ベルギー国王の「兄弟継承」は日本にとって最良のモデル

両陛下がベルギーとオランダを訪問した。あとで書くが、ベルギーの王室は日本の皇室にとって大恩のある存在だ。戦後、戦争の経緯でぎくしゃくしていた皇室とヨーロッパの王室の関係を修復し、昭和天皇の訪欧を実現してくれたのも、陛下の留学が当初順調ではなかった際に支えたのもベルギー王室だ。

天皇皇后両陛下とベルギー国王陛下 宮内庁インスタグラムより

一方、オランダの王室は日本の皇室に好意的ではなかったが、両陛下は非常に厚遇され、雅子さまの父親の小和田恆氏も、ハーグに所在する国際司法裁判所の所長としてオランダに住んでいる間、オランダ王室から大きな恩恵を受けた。

今回は、王位を兄→弟→甥という順で継承した先行ケースであり、おそらく、今回の訪問でも陛下は国王からさまざまなアドバイスを得られたと思うので、その事情を紹介したい。(主として私と篠塚隆の共著である小学館『英国王室と日本人』より)

兄から弟、そして甥へ続いたベルギー王室の継承

中世史ではフランドルという名がよく出てくる。もともとは中世のフランドル伯領で、ブリュージュやガントあたりであるが、今日、フラマン地域といえばベルギー北部のオランダ語系フラマン語を話す地域である。

オランダの独立のあとも、カトリックが多かったフランドルはスペイン領であり続け、スペイン継承戦争の処理でオーストリア領になったが、フランス7月革命の余波で1830年になってベルギーという国ができた。

独立のとき、ベルギー人は、フランス王ルイ・フィリップの王子を国王として迎えようとしたが、ルイ・フィリップは、イギリス王家の親戚であるザクセン=コーブルク=ゴータ家のレオポルドを推薦し、自分の娘であるルイーズ・マリーを王妃に送り込んだ。

レオポルド1世は優れた君主として若い国の基礎を固めたが、2代目のレオポルド2世は植民地獲得を目指し、1884年に国王の私的な領地としてコンゴ自由国を創立したが、経営に失敗し、政府に引き継がれた。

第2次世界大戦中、政府はロンドンに亡命したが、レオポルド3世はナチスに降伏して協力する形になり、戦後、国民投票では生き延びたが、息子のボードワンに譲位させられた。ボードワンとファビオラ王妃には子供がなかったので、弟のアルベール殿下が皇太弟となったが、年齢差は4歳だった(陛下と皇嗣殿下は5歳差)。

妃であるイタリアのカラブリア公爵令嬢パオラ・ルッフォはヨーロッパ社交界きっての美女といわれたが、フェリーニ監督の『甘い生活』の舞台となった1950年代イタリアの退廃的気分の中で育った自己主張の強い女性だったし、アルベールもプレイボーイぶりを発揮し、後継者にはふさわしくないと見られていた時期もある。

そこで、息子のフィリップ王子(現国王)への直接継承も選択肢といわれ、ボードワンが外遊に同行させるなど帝王教育を行ったが、ボードワンの急死で年齢的にも若く、未婚であることからも早すぎるということになり、アルベール2世が即位した。

フィリップ国王とマティルド王妃 Wikipediaより

フィリップ国王への譲位と長子優先への転換

王室は伝統的にフランス語が優位で、パオラ王妃はフラマン語が上手にならないと非難されていた。そこで、2000年に、皇太子フィリップがフラマン系のデュデケム・ダコ伯爵令嬢マチルドと結婚したことが歓迎された。

2013年7月3日、アルベール2世は7月21日の建国記念日にフィリップ王子に譲位すると表明し、退位布告への署名のあと、フィリップが即位の宣誓を行った。老獪な政治力のある父親と違って、よく言えば率直といわれるので、父王の死後に国王となるのは、そのときの政治情勢によっては不安もあり、政治的タイミングを見計らって短い予告期間で即位させ、後見しようという意図だったといわれる。

フィリップにはガブリエル王子もいるが、ガブリエル王子が生まれる前の1991年に長子優先へ法改正しているので、エリザベート王女が優先し、皇太子の称号であるブラバント公位を継承している。

これと関連していえば、将来、悠仁さまの第一子が女性の場合には、もし弟が生まれてもその長子を女帝にしたいなら、第2子以下として男性が生まれる前に、皇室典範を改正する必要がある。男子が生まれてから改正するのはやめるべきだ。

エリザベート王女の帝王教育が示すもの

エリザベート王女は、2004年から2018年6月までブリュッセルのサンジャン・バークマンズ・カレッジでオランダ語での教育を受けた(王室の日常用語はフランス語なので、あえてそうした)。2018年9月、イギリス・ウェールズのアトランティック・カレッジ(UWC)に入学した。

ベルギー・エリザベート王女 Wikipediaより

だが、2020年3月に新型コロナの影響でベルギーへ帰国し、遠隔教育プラットフォームによる学習を継続し、高等教育修了とともに国際バカロレア資格を取得した。

2020年9月、父王フィリップも卒業したベルギー王立陸軍士官学校で軍事的訓練を受けながら社会・軍事科学を専攻する1年間のプログラムに参加。2021年10月にオックスフォード大学リンカーン・カレッジに入学(専攻は歴史学と政治学)し卒業。その間、夏休みには軍事演習に参加するなど士官学校の課程の受講も続け、2023年9月、陸・海・空軍少尉に任官。2024年にオックスフォード大学を卒業後は、ハーバード大学ケネディスクールに進学している。今回の両陛下訪問では空港で出迎えるなど活躍した。

愛子さまが天皇になるとかいうのはありえないが、もし、そういう気が少しでも両陛下にあるのなら、上記のエリザベート王女に対して行われているような教育をしているだろう。

アストリッド王女とアルベール2世の庶子問題

国王の妹アストリッドも人気があり、女王にという声もあったほどだが、オーストリア最後の皇帝の孫で、ハプスブルク家のエスターライヒ=エステ大公ローレンツと結婚したので、歴史的因縁もあって王位継承の圏外となった。兄と妹での争いになりかねない王位継承の混乱要因を除去する狙いも、この結婚にあったともいわれる。

アストリッド・ド・ベルジック王女 Wikipediaより

エスターライヒ=エステ家は、ハプスブルク・ロートリンゲン家(ロートリンゲンはマリア・テレジアの夫の姓で、18世紀以来の正式家名)の分家だが、現在の当主は庶民と結婚したので貴賤婚で資格がないとか、その弟は妻がプロテスタントなので有資格者ではないと主張する保守主義者もいて、ローレンツを潜在的なオーストリア・ハンガリー皇帝家の継承者と見る向きもあり、ややこしい。

結婚後も家族ともども王族として扱われて公務を執り行っており、2022年には経済代表団を率いて来日し、悠仁さまも含めた秋篠宮皇嗣殿下一家と交流を深めた。

いずれにしても、ベルギー王室は現在の日本の皇室とよく似た家族構成であり、さまざまな意味で参考になると思われる。アルベール2世には、シビル・ド・セリス=ロンシャンとの間にデルフィーヌ・ボエルという子がいるといわれていたが、生前退位したことによりアルベールは不訴追特権を失い、デルフィーヌが認知を求めて提訴した結果、DNA鑑定が行われた。裁判所は親子関係を認め、デルフィーヌを王女と認定し、兄や姉と同じ待遇を受ける権利があると判決した。

アルベール2世 Wikipediaより

君主の庶子が殿下(HRH、ヒズ・ロイヤル・ハイネス)の称号を受けることは滅多にないが、1991年に成立したベルギー王室に関する法律で可能になっていたのが理由である。果たして、法律制定時にそういう想定をしていたのかどうかは分からない。

アルベールがデルフィーヌを宮殿に呼び、「私の子ではない」と告げたのが訴訟のきっかけになったといわれる。王位継承権は認められていない。


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