テキサス州知事の台湾訪問に思うこと

5月20日午前、台湾総統頼清徳と副総統蕭美琴の就任式が行われた。2000年に民進党陳水扁が国民党から政権を奪取して後、08年には国民党の馬英九、16年からは民進党の蔡英文という具合に、両党が2期ずつ政権を担ってきたが、今回初めて民進党が同一政党3期目の政権を担うこととなった。

各国の要人が就任式に参加する中、日本からの超党派議員37人は史上最多と台湾紙が報じた。が、彼らがそこから何を発信したかは絶えて聞こえてこなかった。米国代表団の5人も、前例通りの政府高官2人、台湾専門家1人、AITの理事長および所長だったが、これも影が薄かった。

そこへ行くと、米代表団とは別個に参加したポンペオ前国務長官は、民間人の気楽さも手伝ってか、あるいは次期トランプ政権での猟官を意識してか、ここでも従来からの持論を次のように述べて、存在感を示した。

中国が台湾制圧に近づく分だけ、米国は「一つの中国」から遠ざかる
トランプ政権下で閣僚の訪台にまでに深化した米台関係が今後どうなるか、総統府や台湾人はハラハラしながら米大統領選後の動きを見守っていることだろう。そこで本稿ではポンペオ国長官が11月12日、テレビショーで「台湾は中国の一部ではない」と...

台湾は主権独立国家だ。米国はそれを承認すべきだ。これは事実であり、正義に対する堅持でもある。全世界の安定への一歩でもある。台湾は中華人民共和国と中国の代表権を争っていない。いま大多数の台湾人は台湾だけを認めている。そのため、米国は戦略における曖昧政策を終え、戦略上の必要性と道徳に基づいて台湾は主権独立国家だと承認すべきだ。

ポンペオが共和党の保守外交の雄なら、内政の雄の一人はテキサス州知事グレッグ・アボットであろう。若い頃に事故で下半身不随となって30年、不屈の精神が彼の車椅子生活を支え、国境の壁建設や不法移民バス移送を継続した。結局門前払いされたが、テキサス州はジョージア、ミシガン、ペンシルベニア、ウィスコンシンにおける20年の大統領選結果の無効化を最高裁に求めもした。

「国境の壁」建設再開と「移送」に見る不法移民問題の難しさ
マヨルカス国土安全保障(DHS)長官は7月28日、アリゾナ州ユマ郡の「国境の壁」の隙間を埋めることを許可し、ダグ・デューシー知事(共和党)は8月12日、工事再開の行政命令を発行した。昨年1月の就任直後にバイデンが乱発した、トランプの政策を否...
米国も韓国並み?最高裁壟断を目論むバイデン民主党
文大統領が韓国大法院(最高裁判所)の長に、高等法院の経験すらない子飼いの地方裁判所長の金命洙を抜擢した意図が、いわゆる徴用工や慰安婦に係る一連の反日裁判の操縦や、退任後の自らの保身を図ることにあったことは、後に起こっている事態を見ればほぼ間...

そのアボット知事が7月7日、州の経済発展代表団を率いて頼総統を表敬訪問した。訪台の目的は台湾とテキサス州の「経済発展協力に関する覚書」の締結と台北への「テキサス州在台事務所」(State of Texas Office in Taiwan)の新設で、同所は今世紀にメキシコ以外で初めて設立される同州の海外事務所である。

注目すべきプロジェクトの1つは、22年に公表された台湾のシリコンウエハー企業「Global Wafers」のテキサス州シャーマン市への工場進出だ。この事業は米国の半導体サプライチェーンの問題に資するだけでなく、約1500人の雇用創出により州の地域経済強化にも繋がることが期待されている(7日の『Newsweek』)。

この『Newsweek』記事を読んで、斯くも米台の紐帯は強固なのかと驚いたのは、テキサス州が台北に事務所を開設する23番目の米国州であることだ。アボット知事はこう述べている。

テキサス州も米国も、世界全体の将来にとって強い台湾が重要であることを理解している。台湾とその将来を強化するために私たちができる最善策の一つは、経済関係を拡大し、台湾が経済的にさらに強くなることだ。

頼清徳総統と会談するグレッグ・アボット州知事 同州知事Xより

ポンペオ氏といい、アボット氏といい、台湾贔屓のわが身には頼もしい限りだ。が、テキサスの来し方を多少知っている筆者には、少し思うところもある。後半はそれを述べる。

「Global Wafers」が工場を立地するテキサス州シャーマン市の名は、テキサス独立戦争の英雄シドニー・シャーマン将軍(1805年-73年)に因む。その戦争は、当時はメキシコだったコアウイラ・イ・テハス州の「テハス(Tejas)」がメキシコからの独立を目指して、1835年10月から約半年間行われた。

メキシコの一州の独立戦争に米国の将軍が加担するのにはこういう訳がある。当時の米国は「マニフェストディスティニー」を合言葉に、インディアンを蹴散らして西部の開拓に邁進していた。そしてミシシッピ川以西の開拓は、それまでにフランスとスペインが拓いていたルイジアナから始まった。

1803年、就任3年目のジェファーソン大統領は214万km2(日本の約6倍)のルイジアナを僅か1500万ドルでナポレオン治下のフランスから購入、12年には州とした。西漸は、英国の産業革命を背景にした旺盛な綿花需要に応じるべく更に進み、22年頃からは奴隷を伴った農園主が「テハス」へ移住していった。

メキシコは奴隷を禁じていたが、テクシャン(Texian)と呼ばれる米国人はお構いなしに人口を増やし、32年には独立を求めてメキシコに戦いを挑み、勝利する。しかし、36年2月にはメキシコ大統領でもあったサンタ・アナ将軍が、アラモ砦のテクシャン守備隊約200人を全滅させたる戦いも起きた。

テキサス独立はこの独立戦争の最中3月2日に宣言された。そして翌4月、サンタ・アナはサム・ヒューストン将軍(1793年-1863年)率いるテクシャン軍との戦いに敗れ、米国に亡命する。斯くてテキサスは10年後の1845年、アメリカ合衆国の28番目の州として併合されることとなった。

シドニー・シャーマンはテキサス共和国の初代と3代目の大統領になったヒューストン将軍の部下だった。ヒューストン初代政権の州務長官には、彼が「テキサスの父」と呼んだスティーブン・オースティン(1793年-1836年)がいた。彼らの何れもがテキサスの大都市に名を残している。

米国によるテキサス併合の経緯はこの様だ。が、他国の領土に入植した自国民が独立を唱えて武力蜂起し、独立を宣言させた後、自国に併合してしまうというやり口が、いま東ヨーロッパで起きていることや、この先の東アジアで懸念されている事態と、その目的とするところも合わせ、似てはいまいか。

この時代の西欧列強のやり口は、米国のハワイやパナマ運河の奪取などを含め、総じてこの類である。米国が、こういった歴史の上に今日の繁栄を謳歌している以上、その台湾政策をポンペオのそれに転換すべきではなかろうか。テキサスに手を付けてからほぼ2世紀、上海コミュニケからも半世紀が経った。

開戦の日に振り返る、黒船からワシントン会議に至る米国の対日政策(アーカイブ記事)
日本軍が米ハワイ・真珠湾基地を攻撃してから、8日で80年となります。太平洋戦争開戦までのアメリカの対日政策を振り返ります。2020年12月10日掲載記事の再掲です。 今年の12月8日(日本時間)は、真珠湾から約80年、ほぼ人の...
中国が台湾制圧に近づく分だけ、米国は「一つの中国」から遠ざかる
トランプ政権下で閣僚の訪台にまでに深化した米台関係が今後どうなるか、総統府や台湾人はハラハラしながら米大統領選後の動きを見守っていることだろう。そこで本稿ではポンペオ国長官が11月12日、テレビショーで「台湾は中国の一部ではない」と...