北海道大学名誉教授 金子 勇
マクロ社会学から見る「脱炭素社会」
20世紀末に50歳を越えた団塊世代の一人の社会学者として、21世紀の課題はマクロ社会学からの「新しい時代の経済社会システム」づくりだと考えた。
手掛かりはコントの「社会再組織に必要な科学的作業のプラン」(1822)であり、そこから派生してマルクスの「使用価値と交換価値」(1867)、デュルケムの「社会連帯性」(1893)、マッキーバーの「コミュニティ」(1917)、ウェーバーの「価値合理性と目的合理性」(1922)、マンハイムの「知識の社会性」(1925)、パーソンズの秩序と社会システム(1951)などを活かすことであった。
そのうえで、経済、政治、社会統合、価値と文化などからの個別テーマをマートンの機能分析(1957)にかけて集約的に分析した先に、「新しい時代の経済社会システム」を描く努力を続けてきた注1)。
実証性を重視するために社会調査を主体とした研究であり、すべてに納得のいく成果が必ずしも得られたわけではなかったが、ともかくも関連する文献を学び、テーマに応じた社会調査をするうちに、自らの研究スタイルが徐々にできてきた。
それは、
- 先行研究を学ぶ
- 法則を活かす
- 仮定法で済ませない
- 公表されたデータも独自に収集した資料も活用する
- 社会的事実の4側面(顕在的正機能・逆機能、潜在的正機能・逆機能)を公平に見る
- 対応策を具体的に提示する
という6点になる。
「人口と環境」に目配り
いずれも「言うは易く行うは難し」ではあるが、ともかくもそのような試みを毎年継続してきた。
「新しい時代の経済社会システム」の中心テーマとして「人口と環境」を設定したが、人間が創りあげた社会を対象とする社会学を学んできたので、まずは「人口」だと判断して、それまでの高齢化研究に加え、新たに少子化を課題として、20年近くいくつかの地方都市での実証研究を行った注2)。
しかし、環境については『環境問題の知識社会学』(2012)しかなく、たくさんの未開拓の領域が待っていた。大学教師を定年退職してからの2年間は、ドイツ語訳とフランス語訳の『資本論』に取り組む傍ら環境関連の研究を継続して、先ほど完結した「二酸化炭素地球温暖化と脱炭素社会の機能分析」(国際環境経済研究所WEB7回連載、2021-22)をひとまずまとめた段階である。
それと並行して、『資本論』第1巻の末尾にある「否定の否定」の延長線上で「資本主義の終焉論」に触れ「新しい時代の経済社会システム」を考えてはいたが、全く途方にくれるばかりであった。ただ幸いなことに、同世代の経済学者の友人と研究会を1年ばかり行うことができて、その糸口をつかんだところである注3)。
「脱成長コミュニズム」への疑問
その過程で気になった本が2冊ある。一つは、「脱成長コミュニズム」を掲げて、空前のベストセラーになった斎藤幸平の「人新世の「資本論」」(2020、以下、斎藤本と略称)である。次いで、斎藤が大変好意的に紹介したラワース(2017=2021、以下、ラワース本と略称)の「ドーナツ経済」である。
なぜならこの2冊が、「脱炭素」や「二酸化炭素地球温暖化」を基盤とする「気候変動」を擁護する社会科学理論でもあるからである。理系・工学系ではともかく、その骨子はとりわけ斎藤本人の頻繁なマスコミでの発言を通して、社会科学系の「脱炭素」や「気候変動」論のなかで、大きな影響力を持つに至ったと考えられる。
斎藤本にはすでに数種類の文献による書評が出ているが、いずれも論者の立場をはっきりさせたうえでの批判になっている。私もまた長らく社会学を学び教えてきた観点から、斎藤本については『図書新聞』(2021年6月10日)に短い「書評」(ハンドルネーム三西一幸)を発表した。その骨子は以下の通りである注4)。
『図書新聞』(2021年6月10日)での「短評」
- 時代の大きな流れを批判する際に、特定地域の一事例を対置したり、一つの自治体の試みを紹介して、広がるだろうと希望的な推論を示すことは、学術的にみてどこまで有効なのか。
- グローバル・サウス(GS)が「グローバル化によって被害を受ける領域ならびにその住民を指す」(斎藤本:24)という定義は役に立ったか。全体を通して中国の位置づけが皆無なのはどのような理由か。また、GSは一枚岩なのか。
- 帝国的生活様式とは「グローバル・ノースにおける大量生産・大量消費型の社会」(同上:28)でいいか。同じくグローバル・ノース(GN)は一枚岩か。
- 世界システムはグローバル・サウス(GS)とノース(GN)だけの二分類でいいか。両者の中間や両方から漏れる国や社会や住民はないのか。
- 世界システムを徒歩、鉄道、自動車、船舶、飛行機などの物理的な移動手段と、ネットワークなどのバーチャルな移動の両者で把握したモビリティーズ・パラダイム(吉原、2022)は不要か。
- なぜマルクス晩期思想を聖典扱いするのか。
- 気候変動を人間活動で左右できないという懐疑派(skeptic)の業績は完全に無視できるのか。
- 肝心なところでGSにおける「生活の質」の低下をなげくが、最後までその定義を行わず、細かなデータも示さずに使用したのはなぜか。
- エコで、「脱成長コミュニズム」に役立つような文献と事例だけを「包摂」し、「気候ケインズ主義」といいつつもケインズによる「一般理論」の知見や成果を「排除」した理由は何か。
- 「包摂」はマルクスの概念だけなのではなく、ヤング(1999=2007)をはじめ、「排除」とともにたくさんの研究で使用されていることを承知のうえで使ったのか。
以上の論点は、時間をかけて斎藤自身が学術的に追究してほしい。なぜなら、これらすべてで斎藤本とは異なった膨大な研究成果が蓄積されてきたからである。それらを無視しては、これ以上の「脱成長コミュニズム」の理論化ができないからでもある。
再生不可能な自然資源が乏しくなる
「二酸化炭素地球温暖化論」並びに「脱炭素社会」の懐疑派である私の立場は、国際環境経済研究所WEBでの7回連載で記した通りであるが、その根底には以下の認識があった。
「生態学的均衡を巨大産業が侵害する。再生不可能な自然資源が乏しくなる」(ハーバーマス、1981=1987:415)とみれば、2030年や2050年に「脱炭素」を謳い、気候変動への人為的な関与をめざした二酸化炭素地球温暖化の危機を強調する現今の環境政策には、多方面からの疑問が湧いてくる。太陽光発電パネルや陸上風力発電機が設置された自然はもはや「再生不可能」であるというこの指摘こそが、「自然再生エネルギー」(「再エネ」と略称)を売りにして巨大資本が造成した「再エネ装置」に該当する。
なぜなら、私生活重視の人間がもつ「生活世界」のコミュニケイション的行為を重視するハーバーマスのこのコメントは、「再エネ」いう不自然な用語に対峙し、そこに文化摩擦を生み、思考を活性化させるからである。
「使用価値」と「交換価値」を利用した「再エネ」論
それでWEB連載でも、マルクス『資本論』第1巻第1章「商品」分析で軸となった「使用価値」と「交換価値」概念を利用して、「再エネ」が抱える問題点を解明することを課題とした注5)。
現今のグローバル資本主義は確かに自然環境をもフロンティアに取り込んだが、果たしてその行方はバラ色なのか。2030年や2050年の「脱炭素」は可能な目標なのか。再生可能な資源の開発と称して新たな対象に見境なく投資することが、「使用価値」のある商品製造に結びつくのか。その「再エネ」商品に「使用価値」がなければ、それは「交換価値」を持ちえず不要になるだけではなく、破壊された自然は戻ってこない。ハーバーマスのこの一行の重みは限りなく大きい。
無制限に建造された「再エネ」装置が25年後に耐久性を失った時に、海洋、海底、海岸、河川、河岸、陸上、山間地に無秩序に置かれた「再エネ」装置の残骸による生態的破壊、ならびに低周波などによる健康被害が顕在化しているであろう。発電のための「再エネ」の「使用価値」は、予見可能な生態的破壊や被害を無視できるほど高いのか。
主要な生命元素である炭素や植物の光合成に不可欠な二酸化炭素をいたずらに敵視して、現在の「治山治水」を後回しにして、「予想被害ビジネスモデル」に特化させ、30年先の地球温度だけを展望する「再エネ」最優先の「脱炭素」政策の見直しは急務ではないか注6)。
(次回:「脱炭素と気候変動」の理論と限界②に続く)
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注1)『資本論』を除いて、これらを1970年代の大学院生時代に集中的に学び、その後も繰り返し再読して、テーマを設定して社会調査につなげるという研究方法である。大きくはコミュニティ、高齢化、少子化、地方創生、環境問題に分けられるが、いずれも科学研究費を受けての地方都市での実証研究という性格をもつ。なお、本内容に直結しないため、これらの文献は掲げないことにする。
注2)人口関連では、数年おきに『都市の少子社会』(2003)、『少子化する高齢社会』(2006)、『社会調査から見た少子高齢社会』(2006)などを発表して、『日本のアクティブエイジング』(2014)、『日本の子育て共同参画社会』(2016)、『「抜け殻家族」が生む児童虐待』(2020)などを発表してきた。
注3)全くの試論ではあるが、マルクスやウェーバーそれにパーソンズに触れながら、ハーヴェイ、シュトレーク、ミラノヴィッチなどの「資本主義」の「終焉」や「持続」論に学んだ共著論文を発表した(濱田・金子、2021)。
注4)その後、斎藤本への言及は柿埜(2021.8.24)をはじめ、岩田(2021.12.30)などが続いている。アマゾンにはすでに3000を超える「書評」があふれている。当然ながら、一般読者、評論家、同業者それぞれの立場からの賛否両論があってよい。同じく、どれが優れ、また劣った書評という評価もありえない。
注5)より詳しくは金子(2022、近刊予定)を参照してほしい。
注6)期せずして2022年1月17日に行なわれた岸田首相の「施政方針演説」では、「新しい資本主義」が説かれ、「気候変動問題への対応」が明示され、「地域活性化」の推進が示され、少子化対策としての「こども家庭庁」創設が謳われている。これらは40年来の私のテーマとも重なり合うところがある。なお「予想被害ビジネスモデル」はハーヴェイの「巨大ビジネス」(ハーヴェイ、2014=2017:328)を下敷きにしている。
【参照文献】
・Habermas,J.,1981,Theorie des Kommunikativen Handelns,Suhrkamp Verlag.(=1987 丸山高司ほか訳『コミュニケイション的行為の理論』(下)未来社.
・濱田康行・金子勇,2021,「新時代の経済社会システム」『福岡大学商学論叢』第66巻第2・3号:139-184.
・Harvey,D,2014.Seventeen Contradictions and the End of Capitalism, Profile Books.(=2017 大屋定晴ほか訳『資本主義の終焉』作品社).
・金子勇,2021-2022,「二酸化炭素地球温暖化と脱炭素社会の機能分析」(第1回-第7回)国際環境経済研究所WEB連載.
・Raworth ,K.,2017,Doughnut Economics : Seven Ways to Think Like a 21st Century Economist , Chelsea Green Pub Co.(=2021 黒輪篤嗣訳『ドーナツ経済』河出書房新社
・斎藤幸平,2020,『人新世の「資本論」』集英社.
・吉原直樹,2022,『モビリティーズ・スタディーズ』ミネルヴァ書房
・Young,J,1999,The Exclusive Society: Social Exclusion, Crime and Difference in Late , SAGE Publications Ltd.(=2007 青木秀男ほか訳『排除型社会』洛北出版).
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