ネット生保立ち上げ秘話(17)偶然のメール - 岩瀬大輔

岩瀬 大輔

一通のメール

  おはようございます。一点、ご紹介したい人がいてのご連絡です。

  Kさんという32歳、X生命で過去2年ほど実質社長室長のような動きをしているユニークな方がいます。僕は彼がレンスラー工科大学で留学していたときからの付き合いなのですが、アンダーセンでの3年を経て、古い生保業界に変革を起こそうとしている方です。

  昨日久しぶりにゆっくり話す機会があったのですが、なんと岩瀬さんの本を私費で50冊購入して、X生命の取締役全員に読むように訴えた、というくらい岩瀬さんがやろうとしていることに刺激を受けているとのことでしたよ!


  彼の勤めている会社はやはり旧態依然として動きが非常に遅いと問題意識を持っている方です。Xの社員としてのご紹介、というより人間としてのKくん、その発想力、業界活性化なりのための情報交換の機会として、もしご都合つくようであればお二人で会っていただければ嬉しいなぁ、と思ってのご紹介です。

  彼の詳しいバイオ等、必要であれば追加でお送りしますが、もし興味あるようであれば連絡先等お送りするのでお知らせくださいませ。

そして、このKとはじめて会った日の、夜のメール:


  岩瀬さん

  今日は有難うございました。

  先ほど、またお邪魔させて頂き、出口社長とお話させて頂きました。すでにお聞き及びかもしれませんが、一緒に夢を追いかけさせて頂く事になりました。あまりの急展開に、自身の処理能力が追いついていない状況ですが、少しでもお力になれるよう、やり抜く覚悟です。

  今後ともよろしくお願い致します。

  取り急ぎ、お礼とご連絡まで。
  有難うございました。

  K

 まさか、初めて会ってその日に入社契約書をサインするとは・・・物事が動く時には、運命的に進むのだなぁ、と痛感した瞬間だった。

少しずつ広がる認知

 開業準備が進むにつれて、少しずつだが、社外に向けてネットライフに関する情報を発信し、知ってもらう機会に恵まれるようになった。

 2007年12月3日には、総合情報誌FACTA主催のトークイベントが行われた。テーマは「生命保険はネットで買えるか?」。同誌編集長の阿部重夫氏の司会のもと、当社社長の出口と、凄腕FPとして知られる大坪勇二氏が議論した。

 会場となる秋葉原のUDXカンファレンスは、彼の地の再開発の象徴とも言えるモダンで大きなビル。平日の夜かつ有料イベントであるにもかかわらず、130名を超える参加者が集まり、会場は熱気に包まれた。

 開始前には、「ネットで生保は売れる」という立場の出口と、「対面のコンサルティングセールスでないと売れない」という立場の大坪氏で議論が分かれるのかと考えていた。

 しかし、蓋を開けてみると、大坪氏は

「売れる、売れないという問題ではない。手厚いコンサルティングを望む富裕層は存在する反面、シンプルで安価な商品を求めている層が、最近になって特に増えてきた」
と話してくれた。

 終了後には、大勢の方が名刺交換をして温かい言葉をかけて下さり、特に多くの業界関係者の方々が、「問題意識は我々も同じです。一緒に業界を良くしていきましょう」と声をかけてくださったのが、とても嬉しかった。
 
 何もない、ゼロから出発する会社が多くの人の信頼を勝ち得ていくためには、顔を見えるようにして、自分たちの想いを伝えていくことが不可欠だ。会社はまだよちよち歩きだが、多くの人に助けられ、励まされながら、外に向けた「発信」がちょっとずつ始まった。

「出口さん、それは生保業界人の『常識』です」

 当社にとって2007年のビッグイベントの一つとなったのが、年末のテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」で取り上げて頂いたこと。まだ準備企画会社に過ぎない我々がテレビに出ること自体おこがましいのだが、テレビ局からのありがたいお申し出があったため、受けさせて頂くことにした。

 テレビ収録というのはよく知られているように、何時間も撮ったあげく、ほんの少しだけしか使われないというのが常。今回も、何度も撮影クルーがいらして頂き、いろいろな場面をカメラに収めて下さった。当日は、大きなニュースがあったこともあり、約3分間の登場でしたが。

 また、「一瞬で『絵』になる映像」というものがなくてはならないので、オフィスでPCの前で準備をしているだけの当社にとっては、なかなか難しい。「こんなこともやってますけど!」と話しても、ディレクターの方に、「うーん・・・おもしろくないんですよねぇ・・・」と言われてしまうことも何度も。

 打合せ風景の撮影では、番組で取り上げて頂けそうな「決め台詞」を狙って発言をする輩まで出現。これは秋ごろの衛星放送の別のニュースで取り上げて頂いた際なのだが、社内で「社長と若手が議論する」というシーンで、社長の出口の、

「それは常識で考えて分かるんじゃないかなぁ」

という発言に対して、大手ネット企業出身の(つまり、生保業界ではない)Iが、待ってましたかのごとく、

「出口さん、それは生命保険業界の方の『常識』です。一般の方には、それは通じません」

というセリフを絶妙なタイミングで言い放って、思惑通り本番で採用される、ということもあった。

 今回は、有名ブロガーの方々に当社のウェブサイトを見て評論して頂いていくという場面で、辛口な批評を受けて渋い顔をする岩瀬、というシーンが採用されていた(注:決して狙った訳ではなく、本気で落ち込んでいたのですが・・・)。

 スタッフでワイワイ熱く語り合っている場面も撮りたいということで、近所の行きつけの居酒屋に、ハンドカメラを持ったディレクターの方と一緒に、繰り出した。最初はカメラを意識して軽めの議論をしていたのだが、途中から皆、カメラの存在を忘れて熱く激論。結局、アツすぎて本番では不採用となりましたが。

 開業前で、具体的な活動内容のほとんどが、現在開発中でまだ公開できないことも撮影を難しくした。あれもダメ、これもダメ、と言っているうちに映して頂ける内容がほとんどなくなってしまったため、新しいウェブサイトのイメージはちょこっとだけ、画面で映して頂くことにした。

 このような何日もの収録を終えて、いざ当日。ある忘年会を早く後にして、急いで家に帰ってテレビに向かった。親戚に次から次へと電話してしまう、ミーハーなワタクシ。

 特集は、「生保の流通が変わる」といった内容で、銀行窓販に特化している外資系生命保険会社、新興の来店型代理店が取り上げられたあとに、当社の挑戦が取り上げられた。見ている方は3分よりもずっと長く感じられ、新しい会社立ち上げのダイナミズムを上手にとりまとめて下さったように思った。

 終わってから、興奮して、同僚のBとFの携帯に電話をかけた。見た、見た?

 F:「え?今日、なんかありましたっけ?あ、そうか~。いま、家についたところです~」

 B:「(眠そうな声で・・・)もしもし・・・え、なんですか?あぁ、そうなんですかぁ。忘れてました」
・・・
もしかしたら、2007年のビッグイベントだと思っていたのは、僕だけだったかも知れません・・・ でも、とってもいい記念になりました。

HBSの先輩が投資家に 

 ファラロンに続いてもう1社、10億円の投資を決めてくれたグロービスは、灯台下暗しだった。創業者で社長である堀義人氏はHBSの大先輩であり、キャンパスで話を聞いたり、終わってから在校生を連れて食事をご一緒したことがあった。渡米した当時は、彼が著書で書いた「起業家こそが米国ではもっとも尊敬される」といった文に刺激を受け、グロービスという社会人向けの学校を資本金80万円で手作りでスタートしたことなどにも感銘を受けていた。しかし、日本ではかなり古くからやっていることになる、同社のベンチャーファンドから出資を受けよう、という考えは浮かばなかった。技術系のベンチャー企業に数億円規模の出資を行うファンド、というイメージが強かったのかも知れない。

 同社に出資を依頼しようと考えたのは、グロービスのVCから独立して自ら小さなファンドを運営する小林雅氏と久しぶりにランチをしたことがきっかけだった。ホテルニューオータニの中華でチャーハンをつまみながら、前職時代の話を聞いているうちに、「うちみたいなところに出資はしないですよね」と聞いてみたところ、「興味は持つと思うし、いい株主になると思いますよ」というアドバイスをもらった。

 オフィスが同じ麹町で徒歩5分ということもあり、投資審査のプロセスは極めてスムーズに進んだ。これまで数百、数千近いベンチャー企業への出資を検討し、数十社へ投資を実行している彼らは、ベンチャー投資の本質をもっともよく理解しているようだった。市場の分析をきちんと行い、そこに事業機会があることが確認できれば、あとは経営陣の力量次第である。開業すらしていない段階で、収支計画をどれだけ細かく叩いてみても、それは机上の空論でしかない。収益が出るコスト構造がきちんと作れることに確証が持てれば、あとは経営陣とともに事業を作っていくだけだ、というスタンスだった。

 同社のチームは、困ったときに情報を隠すのではなく、真っ先に相談に行きたくなるようなメンバーであり、3月頭には十億円の投資を決議してくれたことが、ファラロンと同様、資金調達に大きな弾みをつけた。

上場企業の社長が送ってきた一通のメール

 そしてもう一社、思いがけないところから十億円の出資を決めてくれ、助け船を出してくれたのが、インターネットサービスプロバイダーを運営する「朝日ネット」だった。東証一部に上場しているこの会社は売り上げは約六十億円と、規模は必ずしも大きくないが、10年近く利用者満足度調査で1位を獲得し続けており、一般的には薄利と考えられているこの業界において、20%を超える驚愕の営業利益率を上げ続けているエクセレントカンパニーだった。

 2007年11月、[email protected]という問い合わせのメールアドレス宛てに、同社の山本公哉社長からメールが舞い込んだ。金融のことは詳しくないが、ネットライフのHPを見て、シンプルで安く、顧客のことだけを考えるという理念に共鳴した、ということで、何かしら協業できないか、との申し出だった。今から思えば失礼なことだったが、ISPと当社の協業というのがピンとこなくて、数週間、返事を留保していた。そこを松岡が拾ってくれて、返信をしてすぐに面談をしていた。そしてこの面談時に、山本社長から資本参加の可能性を打診されていた。

 この時点ではまだ投資銀行や投資ファンドを中心に当たっていたため、出資の依頼は強くは行わなかった。しかし、年明けになると出口が直接銀座の本社を訪問し「単刀直入にお話しします。十億円、出資をしてください」と依頼をしていた。

 山本社長が僕らのことを知ったのも、まったくの偶然だった。最初に僕らのことを知ったきっかけは、たまたま「ハーバードMBA留学記」を手に取ったことだったそうだ。それから上場時に、機関投資家を回っていたときに、谷家さん率いるあすかアセットマネジメントを訪れていたそうだ。それから記事で再び我々を目にし、興味を持ったということだ。しかし、上場企業の社長が自ら、会社の問い合わせページ経由でメールを出してきて、しかも十億円の出資を決めてくれたというのだから、奇跡に近い。

 お金も集まり、チームも拡充され、いよいよ、開業が見えてきた。

(つづく)


過去エントリー

第1回  プロローグ 
第2回  投資委員会 
第3回  童顔の投資家 
第4回  共鳴   
第5回 看板娘と会社設立 
第6回 金融庁と認可折衝開始
第7回  免許審査基準
第8回 100 億円の資金調達
第9回  同志
第10回  応援団
第11回 金融庁の青島刑事
第12回  システム構築
第13回  増えていくサポーター
第14回  夏の陣
第15回  伝説のファンド、参戦
第16回  ラッキーカラーはグリーン