恥の文化の衰退・・・民主党の文化大革命

2010年12月21日 14:47

民主党政府はまず八ッ場ダム問題で建設継続はあり得ないという強硬な姿勢によって周辺住民の信用を失い、次に普天間問題で沖縄住民と米国の信用を同時に失い、そして尖閣諸島問題では国民全体の信用を失いました。お次は全世界ということになりましょうか。

信を失うということは大変なことで、人格を否定されるに等しい意味を持ち、甚だしい不名誉、恥ずべきことであります。


鳩山元首相は普天間の失政、贈与税の脱税(未遂)、巨額の使途不明金の問題によって大きく信用を失いました。まともな感覚の人なら、政府の信用を失墜させ、国益を損ねたことに対して大いに恥じ入ることでしょう。首相という徴税側の代表が脱税を指摘されるだけでも顔から火の出る思いをする筈です。警察庁長官が窃盗するようなものですから。

しかしその後、臆面もなく表舞台に登場し、引退表明も撤回されました。この方の恥の感覚は理解を超えています。鳩山氏を選び、支持してきた民主党の方々も恐らく恥に対して同様な寛容さをお持ちなのでしょう。

菅首相(または仙谷官房長官、あるいは両方)は尖閣問題で中国船長の釈放は那覇地検の決定であるとしました。見え透いた嘘で責任を逃れるやり方は不誠実であり、卑怯という謗(そし)りを免れません。きっと卑怯を恥と思わない感性をお持ちなのでしょう。胡錦濤主席との首脳会談では、下を向いてメモを読む我らの代表者の姿にむしろ国民の方が恥ずかしい思いをしました。

「君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす」

少々古めかしいですが、これは封建社会を支えた武士の倫理を表したものです。今の日本社会はこれからずいぶん遠いところに来てしまったと、改めて思います。「禁欲的なやせ我慢の美学」から「金銭・物質的豊かさの追求」、武士の倫理から商人の倫理へと変化してきたと言えるでしょう。

40年前に自決した三島由紀夫は日本の現状を憂い「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」と書きました。好き嫌いはともかく、三島の予想は概ね妥当なものであったようです。

以前は名誉を非常に重視した社会であり、名誉を失うことはすなわち恥でありました。つまり名誉は恥という負の感覚によって支えられてきたということができます。両者は表裏一体のものと考えてよいでしょう。

日本人論としてはすでに古典となりましたが「菊と刀」でルース・ベネディクトは日本の文化を「恥の文化」と呼びました。一言でいうと西欧人の行動を規定するものは宗教に基づく内面的な罪の意識であるのに対し、日本人のそれは恥である、という見方なのですが、結構納得させられることが多かった記憶があります。

恥の感覚は日本社会に深く根ざしたものなのですが、日本の「指導者」である両首相の振舞を見ると、「恥の文化」はずいぶん衰退したものだと、改めて思わざるを得ません。

戦後教育は封建社会と関わりのあるものを悉く排除しました。それを素直に受入れ、何の疑問を感じないまま大人になるとこのようになるのでしょうか。もともと宗教の影響が小さく、罪の意識が薄い日本社会から恥の意識を取り除けばどうなるか、なかなか興味ある問題です。

民主党の両首相は政治の指導者としての評判はあまりよろしくありませんが、身をもって恥の意識からの解放を示されたわけで、「文化の指導者」としては優れた資質をお持ちのようです。

この前の米国の民主党大統領候補の選挙中、ヒラリー氏は「オバマよ、恥を知れ」と強い言葉で非難したことがあります。米国でもこんな言い方をするのか、と感心しましたが、恥という意識はむしろ米国の方で生き続けるかもしれません。

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