お子様学者たちのファミリーレストラン:オープンレター「再炎上」余禄

與那覇 潤

kencor04/iStock

2021年4月4日に公開され、数々の批判を受けた後に22年の同日にネット上から当初の文面が削除された「オープンレター 女性差別的な文化を脱するために」が、再度の炎上を起こしている。

私としては21年のうちに論じ尽くしたこのオープンレターについて、これ以上言及するつもりはなかったが、明白な「事実誤認」を拡散する人々が現われているので、一次資料を添えて実証的にその誤りを正しておく。

そもそも①同レターが公表される端緒となり、②自ら当初18名の呼びかけ人の1人に名を連ねたほか、③Twitter上で積極的に賛同の署名を募っていた北村紗衣氏(武蔵大学准教授)は、「レターが(文中で名指しされる)呉座勇一氏の解雇を求めているとする批判は、呉座氏が解職された後になってから結果論的に寄せられたものであり、レターの公表時にはそうした批判は存在しなかった」(大意)と主張している。

上記の主張は、意図的な風説の流布であるのかはさておいて、明白な虚偽である。

本年2月4日の記事で明らかにしたとおり、私はレター公開の2日後にあたる2021年4月6日に、当時18名の呼びかけ人の1人として名前が掲示されていた編集者の小木田順子氏に、同レターの問題性を指摘するメールを送った(その主たる文面はこちら)。翌4月7日に小木田氏から、私の指摘を必ず他の呼びかけ人にも伝える旨の返信があり、同日中(当方のメールスタンプでは23:39)に、私は同氏に以下の文面を含む形で再度、強く懸念を伝えるメールを送っている。

「再就職にあたっての甚大な不利益」とは、当然ながら、このレターが呉座氏の解雇をもたらす事態を前提とした表現だ。つまり4月4日の公開から3日後には早くも、レターは呉座氏の解職をもたらすと指摘する批判が呼びかけ人(小木田氏)に届いていたというのが、事実である。

小木田氏が私の指摘を当時どのような形で、他の17名の呼びかけ人にシェアしたのかは明らかでないから、北村氏が上記のメールについて知らなかったとしても、それは彼女個人の責任にはならない。しかし文責や代表責任者を明示しないまま、18名を並列する形での連名でオープンレターを公表したのだから、うち1人宛てに重篤な問題点の指摘があった以上、それを内部で適切に考慮しなかったことの社会的な責任は、それら18名が共同で負う。社会常識があればあたりまえのことである。

ちなみに本年2月4日の記事に記載したとおり、私は上記した21年4月の小木田氏とのやり取りを通じて、彼女は本来レターへの「賛同」を表明したに過ぎず、オンラインでさらに広範な署名を募る「呼びかけ人」となる意思はなかったことを把握していたが、その事実を公表することは、小木田氏自身が明示的に呼びかけ人を降りるまで控えていた。

小木田氏が(私に指摘された)問題点を知ってなお、当面はオープンレターの「呼びかけ人」としての地位に留まる意向を示した以上、彼女自身の決定を差し置いて、個人的に彼女から聞いた事実を公開するのは、敬意を欠くと考えたからだ。自分と異なる立場であれ、本人なりの価値判断を持って行動する相手に対してはその主体性を尊重するのが、フェアネスに則った大人の態度である。

かくしてオープンレターに集う面々にとっては「不都合な真実」がいまだ公表されずにいた2021年の後半に、「自分と同じ意見以外はこの世にありえない」という態度でレターの正当性を誇示し続けたお子様学者たちのアンフェアな行状については、当時の私の連載記事(特に第7回第10回)を参照されたい。

さて、すでに本文は削除されたはずのオープンレターがいまになって再炎上を起こしたのには、ゆえんがある。ウクライナ戦争の解説者として活躍する東野篤子氏(筑波大学教授)が、他の研究者から自身の論調を「ファナティック」だとコメントされたことに憤り、彼女のネット上での抗議を池内恵氏(東京大学教授)が支援した(結果として当該のコメントは、謝罪の上削除された)。

これに対し、北村紗衣氏が「池内氏はオープンレターに対しては否定的で、女性研究者に敵対的な側を支援したのに、言動が首尾一貫していない」(大意)との批判を寄せて論争になり、再度レターに注目が当たったという経緯である。確かに首尾一貫性はフェアネスの重要な要件だが、その北村氏がオープンレターの当否とも関連する訴訟で代理人を依頼する神原元氏(弁護士)は、以下のように述べて、激しく東野氏とそのウクライナ戦争に際してのスタンスを罵倒していた。

2022年8月25日時点、神原元氏のWikipediaより
なお、福沢諭吉は日露戦争開戦の3年前(1901年)に没している。

この神原氏が北村氏の(山内雁琳氏に対する)訴訟の代理人であることは、本年2月25日の弁護士ドットコムの記事および本人のツイートから明らかである。気になるのは、同日に行われたオープンレター呼びかけ人の一部が呉座勇一氏を提訴した会見にも、同訴訟を担当する神原氏(および原告代表)と並んで、北村氏が列席していることだ。

呉座氏と北村氏は2021年7月に法的に和解済みであり、その呉座氏の謝罪文を(おそらく)和解で定められた掲載期間の終了後も北村氏が一方的にネット上で頒布した「疑惑」に関しては、私も昨秋に疑義を呈したことがある。①和解済みの相手を被告として、②ともにオープンレターの呼びかけ人となった知人が起こす訴訟の記者会見に、③共通の弁護士を帯同して、④本人が出席して自身の主張を述べる行為が法的に一貫性を持ちうるものかは、今後法曹の専門家の見地からも検討が望まれよう。

一般論として、論理的な一貫性の不備や自己内省の欠如は、大人に比した際の子供のふるまいに顕著な特徴だ。そして個人的な体験に基づく印象でいうと、そうしたお子様がなぜか成人済みの男女に講壇から説教を垂れる例は多く、それが「普通」になっている世界を大学と呼ぶ。

いまも続くオープンレターの炎上に際して、呼びかけ人の中でも北村紗衣氏によるTwitterでの言及が突出して目立つことには、彼女の研究活動との関連もあるように思われる。2014~15年度にかけて、北村氏は科研費によるプロジェクト「ソーシャルメディアを用いたシェイクスピア受容状況調査」を実施しており、SNSでの言論はいわば彼女の研究対象でもあるものと想定されるからだ。同プロジェクトの成果は、原則として本人が記入する概要欄によるかぎり、以下の通りである。

SNSも含めてインターネット空間の大きな特徴は、「誰でも」その場に参入し、情報を発信可能な公開性にある。喩えるなら重々しい扉のオーセンティック・バーよりは、気軽に入れるファミリーレストランに近い。言論の世界に「良質なファミレス」が開店したのは、当初、とてもよいことだった。

ファミレスに多少、礼儀をわきまえずに騒ぐお子様客の姿があったとしても、ある程度までは大目に見て、やんわりと注意するにとどめるのが良識ある大人というものだろう。だから私も昨年より一貫して、そうした態度でこのオープンレターを扱ってきた。

しかし、そうした環境が本来なら「大人」のモデルを社会に示す責務を負うはずの、学者や言論人までをも巨大な幼児に育ててしまうのだとすれば、私たちは根本から彼ら/彼女らに対する接し方を、見直さねばならなくなる日が来るであろう。

遠からずまた飽きられるだろうオープンレター(の再炎上)も、どうやらその到来を早める「督促状」としては、十全な意義を発揮したと評してよいように思われる。私たちが注意すべきはいま、その督促が誰に宛てられているのかである。

與那覇 潤
評論家。歴史学者時代の代表作に『中国化する日本』(2011年。現在は文春文庫)、『平成史-昨日の世界のすべて』(2021年、文藝春秋)。自身の闘病体験から、大学や学界の機能不全の理由を探った『知性は死なない』(原著2018年)の増補文庫版が2111月に発売された。最新刊に『過剰可視化社会』(PHP新書、20225月)、『長い江戸時代のおわり』(共著。ビジネス社、8月)。

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