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(前回:安重根を「英雄」にして中国や韓国の指導者は後悔しないのか?)
『誤解だらけの韓国史の真実 改訂新版』(清談社、5月4日発売)の刊行を機にした、日韓関係史の基礎知識の第二回である。
しばしば朝鮮半島が日本の「植民地統治」だったかどうかが議論される。一般に左翼リベラルの人々は「どう弁解しようが植民地支配はいけないことだ」と主張し、保守派は「植民地などではなかった。収奪はしていないどころか、善政を敷いていた」と反論する。
しかし、いずれもポジショントークであり、ここは冷静に考えるべきである。
結論は簡単で、「植民地」という言葉は国際法上の法律用語ではないため、定義は使う人次第ということである。
ひとつの考え方として、議会主義が採用されている国において、本土と同等の参政権を認められていない地域を「植民地」と呼ぶことができるかもしれない。アメリカでは、現在のハワイやアラスカには平等な参政権が与えられているが、プエルトリコやグアムのように参政権がない地域も多く、これらを植民地とみなす見方もある。ただし、これらの地域には広汎な自治が認められているため、植民地とはいえないという意見もある。
現在も英国の植民地に属する人々には参政権がなく、返還前の香港の住民も英国に住んでも選挙権を持たなかった。それに対して、フランスの海外領土であるタヒチや西インド諸島の住民は大統領選挙に参加でき、パリに議員を送り、閣僚も輩出している。
明治憲法下では、国会開設時に北海道や沖縄でも議員を国会に送ることができず、後に遅れて認められた。朝鮮についても早くから議論があり、1945年4月には選挙権付与が決まったが、終戦のため実施されなかった。
とはいえ、内地に住む朝鮮人には参政権が認められており、東京に進出して国会議員となった者もいた。また、朝鮮出身の貴族院議員も存在した。その一方で、朝鮮に住む内地籍の日本人には参政権が認められていなかった。
さらに、朝鮮籍の職業軍人や高級官僚も採用され、出世頭の洪思翊は1914年に陸軍士官学校を卒業し、終戦時には中将まで昇進していた(戦後、フィリピンでの捕虜虐待の責任を問われ、戦犯として連合国軍によって死刑にされたが、多くの人が、独立朝鮮の指導者として最もふさわしかったと証言している)。
私は、「インドやケニアがイギリスの植民地だったのと同じ意味で朝鮮が日本の植民地だったのかといえば、まったく異なる」と考えている。むしろ、イギリスがアイルランドを、ロシアがポーランドやグルジアを領有した状況に近いものであった。
アイルランドに自治が認められたのは1921年、独立国となったのは1931年であり、エリザベス女王がアイルランドを訪問したのは2011年、アイルランド大統領がイギリスを公式訪問したのは2014年である。和解には1世紀を要した。そして、このような地域を一般に「植民地」とは呼ばない。
もっとも、明治期の日本には植民地を持ちたいという見栄のようなものがあり、桂太郎総理が国会で「植民地だ」と答弁したり、村山談話でも同様の表現を用いているため、やや微妙な面もある。また、「アイルランドはイングランドが獲得した最初の植民地だった」という表現も存在する。
しかし、朝鮮を日本の植民地と呼ぶと、イギリスにとってのインドやナイジェリアのような存在だったかのような誤解を招くため、誤解を避けるためにも日本国民は「植民地」という言葉を安易に使わないように心掛けるべきである。
そもそも日本には、イギリスの植民地のように現地から収奪する意図は初めから存在しなかった。特に朝鮮については、目的が経済的なものではなく、国防上の要請に基づくものであった。朝鮮が日本にとって頭痛の種とならないためには、経済社会の近代化が最善の手段であるというのが基本理念であったのである。
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