高市首相が、長崎において、被爆者代表を睨みつけている表情がひどいと、SNSで拡散している。被爆者の方が、政治家に原爆資料館に来てほしい、と発言しているシーンである。高市首相が被爆者の方の発言内容が気に入らず、それによって人格的な嫌悪感情を持っているかのように見えてしまう印象的な場面である。

被爆者の話を聞く高市首相
拡散している理由は、高市首相が持っているイメージが、そのままビジュアルで表現されているからだろう。トランプ大統領をはじめとする欧米諸国の指導者には、異様なまでに媚びるような姿を見せる。非欧米諸国にはあまり関心がないように見える。国粋主義に沿った軍拡路線を売りにしており、逆にその思想に反する動きには極めて冷淡である。国会で野党の質問に答えたり、ジャーナリストと会話したりすることを嫌っていることも明らかになってきている。
高市首相の姿勢を見て、私が想起するのは、カール・シュミット『政治的なものの概念』だ。シュミットは、ワイマール共和国期の1927年に初版が刊行された同書で、「政治的な区別とは、味方と敵の区別である」という印象的な定義を提示し、大きな論争を巻き起こした。1933年にヒトラーのナチスが政権を掌握してからは、ナチスの御用学者と言われるような地位を獲得してベルリン大学教授に就任し、ナチスを擁護する趣旨を持つ著作も多数残した。そのためドイツ敗戦後には戦争犯罪人の嫌疑で米軍に拘束され、ニュルンベルクで尋問を受けた(不起訴に終わるが)。
高市首相を見ていると、「政治とは、味方と敵の区別である」、というシュミットの言葉が、どうしても思い浮かんでしまう。
高市首相には、かつて『ヒトラー選挙戦略:現代選挙必勝のバイブル』(小粥義雄著、1994年刊)という本に、推薦文を寄せた、という有名なエピソードがある。
確かにヒトラーの崇拝はしていません。
ヒトラーの手法を肯定していますね。
「自民党の衆議院議員」でありながら。
ちなみにイスラエル大使館等から
物凄い抗議を受け2ヶ月で絶版。これが「事実」です。 https://t.co/URtnxEWOse pic.twitter.com/a4mmNgwoBG
— ogotch (@ogotch) February 23, 2026
当時の高市首相(衆議院議員)によれば、選挙では「勝利への道は『強い意志』だ」、ということがわかる本なのだという。ただし、著者の小粥氏(自民党東京都支部連合の事務局広報部長[発行当時])は、それを「説得できない有権者は抹殺すべきです。この抹殺とは人を殺すことではありません。政治的活動を一切させないように工作することです。」などといった過激な表現も用いて説明していた。
「女性は直情的です。難しい理屈や理論よりも、愛情をもって接すれば大きな支持者を誕生させることが可能です。」、「独身だったヒトラーには恋人がいたようにオモテとウラの使い分けを」といった指南からは、小粥氏が「ヒトラーの選挙戦略」を、非常に技術論的なものとして捉えていたことがわかる。

もちろん、ここで私は、高市政権をナチス政権になぞらえたいわけではない。問題にしたいのは、政治を「味方」と「敵」に分節し、「敵」の脅威を強調することによって自らの政治的正当性を構築する「手法」である。
そこであわせて想起されるのは、高市首相の後ろ盾として政界に隠然たる影響力を持つ麻生太郎氏が、財務大臣時代の2013年に、「ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。・・・憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」と発言し、問題視されたことである。
ナチスの「手口」とは何か。その手法の本質は、「敵」の設定にある。明確な「敵」を作り、その「敵」の脅威を強調して大衆の恐怖心を煽ったうえで、自らを「敵」に対峙する人物として設定する。
フリードリヒ・ニーチェは『道徳の系譜学』の中で、次のような二つの異なる「善悪」の設定方法を洞察している。「強者」は自己を肯定して「善」を設定してから、その対極に位置する「悪」を設定する。それに対して、「弱者」は否定したい他者を「悪」と設定してから、その対極に位置するものとしての自己の「善」性を主張する。これらは同じ「善悪」の語を使っていても、全く異なる内容を持つ。
言うまでもなく、この「弱者」としての大衆の道徳観こそが、ヒトラーが駆使した「大衆扇動術」の思想的基盤である。ヒトラーが、ニーチェに陶酔していたことは、あまりに有名である(その読解の妥当性はさておくとして)。ヒトラーが自らを「強者」と考えていたかどうかはわからないが、ニーチェの「弱者の道徳」という概念を援用するならば、ヒトラーの大衆扇動は、まず「敵」を「悪」として設定し、その対極に自らを置くことによって自らの正当性を構築する手法であった点で、この「弱者の道徳」観に訴えるものであった。
まず「敵」を作り、その「敵」を悪と設定する。それから、自分はその対極に位置していると主張することによって自らの正当性を主張する。
現代日本における「敵」は、なんといっても中国だ。中国の脅威の強調は、高市首相の強固な支持基盤固めになっている。今や国際政治学者や軍事専門家層も、軍拡路線に走る高市政権の強力な支持基盤だ。まず、「敵」である中国の「悪」性を強調する、それから軍拡を進める自らの「善」性を主張する。「弱者の道徳」に訴える「ヒトラーの手法」である。
ちなみにヒトラーは、「敵」であるベルサイユ体制の「悪」を糾弾し、それによって自らの軍国主義路線の「善」性を訴えた。現代日本では、ロシアも「敵」陣営に属する「脅威」であり、「悪」であるという認識が既定路線となっているため、ロシアの「悪」性を理由にして軍拡路線を進める高市政権の「善」性も正当化される。
なお、高市政権の「敵」理論は、国内政治では「サヨク」「リベラル」のみならず、「財務省」にまで適用されているらしい。

現代日本で、「敵」の認定と糾弾をめぐる言説が、過熱気味に行われていることは、SNSで可視化されている。政治家のみならず、学者や評論家やジャーナリストも一緒になって、「敵」の発見・認定・糾弾に多大な労力を払っている。それを大衆が称賛してくれることを喜びとして、奔走している。その様子が、見えるようになっている。恐らくは、可視化されていないところでは、いっそう過激に「敵」理論の応用が行われているのだろう。
ヒトラーに尋ねてみるまでもなく、これは直近の選挙に「勝つ」ためには、有効な手法である。それどころか大衆化されたSNSなどを通じて人気を得たりするのにも、有効な手法なのだろう。
だが、果たしてこれは、意味のある結果を、長期的にもたらしていくために有効な方法だと言えるだろうか。
少なくとも、「敵」の設定が、ご都合主義的である場合には、言えないだろう。
そのため私は、この手法の高市政権による現在の適用方法の有効性を、かなり疑っている。
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【参照記事】
- 「祈りの長崎」の原爆の歴史と二つの世界遺産:永井隆『長崎の鐘』 篠田 英朗
- 平和都市・広島の設計者・浜井信三の著書『原爆市長』 篠田 英朗
- 広島に対する国際的な関心:そして潜在力のある復興史研究の蓄積 篠田 英朗
- 安保3文書改訂と中国の存在感:『エネルギーの地政学』を読みながら 篠田 英朗
- 中東をユーラシア大陸の文脈で読む『中東ユーラシアから世界を見る 篠田 英朗










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