8月4日、安全保障関連3文書改定に向けた有識者会議の第3回会合が開かれた。「中国の経済的威圧を念頭に」、「対抗策を検討するよう求める」内容となったという。報道では、国際政治学者三名の委員が、対抗策導入を主張する旗振り役となっている。
経済威圧、対抗策の検討主張 中国念頭、政府有識者会議 時事通信
「経済安全保障」、あるいは「地経学」といった新規性を打ち出した表現で呼ばれる分野は、「認知戦」といった同様の新しい概念とあわせて、昨今の防衛政策論ではすっかりお馴染みとなっている。それらはいずれも、どのように中国に対抗していくか、という政策論を話し合う際に参照される概念だ。
「経済安全保障」や「認知戦」の分野で中国に勝つために、制度の改築のみならず防衛費の大幅増額が必要だ、という結論が導き出される予定である。
だが、果たしてそれは賢い政策姿勢であろうか?あるいは、そもそも、現実的な考えだろうか?
現在、『開戦前夜』という映画が公開中で、あらためて話題となっているが、なぜ敗北が必至であったアメリカとの戦争を、かつて日本は自ら始めるといった無謀な行動に出てしまったのか?今日の観点では、当時の日本人が間抜けだったから、という話になってしまいがちだが、当時の政策決定者や有識者は、当時の日本の選りすぐりのエリートたちであった。彼らは、アメリカと戦争をして勝てる、と考えていたわけではない。それでも、自らが作った罠に意図せず陥っていってしまうかのように、アメリカとの戦争に踏み込んでいってしまった。
今日、超大国・中国の存在は、圧倒的である。経済的にも軍事的にも、日本が対抗できるようなレベルの国ではない。上述の日米戦争の教訓の見方をあてはめると、中国との戦争を避けるためにこそ、日本の貴重な知的資源が割かれるべきではないかと思われる。だが、現代日本で、そのような視点が強調されることは稀だ。
中国に勝つ対抗力を得たいのは、抑止力を高めて、戦争を防ぐためだ、といった議論もありうるだろう。だが、現実は、真逆に進んでいる。中国は、日本への警戒心を高め、レアアースの輸出禁止などの強い措置に出ている。信頼醸成措置は、検討されていないどころか、議論をすることすら憚られるような風潮がある。
5月に富士電機社員が、レアアース関連物資を違法に持ち出そうとした疑いで、中国当局に大連で拘束された。この事件を、海外メディアはレアアースをめぐる事件として扱って報道している。
China detains two Japanese nationals suspected of smuggling banned goods Reuters
しかし日本のメディアは全く扱わないか、『中国の富士電機社員拘束、「通報の報奨金制度に警戒を」専門家に聞く』といった題名の記事で、中国における日本人拘束事件としてのみ扱っている。
中国当局が富士電機社員2人を正式に逮捕、拘束は長期化か 「密輸」の疑い 産経新聞
親日大連の邦人社会に動揺 中国拘束に懸念が広がる KYODO
例外は、業界紙の『電波新聞』くらいのようだ。
中国で拘束の邦人は富士電機社員 レアアース輸出規制違反の疑いか 電波新聞
中国のレアアース規制は、確実に日本の経済活動に負の影響を与えている。しかし政府や「有識者」の間では、これは「どのようにして中国に対抗するか」という防衛政策の議題として捉えられ、最終的には防衛制度の改変や防衛費の大幅増額へと至る問題として、議論されているのだ。
このような様子で、大丈夫なのだろうか。
中国がいかにレアアース市場において独占的な地位を持っているかは、すでに広く知られている。私が最近読んだ本では、橋本道雄・中井遼(編)『エネルギーの地政学―エネルギー・トランジションと日本の戦略』(勁草書房、2026年)における議論が、有益かつ興味深いものであった。
この本は、エネルギー・トランジション、つまり化石燃料から再生可能エネルギーへの転換という大きな時代の流れを見据えたうえで、それを科学的知見と「地政学」の視点を組み合わせて論じていこうとするものだ。
再生可能エネルギーへ移行する社会の構想のみならず、化石燃料を中心とした従来型のエネルギーをめぐる国際紛争の行方、重要視される水素をめぐる多岐にわたる論点などが扱われるが、中国の圧倒的な存在感も随所で論じられる。
信岡洋子・東京大学先端科学技術研究センター特任准教授が執筆した第2章「エネルギー・トランジションに必要な鉱物とは」では、「再エネの拡大と電化の進展は、重要鉱物の需要を押し上げる」(38頁)という指摘の後、「重要鉱物」としてのレアアース、シリコンなどにおいて、中国が圧倒的なシェアを持っていることが指摘される。たとえばレアアースの生産においては、中国は60%という圧倒的なシェアを持つ。さらに精錬段階での中国のシェアは、90%とさらに圧倒的だ(43頁)。他の鉱物においても、中国の存在感は、段違いである。

su tim/iStock
これほどまでに一国が圧倒的なシェアを保持している重要鉱物分野は、特筆すべきものだ。原油生産国の数は限られているとはいえ、それでも相当数の有力な原油生産国があるような化石燃料の分野と比べると、非常に際立っていると言えると思われる。
ジェーン・ナカノ・戦略国際問題研究所(CSIS)シニアフェローが執筆した第3章「変動するアメリカのエネルギー安全保障戦略」は、アメリカの政策の検討を主眼としたものだが、その中心的議題は、「クリーンエネルギー技術のグローバルなサプライチェーンが中国に高度に集中している」「中国は現在、主要なクリーンエネルギー部品の製造・供給網を支配している」(63頁)という問題と、どのように向き合うか、である。中国は、EVバッテリーやシリカベースの太陽光発電(PV)モジュール製造、電池セル、カソード、アノード材の生産などにおいて、8~9割といった圧倒的なシェアを持つ。
中国のクリーンエネルギー技術の分野における存在感は、他国の挑戦はもちろん、追随も許さない水準だと言ってよいだろう。ナカノ氏が、アメリカの政策課題として問いかける議題は、どうやって中国を駆逐するか、といったものではない。「アメリカはクリーン技術を放棄するべきか?」「アメリカは競争力を発揮できるか?」といった現実的な問いこそが、真剣に検討されなければならない。そのためにはまず、アメリカ国内の議論の深刻な分断に対策を講じなければならない、とナカノ氏は考えている。
現在、日本政府が行っている安保3文書改訂の有識者会議では、日本がNATO加盟国になるかのように、欧州諸国と安全保障上の協力を進める方向が既定路線となっている。冒頭に引用した報道記事での国際政治学者3名の発言は、経済安全保障分野でも、欧州諸国との連携を深めて、中国の脅威に対抗する、という趣旨であるように読める。
しかし、果たしてそんなことが可能なのか。欧州と日本が協力して、中国に勝つ、といった議論は、抽象的にはありえても、具体的なイメージは全く湧いてこない。それは軍事的な分野のみならず、経済安全保障の分野においても、同じだ。
「専門家」層こそが精神論のような掛け声を率先して唱え、その結果として1941年の日米開戦へと突き進んでしまった歴史の教訓は、何か。そういった冷静な認識も、問われているように感じる。
【目次】
序章 エネルギートランジションと地政学[橋本道雄・中井遼]
第1章 エネルギートランジションとは何か?[橋本道雄]
第2章 エネルギートランジションに必要な鉱物とは――サプライチェーンの地政学リスク[信岡洋子]
第3章 変動するアメリカのエネルギー安全保障戦略――クリーンエネルギーをめぐる中国との攻防[ジェーン・ナカノ]
第4章 エネルギーと「大国」ロシア――地政学的緊張とエネルギートランジションの相互作用[小泉悠]
第5章 中東におけるエネルギートランジションと地政学――湾岸アラブ産油国の政治的メカニズム[池内恵・豊田耕平]
第6章 日本・ヨーロッパの再エネ受容と反発――資源輸入国のエネルギーをめぐる政治[中井遼]
第7章 水素をエネルギーに変える技術[河野龍興]
第8章 「水素地政学」の可能性――水素サプライチェーンの経済性分析[石本祐樹]
第9章 新しい水素ビジネスと地政学[木村達三郎]
終章 日本はどう生き残るのか――あとがきに代えて[橋本道雄・中井遼]
■
国際情勢分析を『The Letter』を通じてニュースレター形式で配信しています。
「篠田英朗国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月2回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。
【参照記事】
- 中東をユーラシア大陸の文脈で読む『中東ユーラシアから世界を見る 篠田 英朗
- 書評:遠藤貢(著)『アフリカ―「経済大陸」の行動原理と地政学 篠田 英朗
- 【書評】『「アメリカの戦争」と世界危機』:基軸通貨ドルの行方 篠田 英朗
- 小泉大臣が目指す「平時に最適化されていない」社会とは何か? 篠田 英朗
- 米・イラン合意:パキスタン「調停」の評価 篠田 英朗











コメント