沖縄知事選挙も近づいてきたので、沖縄と日本と中国の関係について、『誤解だらけの沖縄と領土問題(増補改訂版)』(清談社)の内容を使いながら連続的に解説していく。今回は総論と2000円札問題である。
沖縄とヤマト(日本本土)と中国の三角関係を考えると、沖縄というところは、ある意味では日本の中で最も中国から遠いところにある存在であり、別の意味では日本と中国の中間にあるということに気づく。

2000円札 Wikipediaより
日本人は渡来人としての弥生人と先住民である縄文人という先祖をもっているが、本土では中国人や韓国人と共通性が高い弥生人が優勢である。ところが、弥生人がやってくる前から日本列島に住んでいた縄文人らしい特質をもつ人たちは、北海道や東北、南九州や南西諸島に多い。特に沖縄では圧倒的な割合を占めているし、言葉も日本語とほぼ同じで、中国語とはまったく似ていない。
琉球王国と明帝国の冊封関係
その一方、鎌倉時代から室町時代になって沖縄でもクニが生まれ始めたが、彼らと日本のつながりは非公式のものにとどまり、明帝国から使いがやってきて朝貢を勧め、冊封国としての琉球王国が成立した。
2000円札の図柄になっている「守礼門」は、中国からの使節を、琉球国王となるべき世子が三跪九叩頭して迎える施設である。「守礼之邦」という扁額にある銘は、中国の皇帝に忠実であることを意味するもので、「礼節が重んじられる国」などという意味はまったくない。

守礼門 Yuzuru Gima/iStock
織田信長が全盛の頃、琉球王尚永のもとへ、明の皇帝が使わした冊封使が来琉し、「琉球はよく進貢のつとめを果たしており、『守礼之邦(帝国に忠実な心がけの良い国)』と称するに足る」という神宗(万歴帝)からの勅諭を伝えた。喜んだ尚永王は「守礼之邦」という扁額をつくらせ、城門に掲げさせたが(1579年)、これが「守礼門」の由来である。
2000円札への採用と発行強行
守礼門が2000円札の図柄に採用されたというので、私は反対意見を産経新聞に書いた。国会でも不適切ではないかと取り上げた議員がいたが、宮澤喜一大蔵大臣は、もう印刷も進んでいるとして発行を強行した。こうした経緯も嫌われたのか、ほとんど使用されないまま、在庫として眠っている。
それにしても、公的機関の観光パンフレットに「守礼之邦というのは、礼儀が重んぜられている道徳的に立派な国という意味」などと書かれていることがあるが、意図的に歴史を歪曲することは売国的行為としか言いようがない。
中国から来る正式の使節は、国王の交代の時に来る冊封使である。国王が死ぬと使節が派遣され、前国王の葬儀が崇福寺で行われた。その後、守礼門の前で国王が三跪九叩頭して使節を迎え、首里城の正殿の前の庭で、「汝○○を琉球国中山王に封ず」という詔書を受け取ったのである。
朝鮮王朝の迎恩門と独立門
実は、ソウルには守礼門と同じ機能をもつ迎恩門という門があった。迎恩門(영은문)は、朝鮮王朝が中国(当時は明、後に清)との冊封関係をもっていた時代に、中国皇帝の使節(天使)を迎えるための公式の門として建てられた。

迎恩門 Wikipediaより
1407年に建てられたのは、朝鮮王朝が成立(1392年)して間もない頃である。1539年、明の使臣・薛廷寵が「迎恩門」と命名した。文禄・慶長の役で破損し、1606年に再び明の使臣・朱之蕃が扁額を揮毫した。しかし、1995年の日清戦争後、独立協会によって撤去され、跡地に現在の独立門が建設された。
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