積極財政では日本経済は再生しない
日本経済再生の決め手を、積極財政主義者は1970年代から常に、従来の経済学の常識の上を行く「魔法の経済学」が存在するといって、手を替え品を替え、無駄でしかない財政拡大政策を主張してきたが、ヨーロッパをはじめ健全な財政政策をとってきた国々がちゃんと成長しているのに、放漫財政の日本は世界最低の経済成長だ。
そこで、彼らはこれまで以上に常識にとらわれない積極財政をやれといっているが、効果があろうはずがない。
それではどうすれば日本経済を立て直せるかといえば、マクロ経済政策を常識的なものにすることだが、財政支出の質向上、そして、日本経済の足を引っ張っている諸政策の根本的見直しも必要だ。
日本経済の足を引っ張る司法制度
そのなかで、私が重視している1つは、司法改革だ。リクルート、ホリエモンや村上世彰、Winnyの開発者である金子勇、カルロス・ゴーンなど、日本経済のこれまでの秩序を変革しようという人が出るたびに、検察はそれを捕まえて動きを封じてきた。改革を邪魔すると、検察では出世するのだ。
そうしたことは、2022年に出した『日本の政治「解体新書」』(小学館新書)でも扱ったのだが、新著『誤解だらけの沖縄と領土問題(増補改訂版)』では、沖縄での日米地位協定の問題を取り上げた。
21世紀になってからの動きを見ると、米国兵などによる事件などが起きるたびに、地位協定の改定が話題になる。
2016年4月には、沖縄県うるま市の女性が殺害され、米軍嘉手納基地内で働いていた元米海兵隊員の米国人男性が逮捕・起訴された事件では、軍属の範囲が広すぎるのではないかという議論が起こり、2017年1月に日米地位協定の軍属補足協定が結ばれ、軍属の範囲を絞るなどの措置がとられた。
PFAS汚染源調査や新型コロナ防疫についての不満も出たし、全国知事会や沖縄県議会からは地位協定の抜本改正の要望が出されている。
米国が問題視する日本の「人質司法」
その一方、米国側からは日本の司法制度の前近代性が問題にされ、極端には日米地位協定を、身柄の引き渡しなどができない方向で改正しろという意見すらある。
2021年に横須賀基地所属の米海軍中尉が、家族と富士山遊覧の帰路に事故を起こし、日本人2人が死亡した事件があった。本人は「急性高山病で意識を失った」と主張したが、禁錮3年の判決を受けた。
しかし、26日間拘束し、弁護人立ち会いなしの取り調べを行ったことから「人質司法」と批判され、地元の上院議員が家族の訴えを受けて議会内で運動し、最後はバイデン大統領まで早期釈放を要望する事態となり、刑期途中で国際受刑者移送制度によって米国へ移送された。日本人としては釈然としないだろうが、中尉は日本の前近代的な司法制度の犠牲者であり「英雄」として迎えられたのだ。
この交通事故については、中尉の言い分には無理があるように思えるが、被告が無罪や情状酌量を主張すると保釈せず、言い分を崩すための取り調べを続けるなどということはせずに、検察も裁判で争えばいいのであって、こうした運用は、釈放されたいがために自白して冤罪事件になるとか、勾留をもって検察が実質上の刑罰とする温床になっている。

東京地方検察庁 Wikipediaより
地位協定改正の前提は司法改革だ
こうした人質司法への海外からの批判は当然だし、たとえば、中国で日本人が拘留され、取り調べを受けた場合に、中国の制度に基づいたものでも日本では厳しい批判がされるから、それと同じなのだ。
私は、この司法制度の後進性は、人権のみならず、新しいビジネス発展の障害になっているという観点からも、日本が抜本的改革に取り組むべき最大級の問題だろうと思う。
そして、これを打破するためには、米国が司法制度改革を、地位協定をドイツ並みにする条件として真正面から要求してくれるなら、大歓迎だとすら思っている。
外圧によって国内改革を実現することは、1980年代あたりにもかなり成功したし、節度さえ守れば決して禁じ手ではないと思う。
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コメント
財政の「量」ではなく「質」を問うべきだという記事の核心には、全面的に賛同します。旧来型の公共事業の延命に象徴されるような消費的支出に偏った財政出動が、潜在成長率を引き上げる原動力になり得なかったことは事実でしょう。ヨーロッパの成長国が、規制緩和やイノベーション創出、労働市場の流動化といった「体質改善」をセットで進めてきたという含意も的を射ています。予算を積むだけの思考停止から脱し、費用対効果を厳しく見極める常識的なマクロ経済政策へ移行すべきだという主張には、異論はありません。
しかし、ここからが本質的な反論です。
記事は「積極財政主義者の主張する無駄な財政拡大」のせいで日本の借金が世界最悪水準になったかのように描いていますが、これはデータと大きく乖離しています。日本の財政赤字が巨大化した最大の要因は、放漫な経済政策ではなく、少子高齢化に伴う社会保障費の構造的な自然増です。年金・医療・介護といった社会保障関係費は、いまや一般会計歳出の三分の一を超え、毎年機械的に膨らみ続けています。この構造を無視して「積極財政派が無駄な拡大を主張してきたから放漫財政になった」と一括りにする論法は、あまりにも近視眼的で、問題の核心を見誤っていると言わざるを得ません。
そして最大の違和感は、記事が「社会保障(現在への分配)」と「未来への先行投資」をまったく区別せず、すべて同じ「放漫財政」として論じている点です。この二つは性質が根本的に異なります。
社会保障は国民の生活を支える防波堤として不可欠ですが、その性質は本質的に「消費・分配」であり、新たな富を直接生み出すものではありません。一方、半導体、送電網、原子力・核融合を含むエネルギー技術、AI計算基盤、大学研究、職業訓練、防災・老朽インフラの更新などは、将来の税収や生産性、そして安全保障に直結する「先行投資」です。両者を同じ箱に入れて「財政支出は全部ダメ」と切り捨てれば、財政は一時的にきれいに見えても、成長率が下がり、結果として税収も伸びず、国家はかえって貧しくなります。
実際、日本はこの数十年、財政再建の名のもとに教育や研究への公的支出を削り続け、国際競争力を落としてきた側面があります。ヨーロッパの成長国が健全化と成長を両立できているのは、すべてを削ったからではなく、社会保障の効率化で浮いた財源を成長分野へドラスティックに集中させ、支出の中身を明確に区別しているからです。
記事が説く「財政支出の質向上」とは、まさにこの区別を明確にすることに他ならないはずです。ところが記事は、質の重要性を唱えながら、社会保障と先行投資を分けて論じる視点が抜け落ちています。「放漫財政の日本」と一括りに断じるだけでは、どの支出を減らし、どの支出を維持・拡大すべきかという肝心の処方箋にたどり着けません。
私たちが行うべき議論は、「積極財政か緊縮財政か」という不毛な二項対立ではありません。「いくら使うか」という規模の争いから、「何のために、どう使うか」という質と方向性の議論へ移行することです。膨らみ続ける社会保障費には制度の根本的見直しというメスを入れつつ、そこで確保した財源で、教育やイノベーションといった先行投資には果敢にリソースを投じる——このメリハリのあるワイズ・スペンディングこそ、記事の言う「諸政策の根本的見直し」の中心に据えられるべきものだと考えます。
本当に問うべきは、財政の量ではなく、その使い道の質と方向性なのです。