オーストリアと韓国は相性がいい!

潘基文前国連事務総長(任期2007~2016年)は退官後も頻繁にウィーンを訪問する。そのたびに同氏は、「オーストリアは私の第2の故郷です」という。これは外交官時代に身についたリップサービスではない。本当にオーストリアが好きなのだ。理由はちゃんとある。同氏の外交官としての輝かしいキャリアはウィーンから始まったのだ。駐オーストリア大使を皮切りに、ソウルに帰った後、2004年から2006年まで外相(外交通商部長官)を務め、その後は国連事務総長として出世街道を邁進していった。

▲「グローバル市民のための潘基文センター」設立記者会見、左・潘基文氏、中央・クルツ首相、右・オーストリア前大統領のフィッシャー氏(2018年1月3日、オーストリア連邦首相府内で)

▲「グローバル市民のための潘基文センター」設立記者会見、左・潘基文氏、中央・クルツ首相、右・オーストリア前大統領のフィッシャー氏(2018年1月3日、オーストリア連邦首相府内で)

ウィーンは同氏の出世の道を開いてくれた運のいい街だ。感謝しないほうが可笑しい。それだけではない。同氏の名前を付けた「グローバル市民のための潘基文センター」(NGO)が昨年1月3日、ウィーンで設立されたばかりだ。韓国はオーストリアとは俗にいう「ケミーが合う(相性がいい)関係」なのだ。以下、その点を説明する(「潘基文氏の退職後のライフワーク」2018年1月7日参考)。

韓国の初代大統領、李承晩氏(在任1948~60年)の奥さんはオーストリア人女性、フランチェスカ・ドナーさんだった。奥さんは韓国で生涯を終えた。韓国でハンセン病が広がった時、最初に支援に乗り出したのはオーストリアのカトリック修道女たちだったという。中欧の小国オーストリアと極東アジアの韓国の間の人的交流の歴史は長い。

このコラム欄で少し書いたが、オーストリアと韓国両国の戦中、戦後の政治情勢は案外似ている。ハプスブルク王朝が崩壊した後、オーストリアは共和国(第一共和国)となったが、多くの国民はその精神的支柱を失った。その時、ナチス・ドイツが1938年、オーストリアを併合した。多くの国民は併合を喜び、ヒトラーのウィーン凱旋では20万人の市民が歓迎した。その一方、オーストリア国内でも反ナチス運動が展開され、多くの国民がその犠牲となった。ナチスに対する強い抵抗運動があったのだ(「ヒトラーの『オーストリア併合』80年」2018年1月3日参考)。

第2次大戦の敗北後、オーストリアは「モスクワ宣言」に基づき、ナチス・ドイツの最初の犠牲国として歩きだしたが、国是として中立主義を掲げ、国連をウィーンに誘致した(ドイツとオーストリアは言語は同じだが、ドイツ人はゲルマン民族であり、オーストリアはケルト民族)。

韓国は日韓併合後、約40年間、日本の統治下あった。韓国内では日本の植民地化を潔しとしない独立・抵抗運動もあったが、日本の統治下で国の発展に積極的に乗り出す国民が出てきた。韓国は第二次大戦では旧日本軍と一緒に連合軍と戦った。敗戦後は、再独立して経済発展に乗り出したことは周知の事実だ。

一方、韓国は戦後、軍事政権を経て民主主義国として再スタート。為政者たちは国民の結束を強め、愛国心を鼓舞するために旧支配国・日本への「反日」カードを駆使してきた(「韓国よ『反日』と『愛国』は全く別」2018年11月25日参考)。

興味深い点は、朝鮮半島が南北に分断された後、北朝鮮は民族の自主性を強調する「主体思想」を掲げて民族の復興に乗り出した一方、韓国は旧統治国への憎悪を国民の結束の原動力に利用していったことだ。民族の自主性を強調する北朝鮮に対し、韓国はひけめを感じてきた面が否定できない。

韓国聯合ニュースによると、「金正恩朝鮮労働党委員長は南東部の景勝地・金剛山を視察した際、韓国側と共同で進められた金剛山観光事業を『南(韓国)に依存しようとした先任者の政策は大変に間違っていた』と批判し、南側の施設をすべて取り除き、金剛山の自然景観にふさわしい現代的な施設をわれわれ式に新たに建設すべきと指示した」という。金正恩氏の発言の真意は明らかではないが、北にとって民族の自主性、主体性が常に重要となるわけだ。

戦後、オーストリアは中立主義を掲げ、1990年代後半に入って戦争責任を認めたが、韓国は「反日」に固執し、日韓併合、大戦の敗北といった事実を直視できずにきたわけだ(「韓国はオーストリアに倣え!」2019年10月23日参考)。

ちなみに、オーストリアには「韓国・オーストリア友好協会」と「北朝鮮・オーストリア友好協会」の2つの団体が存在する。冷戦時代は双方の交流はまったくなかった。北朝鮮はウィーンに欧州工作の拠点を構築する一方、フィッシャー大統領ら政界の要人との人脈を作り上げていった。韓国は国民議会議長の国民党幹部を友好協会の議長に迎え、後者と対抗してきた歴史がある、といった具合だ(「ウィーンで展開された『北』工作活動」2017年11月29日参考)。

ただし、冷戦が終焉し、文在寅大統領の南北融和政策もあって、両者の友好協会の壁は壊れ、双方の交流が進められてきている。韓国の建国記念日の祝賀会にはフィッシャー氏や「北朝鮮友好協会」のエデュアルト・クナップ会長の姿も見られるなど、南北の融和は現実化してきた(「韓国『開天節』ウィーン祝賀会風景」2019年10月4日参考)。

潘基文氏の「オーストリアは私の第2の故郷」という発言は、もちろんモーツアルトやシューベルトらが活躍した「音楽の都」だからではなく、やはり両国の歴史には酷似している部分があるからだろう。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年10月25日の記事に一部加筆。