がいかに、今日の世界を解く鍵につながるかを、ぼくは昨年の12日間戦争の折から紹介してきた。

加藤典洋の見立てでは、このルーズベルトの「強気」は、隠された怖れと一体だった。すでに米国では原子爆弾の開発が進んでおり、その力に頼れば、いかなる要求でも押し通せそうに思えた。
しかし史上初めて核を使ってしまえば、「さすがにこれは戦争犯罪だ」と非難する声が、敗戦国から上がるかもしれない。その不安を事前に解消するには、降伏は無条件である必要があったのだ。
加藤が引用する、まずは「無条件」で降伏させよ、DEALはその後でやればいいとする(最も理知的な大統領だった)ルーズベルトの物言いは、キレたときのトランプのSNSに驚くほど似ている。
「例外をつくるのはまちがいだというのが、私の考えだ。イタリアは無条件降伏したが同時に多くの特権を与えられた。ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、フィンランドも降伏の際は同様に扱われよう」
242頁
(典拠は『ハル回想録』309-310頁)
この後にも類似の叙述が続くが、ルーズベルトは「なぜ無条件降伏なんですか?」と会見などで(原爆について知らない記者に)問われると、南北戦争と同じだという軽口でかわしたらしい。
歴史の皮肉だが、実際にそれで納得させてしまう偶然が、核を独占し世界一 “Great” になれそうに見えた時期のアメリカにはあった。『Wedge』5月号の連載「あの熱狂の果てに」では、そのことを採り上げている。

生前のルーズベルトにせよ、無条件降伏の着想は「南北戦争の故事から得た」とあえて語った。Unconditional Surrender の頭文字は「U・S」だが、南軍にそれを要求した北軍司令官グラントのイニシャルも同じで、むろん合衆国の略称もUSである。まさにいまトランプが、手を叩いて喜びそうな話だ。
10頁
(加藤著の221-3頁を参照)
ぼくたちが条件つきの(降伏ですらない)講和へとChickens Outするトランプに見るべきは、そんな無条件降伏の時代――いかに横暴であれ「核の力」が、最後は世界に秩序をもたらすと、思い込めた季節の終わりだろう。
いまやテヘラン会談と異なり、トランプはプーチンの意向は袖にできない。イランでさえ思うままにならない。その季節を呼ぶ別の名だった「戦後」が、こうして閉じられようとしている。

「ネオ・ヤルタ」ですら、
もはや懐かしく響きますね。
1年前のnoteから再利用
『Wedge』では加藤典洋の旧著を基に、イラン戦争を日米戦争の終わり方と対比しつつ、こう結んだ。日々変化するDEALにふり回されるセンモンカではなく、古典を参照し歴史の本質を見抜く人が、少しでも増えますように。
核があれば対話や妥協は不要になるとの神話を、イスラムの覇権復興をめざすイランは追い求め、それに米国はふたたびの「空爆民主主義」で応じた。だがその戦争の後に、親米化した平和主義のイランが生まれると楽観する人は、まずいない。
火の雨を降らせれば世界を自由に作り変えられると思い込む熱狂は、けっして手を汚した者の罪責感を拭い去ることはない。「壮絶な怒り」を抑え、粘り強く歩むことの先にしか、爆撃を伴わない民主主義の世界はありえない。
10頁
参考記事:



(ヘッダーは、テヘラン会談のWikipediaより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年4月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。







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