悠仁さまと愛子さま、初の単独公務と「おことば」
悠仁さまが、2026年8月7日、広島県における「日本スカウトジャンボリー」で、公務の式典で初めて「おことば」を述べられた。19歳と11か月目のことである。
初めての単独公務ということでは、2025年9月24日の大阪・関西万博で、悠仁さまお一人で日本館、ベルギー館などを視察された。これは初の単独公務であり、同じく初の地方公務である。19歳と0か月である。19歳での単独公務は、佳子さまおよび叔母の清子さまと同じである。
ただ、不思議なことに宮内庁はあまりこれを強調しなかった。よく分からないが、愛子さまのときには、2024年5月11日に、皇居の隣にある北の丸・国立公文書館での春の特別展「夢みる光源氏―公文書館で平安文学ナナメ読み!」を見物されたことをもって、単独公務開始だと言っていたはずだ。22歳5か月であった。
単独公務というには、お住まいとご近所の施設での見学とはお手軽すぎる感はあったが、一刻でも早く単独公務を開始してほしいという気持ちだったのだろう。初の地方公務は、2024年10月11~12日、第78回国民スポーツ大会(SAGA2024)関連行事へのご出席のため、佐賀県を訪問された。22歳10か月だった。その後は、ラオス訪問も含めて単独公務が増えているのは喜ばしいことだが、両陛下と3人でというのが多い。
「初のおことば」は2025年5月3日、新宿の京王プラザホテルでの「第23回世界災害救急医学会開会式」であった。このとき、愛子さまは23歳と5か月だった。
愛子さまの場合、19歳の誕生日のときは、新型コロナ禍だったから遅れたのは仕方ないが、せいぜい翌年秋までのことで、20歳になられる少し前からはいくらでもチャンスがあったはずだ。
学業優先とかいろんな考え方があろうが、皇室典範改正が公務の担い手不足の解消がさしあたっての最大の目的であるなかで、やはり眞子さま(16歳で単独公務開始)や佳子さまと同様に公務に取り組んでいただきたかった。

悠仁親王と愛子内親王 宮内庁HPより
皇位継承問題と愛子天皇論
皇位継承問題は、そもそも、2017年の生前退位法で国事行為としての立皇嗣礼を挙行することが定められ、実際に挙行されたのだから、時期については確定済みだし(確定しても取り消せばいいだけという人もいるが、普通は法律まで新たにつくって定めたものを覆すことはない)、悠仁さまは幼少の時から帝王教育を受けてこられたのだから、これをやめるようなことをした国は欧州でもない。
ただ、女性皇族は人気があるので、女性国王待望論はしばしば出る。タイではプミポン国王のとき、シリキット王女への期待が高まったし、ベルギーでも現国王より妹のマルグリット王女のほうが人気があった。
それでも、政界ではいわゆる女系派も、「次世代の皇位継承資格者として悠仁親王殿下がいることを前提に、この皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」ことは了解していたから、愛子天皇論を声高に唱える議員はほとんどいなかった。
ところが、今回の皇室典範改正過程で、政府・自民党がやや強引に、将来ともに男系男子を確定してしまいたがる余計な動きをしたので、愛子天皇論に火を付けた感がある。
まあ、いろんな意見があるだろうが、ヨーロッパでも既に生まれた子には制度改正を適用しないのが原則であるから、国際常識としても無茶苦茶だ。
しかし、それ以上に、悠仁さまと愛子さまのどちらが天皇として向いているかといえば、違いは明確だろう。こうした問題について、『誤解だらけの皇位継承の真実』(清談社)を9月に出版することにして予約受付中だ。
愛子さまの学業・公務への取り組み
本人の素質を細かく論じることはしないが、愛子さまには重責を担っていただく前提としての、学業、社交性、公務への取り組みの実績から、大きな不安がある。
第一は、高校以前にあっても不登校や頻繁な欠席、遅刻が多かったことは横に置くとして、学習院大学の1回生から3回生までの3年間、ほぼ登校されなかった。
1回生時は新型コロナ禍で東京の多くの大学が閉鎖されたので仕方ないが、10月に1度だけカリキュラムの説明会に姿を見せられたのみだった。
2回生のときは、東京のほとんどの大学では許可を得た特殊な状況の学生以外は対面授業が義務づけられたが、愛子さまは出席ゼロだった(学習院では異例にもリモートによる講義を広範に許したが、これはむしろ愛子さまに合わせたのではないか。学習院は皇族に基準を合わせる傾向があることは、藤澤志穂子さんの『学習院女子と皇室』(新潮新書)などに詳しい)。
このころ、陛下も愛子さまの状況を心配されて、記者会見で、「愛子には、感染症が落ち着いて、いつの日かキャンパスに足を運べるようになると良いなとは思います」「皇族にとって、大学在学中こそがもっとも自由を謳歌できる時期。“国民に寄り添う”という姿勢を大事にするためには、ほかの学生と同じように授業やサークル活動に取り組み、ときには“羽目を外す”ことも大切だと、陛下はお考えなのです」と仰っていた。
しかし、陛下の願いにもかかわらず、3回生のときも出席はなく、秋に彬子女王が気を利かせて学習院での展覧会を陛下とともにご覧になったのと、両陛下が訪英中に図書館へ姿を見せられたのと、あとは学年末に卒論の準備でゼミに出られたのみだった。
そして、4回生ではゼミや一部の講義に出席されたものの、いわゆる学園生活を楽しむには至らず、学園祭も変装して見学されたのみだった。
また、日本赤十字社にお勤めだが、ほかのセクションの職員と顔を合わせることはほとんどないように管理されている。
さらに、20歳を迎えられた2020年12月には、前月に記者会見が予定されていたが、学業多忙で(通学されていないのだからありえないが)、4か月延期された。また、非常に大事な行事の一部である伊勢神宮、神武陵、武蔵野御陵への報告は割愛されてしまった。そして、単独公務も遅れに遅れて、いまも低調なままである。
この①大学生としての学園生活はほとんどされなかった、②成年行事の重要部分を遅らせたり割愛されたりした、③単独公務も開始が大幅に遅れて低調なままであるという3つの状況を取り上げただけで、もし天皇に就任された場合に、国事行為を確実にやるべきときにやってもらえるのか、広範な国民との交流ができるのか、心配すべきことは言うまでもなかろう。
悠仁さまについては不安材料がほとんどない
実は、マスコミがよいしょ記事ばかりを目立つように書いているので、国会議員でもこうした秘密でもない事実を知らない人も多いのだが、そのくらい知らないで議論するのはおかしいし、それを知った上で、わざわざ歴史的な制度を根本的に変えてまで愛子天皇にすべきだと主張することが、責任感が強い人にふさわしいとは思えない。
それに対して、悠仁さまについては、ほとんど不安材料はない。学業、帝王教育、体力、社交性、公務への前向きな取り組みなど、何の不安も感じさせない。あるとすれば、天皇陛下と同席して話をする機会を増やすことだ。
また、平成の終わりには天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の3者会談がよく開かれていたが、悠仁さまを入れた4者会談も定期的に開催すべきではないかと思う。
■
【関連記事】










コメント