アメリカとイランが「イスラマバード覚書」に合意した。これをめぐって多くの「アメリカが負けた」という言説が数多く流通しているが、日本の右派系の方々が反発して「イランが負けた」といった主張をしていたりもする。

ヴェルサイユ宮殿で覚書に署名するトランプ大統領 ホワイトハウスXより
すでに6月1日に『トランプの戦争とアメリカの敗北』という題名の本を出した私ではあるが、勝ち負けの判定は、状況を明確化するレトリックとしてはありうる。ただ、サッカーではないので、勝った・負けたの言い争いをすること自体には、それほど意味はない。
「イスラマバード覚書」は、停戦を成立させるためによく練られたものだが、それだけに政策につながる多くの決定事項が書き込まれているものではない。むしろ将来の交渉に委ねる先送りの項目を効果的に作って、合意の実現を狙った。

この「覚書」によって恒久的な安定が訪れたと考える者はいないだろう。それにしても、激しかった戦争の停戦を、相当程度にまで維持していくことができる機能を果たせるとすれば、意義は小さくない。
今回の「覚書」では、4月における対面での交渉に引き続いて、パキスタンが調停役を担った。カタールなども尽力したと伝えられているが、「イスラマバード覚書」と呼ばれるようになった点を見ても、関係者がパキスタンの役割を大きく評価していることがわかる。
なぜパキスタンの調停は成果を出すことができたのか。
日本では、外務省が3月に「国際和平調停ユニット」を設置し、笹川平和財団が5月に「和平調停センター」を設置したところだ。
国連PKOへの自衛隊の部隊参加は、2017年に南スーダンから撤収したときから、行われていない。今後に行われる見込みはない。ODAや人道援助の額面は、伸び悩んでいる。だからこそ、調停活動での貢献について、努力をしたい、ということだろう。
もっとも同盟諸国が事実上の当事者として関与し、日本も当事者に巨額の支援を行ってきているロシア・ウクライナ戦争の調停などは、議題にならないだろう。
中東など、日本の利益が関係しているが、日本の中立性が主張できそうな地域での調停の可能性のほうが、具体的な関心対象となる。
そうなると、パキスタンがなぜ調停に成功したのかについては、考えてみる必要がありそうだ。
一般に、調停には、中立性の高い立場と、地域情勢に精通して交渉術にも長けた担当者が必要になる、と思われている。もちろんそれは正しい。
他方、現実には、中立性が高ければ高いほど、調停がしやすくなる、とまでは言えない。パキスタンの場合には、戦争の当事国ではなかった反面、政治家層が、中東諸国やアメリカの政治指導者と親交を持っているはずの国であることが、大きな意味を持った。深い関係を当事者と持っていることが、調停者は状況を把握している、という信頼感につながる。
また、組織を動かす政治的権威のある者が出てこないと、調停に重みが出てこない。パキスタンの場合には、シャバーズ・シャリフ首相と、影の最高実力者と評されるアシム・ムニール元帥(軍最高司令官・陸軍参謀長)が、大々的な関与を示して、パキスタンが国家機構を総動員して調停にあたっていることをアピールした。アメリカも、イランも、交渉が座礁した際であっても、調停の労を払うパキスタンに謝意を表明することは忘れなかった。国家元首・政府首脳級が、直接的に和平交渉に尽力するのは、今日の国際社会の通例である。官僚や学者では、補助者としての意味はあっても、直接的な調停者にはなりえない。少なくとも重量級の政治家の特使などの代理人くらいでないと、調停は行えない。
ロシア・ウクライナ戦争を例にとると、トルコのエルドアン大統領とフィダン外相だけが、自国でホスト役となって調停を行えていたことと、構図は類似している。それでも超大国アメリカのトランプ大統領の登場は、新しい調停の構図を作った。
今回の「覚書」の場合には、加えて、パキスタンの政策判断の内容の要素も、大きな意味を持った。最も重要だったのは、イスラエルを排除して、イランとアメリカの二者間交渉を作り出し、それを継続化したことだ。
パキスタンは、イランとアメリカを決して批判せず、気遣う態度を取り続けた。その一方で、イスラエルに対しては激しい言葉での非難を続けた。
これは諸刃の剣である。イスラエルは交渉の進展に疑念を抱き続け、レバノンでの軍事作戦を継続させて、事実上の妨害行動をとり続けた。今も取り続けている。イスラエルが、自国は交渉の当事国ではない、と言えば、それは間違いではない。
しかし、イスラエルを交渉に参加させることは、交渉が破綻する可能性を著しく高める。そもそもイスラエルに交渉に参加させようとしたら、交渉が成り立たなかったのではないか。その一方で、イスラエルには、アメリカ抜きで、単独でイランと戦い続ける余力がない。結果的には、イスラエルを排除する判断は、功を奏した。
さらには、4月中旬での一時停戦と交渉開始、そしてその後2カ月かけた後の「覚書」成立のタイミングも、妥当なものだった。
紛争調停の学術研究では、調停者の能力よりも、全般的な政策判断の重要性に重きが置かれる。たとえば、私がウクライナ人の共同研究の成果として公刊した編著で扱っているウィリアム・ザートマンの「成熟(ripeness)」理論は、「相互損耗膠着(mutually hurting stalemate)」の状態の到来を、調停者が的確に見極めることの重要性を強調する。タイミングこそが、調停成功のカギを握る、という考え方だ。

パキスタンは、MHSの見極めにおいても、的確さを示した、と評価していいだろう。
もちろん、このようなパキスタンの調停の評価は、和平の恒久性を保証するようなものではない。むしろ困難で脆弱な状況においても、一定の調停成果を出したことが評価の対象だ。「覚書」が、さらにどのような政治的状況の進展を導き出していけるのかについては、まだ不透明な要素が相当に残っている。

6月22日、スイスで開かれた高官協議
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【参照記事】
- 米国「建国250周年」が「建国」250周年ではない件の含意について 篠田 英朗
- 防衛費額は本当に絶対正義か 篠田 英朗
- 「行き詰まり」を見せるアメリカとイランのにらみ合い 篠田 英朗
- 融和的なトランプ訪中と日本の大軍拡路線の複雑な関係 篠田 英朗
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- 安保三文書改訂「有識者」の構成に見る高市政権の方向感覚 篠田 英朗










コメント
篠田氏の分析を読んで意義深いと感じました。
サッカーなら終了の笛が鳴り、得点という客観的な指標によって勝者と敗者が明確に分かれます。
しかし国家間の対立には、そうした明確な「終わりの笛」も「スコアボード」もありません。
実際に起きているのは、双方が人的・物的に損耗し、「これ以上続ければコストが利益を上回る」と判断した時点で、どのような出口を設計できるか、という交渉です。
この視点からパキスタンの調停を評価する筆者の立場に、私は強く賛同します。
ここで私が連想したのが、モンティ・パイソンの映画『ホーリー・グレイル』に登場する「黒騎士」です。
彼は四肢を次々と切り落とされてもなお「ただのかすり傷だ(’Tis but a scratch)」と言い張り、胴体だけになっても「脚を噛みちぎってやる」と叫び続ける、不条理な戦士として描かれます。
このコントが半世紀にわたって引用され続けるのは、それが「客観的状況」と「当事者の認識」の乖離を、笑いの構造として完璧に捉えているからです。
理性を欠いた頑迷さ——この愚かさこそが、黒騎士というモチーフの核心だと言えるでしょう。
今回の合意をめぐる言説にも、この黒騎士的な構図が地続きに見えてきます。
自陣営が腕を失っても「かすり傷だ」と強弁する。
「イラン大勝利」という言説も「アメリカ完全勝利」という言説も、どちらも現実の損耗から目を背けた強がりにすぎません。
で、紛争研究で言う「成熟(ripeness)」とは、当事者双方が現状の膠着を「相互に不利な手詰まり」と認識し、出口を模索し始める状態を指します。
覚書は、まさにこの成熟が成立した局面の産物として読むことができます。
留保(1)——勝敗論を全否定すべきではない
たとえばイランが「圧力をかければ米国は譲歩する」と受け止めるのか、逆に米国が「軍事的圧力を背景に交渉をまとめた」と国内外に示せるのか——この認識の差は、次の危機がどのような形で発生するかに直接影響します。軽くはないです。