表題の「深慮遠謀」には、意図して「謀」ではなく「望」の字を使った。安倍元総理の「非業の死」を国葬で送るかどうかを巡る目下の国内の状況に接し、筆者は「死せる孔明生ける仲達を走らす」との故事を思い出したのだが、用語辞典「イミダス」が以下の様にその故事を解説しているからだ。
優れた人物は死んでも生前の威風を備えていて、生きている者を恐れさせるというたとえ。中国の三国時代、蜀の諸葛孔明は五丈原で魏の司馬仲達と対陣しているときに病死したが、これを聞いた魏の軍勢は即座に追撃を開始した。ところが蜀軍は反撃の構えをとったため、孔明の死は謀略ではないかと恐れ、魏軍は退却したという故事にもとづく。
名将仲達ですら「孔明の死は謀略ではないかと恐れ」た訳だが、「謀略」とは「相手を陥れるためのはかりごと」(新明解国語辞典)の意。確かに安倍元総理は死しても、良くも悪くも国民を走らせているが、何もそれは彼が「謀った」のではなく、「生前の威風」がなせる業だ。
「アベノセイダーズ」は元総理を「謀略家」にしたいかも知れないが、元総理の人柄を、例えばマイケル・グリーン氏(※)は、その「温かい振る舞いにいつも感動」したと述べ、「安倍さん」は「共に働く仲間に対して誠実で、それゆえ、周りの人間は『この人をずっと慕っていきたい』と感じた」とし、そのことは、インドのナレンドラ・モディ首相などから寄せられた「心動かされる賛辞に見ることができます」と評している。
※ シドニー大学アメリカ研究センターCEO。CSISシニア・アドバイザー。ブッシュ(子)政権のNSCアジア担当大統領補佐官兼上級アジア部長。
だから筆者は「謀」の字を使いたくなかった。とはいえ、平川祐弘東大名誉教授が7月14日の産経新聞「正論」に寄せた「安倍晋三元首相の葬儀を国葬に」で、「非業の死」を遂げた安倍氏はなぜ「伊藤博文と並んで、世界的大政治家であり得たか。二人とも世界史の中の日本の位置と進むべき方向がよく見えた例外者であったからである」と述べたように、「日本の位置と進むべき方向がよく見え」ていた安倍元総理は「深慮遠望」の人だった。
元総理の数多ある治績で、筆者は「深慮遠望」の最たるものとして「改正教育基本法」に指を折る。「国家百年の計」である「教育」こそ国を形成する基盤で、そのことは反日教育を推進している中国や韓国が、日本の報道各社が82年に「日本史教科書の中で4中国・華北への『侵略』という表記を『進出』という表記に文部省の検定で書き直させられた」と誤報したことに起因して、日本の教科書検定に難癖をつけた結果の「近隣諸国条項」を思い起こせば判る。
この出来事は、歴史教育が自国民に及ぼす影響や効果をこの反日両国が熟知している様を雄弁に物語るし、また朴槿恵元大統領が、左傾や反日が行き過ぎた教科書を是正すべく国定化を進めたことが、親北で左派の文在寅をしてロウソク革命を使嗾し、朴槿恵を弾劾した主因らしいことからも知ることができる。
台湾では、李登輝元総統が90年代に歴史教科書の記述を、それまで台湾の記述が1割程度しかない大陸中心の内容だったものを、台湾を主体とする教科書「認識台湾」に改訂した。その結果、自らを台湾人と見做す「台湾人アイデンティティ」を持つ者が、90年代半ばの20%前後から急激に増加し、20年には67%を超えるに至った(若林正丈氏と台湾政治大学選挙研究センターの共同世論調査)。
米国でも、左派リベラル紙「ニューヨークタイムズ」が繰り広げた「1619プロジェクト」を、大統領選の投票日前日にトランプがそれを否定する「1776委員会」を大統領令で設置したものの、民主党バイデンが大統領就任日に、それを廃止する大統領令に署名した経緯がある。詳細は拙稿「トランプの『1776委員会』は米国社会の分断に終止符を打てるか」をお読み願いたいが、安倍元総理の盟主トランプは自虐史観を否定した。
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戦後間もない47年3月の「旧教育基本法」と06年12月の「新教育基本法」の新旧対照表を見ると、「新教育基本法」には、安倍元総理が目指した「戦後レジームからの脱却」を、「教育」を通じて具体化していこうという意思(遺志になってしまった)が随所に垣間見える。
例えば「(教育の目標)第2条 二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと」との文言に筆者は、日本人の労働観を取り戻すことと共に、鄧小平の改革開放が「韜光養晦」と気付かず、また民主党政権の円高放置もあって、空洞化させてしまった日本の製造業を国内に回帰させるという元総理の「遠望」を感じる。
また「五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」や「(生涯学習の理念)第3条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない」の記述は、安倍元総理が自らそれを実践し、体現したことだ。
その結果が、今回の「非業の死」に各国要人から寄せられた最大級の感謝と賛辞に溢れた哀悼の辞に現れている、と筆者は実感する。自らも歴史教科書の出版に取り組んでいる竹田恒泰氏は西尾幹二氏との対談書「女系天皇問題と脱原発」の中で「高校の公民の教科書では、たった三行しか天皇について書かれていない」ことを嘆じている。そんな教育のままで良いはずがない。
そこで最後に「国葬」に触れたい。
筆者は先の拙稿で、「直前の選挙で勝利した時の総理大臣」が、「憲政史上最長の8年8か月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力をもって総理大臣の重責を担い、東日本大震災からの復興や日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開などさまざまな分野で実績を残すなど、その功績はすばらしいものがある」と述べて行うとした「国葬儀」に賛同した。
一部には「世論聞け」などと反対を叫ぶ者もいるようだ。が、その世論とは「法令上の規定もないのに、国会を開かずに一方的に閣議決定するのは民主主義に反する。世論の分断と対立もあおりかねない」(22日東京新聞)などとするものであり、また「税金使うな」などと言うのもあるようだ。
だが、民主主義を言うなら安倍政権の「憲政史上最長の8年8ヵ月」は、民主主義の基本である選挙の結果だ。「自民党が選んだだけではないか」との屁理屈もあるが、安倍自民党は空前の国政選挙6連勝を果たしている。それに次ぐのは佐藤栄作と吉田茂の5連勝で、この二人は連続総理在位でも、安倍晋三の2822日に次ぐ2798日(佐藤)と2248日(吉田)を誇る。そして吉田は「国葬」、佐藤は「国民葬」だった。
先述の竹田・西尾の対談本で竹田氏は、皇室の財政に触れて、それを税金ではなく国民の寄付で賄うことを提案している。安倍元総理の「国葬」に「税金使うな」という論があるなら、それこそ国民から寄付を募ったらどうだろう。天皇陛下と日本国民は強い信頼で結ばれている。国民を信頼するお気持ちの人一倍強かった安倍元総理に、私も細やかに報いたい。