
政府のインテリジェンス機能を強化する「国家情報局」が、7月31日に発足した。内閣情報調査室を格上げし、約730人体制で各省庁の情報を束ねる。局長には原和也・前内閣情報官が就いた。戦後最大級の情報体制の再編である。
その上位機関として、高市早苗首相を議長とする「国家情報会議」が置かれた。構成は9閣僚。官房長官、法相、外相、財務相、経済産業相、国土交通相、防衛相、国家公安委員長、金融担当相である。
そこに厚生労働相の名前はない。
首相の判断で出席者は増減できるから、感染症有事に厚労相を呼ぶこと自体は可能だ。だが、それでは間に合わない。
大規模な軍事侵攻には、部隊の移動や装備の調達といった兆候が数か月にわたって観測される。感染症にそれはない。最初の異常が報じられてから世界的流行に至るまで、コロナの場合は数か月だった。事が起きてから閣僚を呼び集めても、判断材料を持っている者が誰もいない。
正確に言えば、感染症にも兆候はある。BSL-4施設の建設計画、デュアルユース研究の動向、特定機材の調達、動物の異常死、地方の報道が急に静かになる時期。

ただしそれらは民生の領域に散らばっていて、軍事的な兆候のようには目立たない。読むには専門知識が要るうえ、平時から見続けていなければ、それが異常であることにすら気づけない。
そしてもう一つ、決定的な違いがある。感染症の情報は、意図的に隠される。
隠されるのは、重大だと分かっているからだ
日本では、感染症は長く公衆衛生の課題とされてきた。だが多くの国は、感染症が経済、貿易、渡航、そして体制の正統性に直結することを理解している。理解しているからこそ、隠す。
隠す誘因は制度にも埋め込まれている。国際保健規則の下で発生を通報すれば、渡航制限や貿易制限、風評被害が現実に起きる。正直に申告した国ほど損をする構造がある。2003年のSARSでも、2020年初頭の武漢でも、最初に起きたのは同じことだった。
だからこそ、公衆衛生の窓口では足りない。WHOに集まるのは、相手国が出す気のある情報である。出す気のない情報を取りに行くのが、情報機関の仕事だ。
平時に集めた情報が有事に効くのは、どの分野でも同じである。常時の構成に入っていないということは、平時に情報を集める理由がないということであり、それを読める人材が育たないということでもある。
本稿は5月の連載の続編にあたる。コロナ対応の失敗が医療ではなく国家の失敗であったこと、その構造が80年前から変わっていないこと、そして9条論争の外側で危機管理国家は設計できることを論じた。国家情報局の発足は、その設計図を実装に移す最初の機会である。



「法律にない」のではない。「体制にない」のだ
5月に成立した国家情報会議創設法は、「重要情報活動」を、安全保障の確保、テロリズムの発生の防止、緊急の事態への対処その他の重要な国政運営に資する情報の収集調査、と定義している。
感染症は排除されていない。「緊急の事態への対処」に読み込む余地は十分にある。
問題は法文ではない。それを担う部門と人材が、どこにも存在しないことである。
国家情報会議が調査・審議するとされているのは、安全保障上の重要情報活動と、外国のスパイ活動への対処である。政府は併せて、スパイ活動を防ぐための法整備の検討も本格化させる。当面の政治的資源も立法資源も、そちらに向かう。それ自体は必要な作業だ。問題は、感染症がその視野に入っていないことである。
国会審議では、個人情報やプライバシーの保護、政治的中立性の確保への懸念が指摘された。正当な論点だ。だが議論がそこに集中した結果、「何を情報活動の対象とするのか」という各論は、ほぼ空白のまま出発することになった。
新型コロナが示したのは、感染症が国家の経済、外交、防衛、物流、医療を同時に麻痺させるという事実だった。自衛隊の部隊運用も、半導体のサプライチェーンも、国境管理も影響を受けた。これを厚生労働行政の管轄と呼ぶのは、もはや無理がある。
2019年末、日本は何も掴んでいなかった
連載の第1回で、コロナ対応にはC4ISR、すなわち指揮、統制、通信、情報処理、情報、監視、偵察の要素がことごとく欠けていたと書いた。
なかでも決定的だったのが偵察である。2019年末に武漢で異常な肺炎クラスターが発生したとき、日本はWHOの公式発表を待つしかなかった。
年明けに政府が全力を挙げたのは、邦人退避、検疫、検査体制の整備である。必要な対応だが、公衆衛生対策だ。
武漢の研究施設に関する情報。中国政府による情報統制の動き。研究所事故の可能性。デュアルユース研究の動向。こうした断片を統合し、国家として評価する部署は、どこにもなかった。日本が欠いていたのは情報そのものではない。各国情報機関と日常的に情報交換し、断片を受け取り、日本側の評価を返すカウンターパートだった。
統括庁もJIHSもある。しかし繋がっていない
日本に感染症の司令塔がないわけではない。2023年9月に内閣感染症危機管理統括庁が発足し、2025年4月には国立健康危機管理研究機構(JIHS)が設立されて、感染症インテリジェンスの強化が掲げられた。
だが、いずれも公衆衛生行政のラインに属する組織である。外国の情報機関と機微情報を交換し、研究施設の事故や生物剤の転用可能性を国家安全保障情報として評価する機関ではない。
米国には国防情報局(DIA)傘下に国立医療情報センター(NCMI)がある。感染症、生物脅威、外国の医療インフラを専門に分析する、情報機関の一部門だ。日本には、この明確なカウンターパートが存在しない。
これは形式論ではない。情報機関同士の機微情報のやり取りは、相手方に対応する組織と保全体制があって初めて成立する。カウンターパートがないとは、渡されるはずだった情報が日本に届かないということである。
公衆衛生の側には組織がある。情報の側にも組織ができた。両者の間だけ、配線がない。だから、日本には各国情報機関が接続すべき相手が存在しない。
器はあった。回路がなかった
連載の第2回で論じたのは、戦前の日本に分析能力がなかったのではない、という点である。
1941年夏、総力戦研究所は日米開戦のシミュレーションで「日本必敗」の結論を出した。知見は存在した。それを国家の判断に接続する回路がなかっただけだ。
今回も構造は同じである。法的な器はある。それを満たす回路と人がいない。
米国を見ればいい。2025年1月、CIAは新型コロナの起源について、研究関連である可能性の方が高いと評価した。ただしその確信度は「低い」と明示し、自然起源説も引き続き妥当なシナリオだとしている。
注目すべきは結論の当否ではない。確信度を付し、判断を変えうる情報を評価し続けると宣言したうえで、政府として評価を更新できる仕組みが動いている。その事実である。
荒れるのは、実体があるからだ
もっとも、米国の仕組みも万全ではない。
7月29日、米上院国土安全保障・政府活動委員会は、パンデミック対策を主導したファウチ元NIAID所長を召喚した。ポール委員長は事前に同氏の日記1000ページ超を公表している。ファウチ氏は弁護士の助言に従い、憲法修正第5条の黙秘権を100回以上行使して証言を拒んだ。

しかし、検証は糾弾に傾き、起源をめぐる議論は党派対立に飲み込まれた。
それでも米国では、情報機関が確信度付きの評価を出し、議会が召喚権を行使し、当事者の記録が公開される。米国では評価する主体がいるから論争になる。
日本では評価する主体がないから、論争にすらならない。
箱は数年、人は10年
仮に部門を作っても、翌日から英米の情報機関と対等に議論できるわけではない。感染症学と情報分析の双方を理解し、外交・安全保障の文脈で英語の実務協議をこなせる分析官が、日本にはほとんどいない。医学・公衆衛生の世界と情報機関の間には、人材の往復路もキャリアパスもない。
国家情報局という箱は数年で作れても、その中身を満たすには10年単位の人材育成が必要である。
締切は「国家情報戦略」
政府は、情報活動に関する初の指針「国家情報戦略(仮称)」の策定に着手する。ここに生物脅威と感染症が書き込まれるかどうかが、当面の分岐点になる。
法改正は要らない。国家情報局に生物・健康脅威を担当する小さなユニットを置き、統括庁、JIHS、防衛省、外務省から数名を集めるだけでも始められる。最初に必要なのは人数ではない。各国情報機関が名指しで連絡できるカウンターパートを、日本に実在させることである。情報機関同士は、部署と部署、人と人との信頼関係で動く。
第3回で示した危機管理国家の設計図のうち、情報部門は最も早く着手できる一項目だ。

コロナ禍で日本に欠けていたのは、マスクでもPCRでもなかった。感染症を国家安全保障情報として扱うという発想そのものだった。
箱は数年で作れる。しかし、人を育てるには10年かかる。2035年に世界水準の分析官が必要なら、育成は2026年の今、始めなければならない。国家情報局は発足した。しかし、感染症インテリジェンスは、まだ始まってすらいない。







コメント