ゆく年を振り返る時、思い浮かぶのはあの人の在りし日の姿——。
新型コロナウイルスという未曾有の危機に、世界が揺れた2020年。コロナによる予期せぬ突然の別れも、各界でありました。今年もアゴラ記事を中心に振り返り、読者の皆様と一緒に故人を偲びたいと思います。
三宅雪子さん 元衆議院議員、フジテレビ記者 享年54 1月2日、遺体で発見される
政治家、外交官一家の生まれで、フジテレビを経て、「小沢ガールズ」として2009年に初当選。政界復帰を目指すさなかの突然の訃報に、アゴラにも追悼記事が続々と寄せられました。
三宅さんの元政策秘書で政治アナリストの藤川晋之助さん
三宅雪子さん、切ない結末でした。私が死ぬならまだしも、年末はあんなに元気だったのに愕然とするばかりだ。「来年は政治復帰したいから藤川さん真剣に考えてよ」。そう言っている彼女の顔と声が浮かぶ。
国会議員に不意になってしまったことの悲劇のようなものを感じる。当選するとちやほやされるが、元議員は何だか寂しい雰囲気が漂う。政治から脱皮出来ずにもがいていた浪人生活。それでもルポライターとして政治周辺の情報を集めて最後まで熱く語っていた。
(出典:アゴラ「さようなら三宅雪子さん。元政策秘書より追悼の辞」1月9日)
亡くなる直前まで連絡を取り合っていた常見陽平さん
「常見同志!」とTwitterでよくメンション、DMをくれた彼女はもうこの世にはいない。「同志!」と互いに呼びつつ、小さな違い、いや大きな違いすらあったかもしれないけれど、大きな同じはあったはず。それは自由に生きている風で、生きづらさを抱えていたということ。
(出典:アゴラ「三宅雪子さんのこと 生きづらさとの向き合い方」1月7日)
コービー・ブライアントさん 米バスケットボール選手 享年41 1月26日、カリフォルニア州で自家用ヘリが墜落し、死去
世界的スターの突然の事故死は世界に衝撃を与えただけでなく、米国内では当たり前のように利用されている自家用ヘリや自家用ジェットの安全性を疑問視する声もあがりました。
コービーさんより上の世代のスターとして、しばしば比較もされたマイケル・ジョーダンさんは「いい表しようのない悲しみだ。彼は私にとって弟のようだった」とする声明を発表。
(出典:アゴラ「【訃報】元NBAの大スター、コービーさんの事故死に悲鳴…」1月27日)
トランプ大統領は「恐ろしいニュースだ」とツイッターで発信し、トランプ氏の政敵でもあったバラク・オバマ前大統領も「バスケット選手としてレジェントだったコービーは素晴らしい第2の人生を歩み出したばかりだった」と嘆いている。
米国では秋に大統領選挙が実施されるから、国内は共和党、民主党の候補者関係者の間で激しい論争、批判合戦が展開中だ。その意味で、米国内は共和・民主の2大政党の支持者で分裂している。その時、ブライアント氏の死が伝わった。論争していた政治家、国民は激しい口撃戦を止め、ブライアント氏の突然の訃報に唖然となり、悲しみに沈んだ。
(出典:アゴラ「ブライアント氏死去:「悲しみ」は連帯と優しさが生れる時」1月29日)
野村克也さん プロ野球ヤクルト、阪神、楽天元監督 享年84 2月11日、虚血性心不全のため死去
野村さんの苦労人としての歩みはプロ野球ファンには改めて語るまでもないと思うが、京都北部の田舎町に生まれ、父親は戦時中に死去。母子家庭で貧しい環境にもめげず、テスト生として1954年、南海に入団した。そうした身の上を「月見草」に見立て、六大学から巨人に華々しく入団した同学年のスター、長嶋茂雄さんを「ひまわり」にたとえたことはあまりにも有名だ。
ただ、「凡才」だからこそ努力を惜しまず、のちのID野球につながるデータを徹底活用する、といった野球への地道な取り組みが、不世出の捕手として実働27年、45歳までの選手キャリアへの道をつくり、さらには引退後の監督マネジメントの礎をつくった。
(中略)
野村さんのノウハウは、経営者をはじめ、世のビジネスパーソンにも広く支持され、スポーツ指導者のマネジメント術を、実社会のビジネスマンが学びの一つにするというジャンルを切り開いた。
出典:アゴラ「野村克也さんの球界の地位を上げたイノベーション」2月11日)
志村けんさん コメディアン、元「ザ・ドリフターズ」 享年70 3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎のため死去
3月25日に所属事務所がコロナ感染と入院の事実を公表。日本中が回復を祈る中の訃報に、悲しみが広がりました。どこかまだ対岸の火事のように感じていた「コロナの脅威」を日本人が身近に捉え、警戒心を高めるきっかけになったのではないかという指摘も多く見られました。
幼い頃からドリフファンだったという常見陽平さん
最後まで仕事の鬼であり、プロであると私は勝手に感じていた。病気を克服して「だいじょうぶだぁ」と叫んでほしかった。
ありがとう、志村けん。
人類はコロナと向き合い、この困難を乗り越えることを祈っていて欲しい。そのとき、私たちは天のあなたに向かってこう叫ぶだろう。
「だいじょうぶだぁ」と。
(出典:アゴラ「『だいじょうぶだぁ』と叫んでほしかった 志村けんさんのこと」3月30日)
石破茂氏は、遺族が火葬にも立ち会えないことに疑問を呈しました。
志村けんさんが亡くなり、ご遺骨となって自宅に戻った時、兄の知之さんが「入院中も会えず、(ご遺体は)そのまま火葬場に行き、家族は火葬場に行くことも、立ち会うことも、骨上げも一切出来なかった」と涙ながらに語っておられ、誰を非難するのでもない態度は誠にご立派だと思いました。しかしこの報道を見て「新型コロナで死んでしまったら、死に顔も見てもらえず、骨も拾ってもらえない。なんと恐ろしい病気なのだ」と思われた方は多いと思います。
(出典:アゴラ「ご葬儀、マスク、経済対策など:志村さん火葬に遺族が立ち合えぬ不思議」4月4日)
岡本行夫さん 外交評論家、元外交官 享年74歳 4月24日、新型コロナウイルスに感染し、死去
3月までテレビに出演していた。突然の訃報だけに、政界やメディアの関係者ばかりでなく、一般のネット民の間でも衝撃が広がりました。
岡本さんを番組のゲストに何度も呼んで共演していた田原総一朗氏は「外交、特にアメリカに対しては、岡本さんのセンスと知識をとても信頼していた。大変残念です。小渕恵三氏も野中広務氏も岡本さんをとても信頼していた。」と偲んだ。
(出典:アゴラ「外交評論家、岡本行夫さんのコロナ訃報に深夜のネット衝撃」5月8日)
岡本氏が外交官だった頃から親交の深い石破茂氏
アメリカをはじめとする日本外交を知り尽くした上での冷静な分析力、透徹した確固たる歴史観、祖国日本と人々に対する限りなく温かい眼差しを持った方でしたし、いつの時にも心のこもった見事な文章やスピーチを披露される方でした。
(出典:アゴラ「緊急事態宣言延長、岡本行夫氏逝去など」5月9日)
【年末特集】ネット記事で振り返る「追悼2020」②は12月29日朝、掲載予定です。