「次の西浦博」を育てるだけでいいのか:理論疫学に必要なのは反証者だ

(前回:間違った「8割削減」は、なぜ訂正されなかったのか)

2026年9月20日、読売新聞は、新型コロナ流行初期に「接触8割削減」を訴えた西浦博・京都大学教授の現在を報じた。

私は前稿で、「8割」という数字がなぜ日本社会を動かし、なぜ十分な検証を受けなかったのかを論じた。

間違った「8割削減」は、なぜ訂正されなかったのか
2026年9月20日、読売新聞が、新型コロナ流行初期に「人との接触を8割減らす」と呼びかけた西浦博・京都大学教授を取り上げた。記者は今年5月、西浦氏本人に「8割削減の試算は正しかったのか」と尋ねている。西浦氏の答えは明快だった。「理論的にほ...

今回は、その先を考えたい。

西浦氏はコロナ対応を振り返り、「日本には理論疫学の専門家が少なく、ひとりでデータ分析から発信役までこなしてしまった」と語っている。そして現在は後進育成に力を入れ、今年8月の集中講座には国内外から約60人が参加したという。

人材を増やすことには賛成だ。

しかし、2020年に足りなかったのは、本当に「西浦氏と同じ仕事ができる人」の人数だったのだろうか。

必要だったのは「もう一人の西浦氏」ではない

一人の研究者がモデルを作り、政府に説明し、国民への発信まで担う。科学的チェックの仕組みとして健全とは言い難い。

だから研究者を増やす。ここまでは分かる。

しかし、それだけでは教訓を半分しか学んでいない。

東京大学名誉教授の岩本康志氏は2026年、「接触8割削減」を再検証し、「8割でなければならない」という説明に疑義を呈した。

コロナ政策の徹底検証(前編):「接触8割削減」に科学的根拠はなかった
「根拠と言えるものではない」のはしご外し筆者は、昨年『コロナ対策の政策評価』を上梓した。拙著の帯には「接触8割削減の科学的根拠を問う」と書かれており、6年前の2020年4月7日に緊急事態宣言が発出された際に、感染症数理モデルの分析に基づき感...
コロナ政策の徹底検証(後編):「接触8割削減」のずさんな説明
代替案を不利に扱う操作前稿で、8割削減が必要との主張の背景にあるモデル分析は、内的な整合性を欠くものであることを説明した。じつは、8割削減が必要との主張には、モデル以外のところにも、どのように説明されたかの部分に、科学的助言としての信頼性を...

2020年に必要だったのは、西浦氏と同じ計算のできる研究者だけではない。

「その前提は正しいのか」
「7割では本当に駄目なのか」
「別のモデルならどうなるのか」

と問い返す研究者だった。

専門家の人数と、独立した見解の数は同じではない。

実は2020年にも研究者はいた

そもそも、西浦氏の周囲に解析のできる研究者が全くいなかったわけではない。

古瀬祐気氏や水本憲治氏らもクラスター対策班に参加し、データ解析に携わっていた。

つまり、「理論疫学を理解できる人が西浦氏一人しかいなかった」と単純化するのは正確ではない。

少なくとも周囲には、モデルや感染症データを扱える研究者が複数いた。

それでも、私が公開資料を確認した範囲では、彼らが「接触8割削減」の根拠を独立に再計算し、その不整合を公に指摘した事例は確認できなかった。

後になって本格的な再検証を行ったのは、むしろ理論疫学の外側にいた経済学者だった。

先生の計算を理解できる人が何人いるかと、先生の計算を疑える人が何人いるかは別問題なのである。

その世代は今、育てる側にいる

この問題は過去だけの話ではない。

古瀬氏は現在、東京大学新世代感染症センター(UTOPIA)で教授を務め、若手研究育成プログラムやAI研究発掘プログラムでは審査委員にも名を連ねている。

これは古瀬氏個人を責める話ではない。

問いたいのは大学側の人材育成設計である。

2020年の危機対応に参加した研究者が、今度は次世代を育て、研究テーマを選ぶ側に回る。

ならば大学が見るべきなのは、「優秀な若手を何人育てたか」だけではない。

その若手が、先行世代の前提を壊せるように育てられているか。

そこまでが後進育成ではないか。

同じ物差しを60本増やしても意味がない

同じ問題設定、同じモデル、同じ研究文化を共有する研究者を60人育てても、60通りの検証が生まれるとは限らない。

同じ設計のサーバーを60台並べても、共通するソフトウェアにバグがあれば60台とも落ちる。

人数の冗長化と、思考の冗長化は違う。

必要なのは人数ではなく、異なるモデル、異なる専門分野、異なる研究系統が互いの前提を壊せる仕組みである。

「42万人死亡」はリスコミ失敗の教材だ

理論疫学を政策に使う際、特に注意すべきなのが反実仮想である。

「何もしなければ何人死亡したか」
「行動制限をしなければどうなったか」

こうした世界は観測できない。

反実仮想は必要だが、観測値ではない。仮定が変われば結果も変わる。

2020年4月の「対策を取らなければ最大42万人死亡」という試算も、その意味で格好の教材である。

問題は計算の正誤だけではない。

一定の条件を置いたモデルが、

「何もしなければ42万人死ぬ」

という強烈なメッセージとして流通した。

どの仮定に依存するのか。条件を変えれば数字はどう動くのか。どこまでが観測値で、どこからがモデルなのか。

そこまで伝わらなければ、反実仮想は予測、さらには予言のように受け取られる。

なお、専門家自身がこうした数字を社会へ直接提示したことと、政策決定の指揮命令系統との関係は別稿で論じたい。

リスクコミュニケーションは説得術ではない

WHOはリスクコミュニケーションを、専門家や当局とリスクに直面する人々との間で情報、助言、意見を交換し、人々が十分な情報に基づいて判断できるようにする営みと位置づけている。

重要なのは、何が分かっていて何が分からないのか、不確実性まで含めて伝えることだ。

問題は、

「どう言えば国民が従うか」
「どんな数字なら人々を動かせるか」

だけになることである。

不確実性や別の選択肢を削り、「望ましい行動」だけへ誘導するなら、それはコミュニケーションではなく説得である。

リスクコミュニケーションは説得術ではない。説得術になった瞬間、科学を装ったプロパガンダに近づく。

先生と同じ答えを出すだけならAIでもいい

後進育成で教えるべきなのは、モデルの作り方だけではない。

他人のモデルを再現する。仮定を変えて再計算する。実測値と照合する。モデルから落ちた変数を探す。そして指導教員の研究であっても反証する。

そもそも、先生と同じ数式を使い、先生と同じ結論を出すだけなら、今やAIでもできる。

AIは計算モデルの不整合を探し、前提条件の抜けを指摘し、仮定を変えた場合に結果がどう変わるかまで検討できる。

もちろんAIも間違える。AI自身も検証対象である。

それでも人間の研究者を育てる意味は何か。

何を疑うべきかを、自分で見つけることだ。

現実とモデルのずれに気づく。問いそのものを疑う。師匠の前提に異議を唱える。そして違う結論に到達しても、その理由を示す。

師匠のモデルを否定できて初めて、独立した研究者である。

「後進」ではなく「反証者」を育てよ

次のパンデミックに必要なのは、「次の西浦博」を何人作れるかではない。

モデルを作る人。
そのモデルを壊す人。
モデルの限界を社会へ説明する人。

その三つの機能が独立して存在することだ。

専門家が学ぶべきなのは、国民を動かす方法ではない。国民に判断を返す方法である。

若い研究者に最初に教えるべきなのは、自分たちのモデルが社会を動かせるという自信ではない。

自分たちのモデルもまた、間違えるということである。

【参考資料】

 

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コメント

  1. yuzo.seo より:

    学問研究というものは、進歩してナンボのものですから、いつまでも先生のレベルにとどまっていてはいけない、これは事実です。でも、人を育てる、教育というものは、まず先人のレベルまで持ち上げること、学び(古語「真似ぶ」が語源と)から始めなくてはいけないのですね。
     
    「接触8割削減」につきましては、先日の記事にもコメントしたのですが、ヨーロッパで知られていた基本再生産数(一人の患者から感染する人数:前回「自然再生産数」と書きましたが、こちらの用語が一般的です)が2.5の場合、患者数を減少させるためには、再生産数を1未満にする必要がありますから、接触数を0.4倍以下とする必要があるとするのが、その根拠でした。
     
    接触数を0.4倍以下にするためには、接触6割削減で良いのですが、安全を見てさらに半分の接触となる8割削減にした、というのが当初の説明だったのですね。この数字自体、安全を見込んだ数字ですから、7割ではだめなのか、といった議論はあまり意味がないのですね。
     
    何もしない場合の死者数42万人、という数字は、2020年の感染拡大当初から出ていたのですが、この根拠もわかり易い計算でした(つまりラフな数字ではあったのですね)。何もしなければ、再生産数2.5で感染が拡大していくのですが、一度感染した人は抗体を持つため、改めての感染はない、と仮定した際の数字だったのですね。
     
    つまり6割の人が感染すれば、感染は残りの4割の人にしか起こらない。実質的な再生産数は、基本再生産数2.5の0.4倍で1にまで低下し、それ以上の感染拡大は生じなくなる、という計算です。結局、何もしなければ、日本人1億人の6割にあたる6千万人が感染するであろう、という単純な話でした。
     
    感染者数に致死率を掛ければ、死者の数が計算されます。2020年当初知られていた致死率は、中国やドイツから報告のあった0.7%という数字と、ダイヤモンドプリンセスでの致死率0.6%がありました。前者の数字を用い、6千万人に0.7%を掛ければ42万人になる。こちらも単純な計算でした。
     
    なお、致死率0.7%は医療崩壊を起こさないことが大前提であり、医療崩壊を起こした国での致死率は3%以上に跳ね上がっておりました。当時最も恐れられたことはコロナ感染拡大による医療崩壊であり、この場合はコロナ患者以外にも被害が広がって大惨事となります。このような事態が、ヨーロッパなど、各所で見られておりました。
     
    西浦氏はその後、年代を区切った計算など、より精緻なモデルを出された様子ですが、少なくとも最初にアナウンスされて日本に衝撃を与えた数字の根拠は、このようなラフなものだったのですね。そして、当時からこの根拠も説明されていたのですが、数字だけが独り歩きしたということもあったように見えます。
     
    AIを使いこなすことも大事なのですが、情報機器が発達した現在、これらを使いこなすために必要な、現象をモデル化する技術を、多くの人が使いこなすことも要請されているのではないでしょうか。西浦氏の技術を学ぶことも大事なのですが、まずは、数理技術を多くの人が身に着けること、これが今日の日本に要請されているのではないかと思います。
     
    コロナが日本でも猛威を振るいだした2020年当初、たまたま私がブランチング・プロセスという数理モデルを扱う研究をしていたこともあったのですが、西浦氏の語る話は至極当然のように私には聞こえたのですね。でも世間には、なかなかこれが理解されない。西浦氏の語る結果だけが独り歩きする。これは大いに問題であったように思えます。
     
    同じ愚を繰り返さないためには、評論家の各氏やジャーナリストの方々も、このような数理モデルに関する基礎知識を身に着けていただきたいところです。そのためには、このようなネットでの議論も無駄ではないように、私には思えます。まあそれが、このようなコメントをつけている、一つの理由であるわけですが。