来月13日に台湾総統選と同時に行われる立法議員(国会議員)選挙の届出が11月24日に締め切られ、比例区定数34に178人、選挙区定数73に315人が立候補した(他に原住民区:平地・山地各3議席)。内訳は、民進党・国民党・民衆党の主要3党が各34人、その他親民党10人、司法改革党9人、時代力量・新党・台湾緑党が各8人だった。
本稿では、民進党の前職に中国人女性とのスキャンダルが発覚し、急遽「女の闘い」になった高雄第6選挙区(鼓山区、鹽埕区、前金区、新興区、苓雅区など)の話題を紹介する(筆者は苓雅区に19ヵ月、鼓山区に8ヵ月居住していた)。
本題の前に、岸田総理は今月初めに降って湧いたパーティー券収入不記載問題で、特捜のリークをセンセーショナルに報じるマスメディアに反応し、違法の実態が不詳であるにも関わらず国会閉幕の翌日、清和会の大臣、副大臣、政務官を更迭し、同派の政務三役からは辞意が表明された。昨年8月に旧統一教会絡みで行った内閣改造などの既視感を覚える。
百人規模の清和会の5年間のパーティー収入は、公表されている6億円台よりも5億円近く多いと報じられる。が、50人前後の他派閥の収入が11億円前後あることから、実際の清和会のそれが公表額の3〜4倍ある可能性も指摘されている。1月下旬の通常国会までに目途を付けたい特捜が、この辺りを総理にリークすることだってあり得なくない。
斯くて更迭された松野官房長官の後釜には、巷間、親中とされハニートラップの噂すらある林芳正が据わった。古くは橋本龍太郎元総理にもそうした噂があったが、今般、高雄第6区の立法議員選が「女の闘い」になったのも、中国女性によるハニトラが露見した民進党現職が立候補を断念したからだ。
台湾各紙は10月24日、高雄民進党の立法委員趙天麟が12年前から中国女性と何度も旅行し、キスやハグをする親密な写真があることを挙って報道した。早速、国民党は記者会見を開き、この様な議員が国会に留まるべきなのか、趙は国民に真相を明らかにし、頼清徳民進党主席も謝罪すべきだ、とまくし立てた。
この話に、筆者は20年12月に米国で露見したある事件を思い出した。「Axios」が1年間調べて独占報道したハニトラ事件だ。米政府がカリフォルニア州民主党の若手下院議員スウォルウェルが、11年から15年にかけてファンという中国女性にハニトラされていたとの嫌疑をかけていたのだ。
12年末に下院最年少議員になった同議員は15年1月から、情報常任特別委員会委員とCIA監視小委員会の民主党筆頭委員という要職にあった。23年に事件性はないとされたものの、カリフォルニア選出のペロシ下院議長は22年春、連邦議会襲撃(J6)事件を調査する下院特別委員会の管理委員に敢えて彼を据え、疑念払拭を図った。
閑話休題。この国民党会見に同席した高雄第6区(高雄は8区定員8人)の立法委員候補陳美雅(チェン・メイヤ)は、趙の「妻を愛し、家族を愛している」というイメージは一夜にして打ち砕かれたとし、こう非難した。
家族のことも顧みないこんな議員がどうして国を守ることができるのか。浮気相手の中国人女性は18年に「医療美容と健康診断」を理由に台湾に来たが、毎日趙氏と遊んでいた。どこの腐敗した政府が、世論の代表者がこれほど傲慢で、無節操に「歩き回る」ことを許すのでしょうか。
陳の談話は趙が早朝、「過去の間違った出来事が妻を悲しませ、深く謝罪した。妻は報道内容を承知しており、許した」と声明した後、公の場でした謝罪を受けたもの。趙は夕方、一日熟考した結果、立法委員選挙から撤退することを決めたとし、「家族や支援者らに私的な過ちを改めて謝罪し、批判と寛容に感謝する」とSNSに投稿した。趙にはペロシがいなかったということか。
実はこの10月18日にも趙は、「民事時事監督同盟」から国立中山大学の彼の修士論文の42%が、大陸の二つの論文からの盗作だと提起されていた。趙は、共通学術論文比較システムで確認し、繰り返しの言及を除いた結果、中山大学の基準12%を下回る10%だったと反論したが、同大学は22日、この件を検討する学術倫理委員会の設置を発表した。
その数日後にハニトラが明るみに出た訳で、陳美雅のはしゃぎ振りが目に浮かぶ。が、立候補締め切りをひと月後に控えた時期、民進党候補のスキャンダル連続露見は到底偶然とは思えず、特に長年にわたるハニトラの暴露は、このタイミングを待って北京が仕掛けた認知戦の一環とみるべきだろう。
この一件を受けて民進党が急遽候補に担ぎ出したのが、30歳になったばかりの高雄市会議員(鳳山区)の黄捷(ファン・ジエ)だ。高雄女子高校から台湾大学に進んで公衆衛生学と社会学を修め、同大公衆衛生学院研究助手や国立衛生研究所研究助手、環境政治記者を歴任、18年には「時代力量」から高雄市議会議員選挙に出馬して当選し、高雄地区の党代表となった。
黄は20年8月に時代力量からの離脱し、党派を超えた親民進党系の小グループ「台湾2046」を結成したが、その理由は、総統選に敗れて高雄市長に戻った韓国瑜(後にリコールで罷免)の支持団体から20年1月にリコールの請願を受けたことだった。
黄は香港デモを支援すべく19年8月、SNSで香港への物資支援を呼び掛けたのだが、これが香港版国家安全法に違反するとして桃園市議が警察に通報した。さらに高雄市議会が米国産豚のラクトパミン検出ゼロ議決をした際、黄が専門家の立場からこれを安全として反対したこともあった。
これらを理由としたリコール請求で、民進党の高雄市議会議員団は黄を支持した。一方、見解を問われた時代力量の陳淑華主席は、黄は優秀な高雄市議だと断言したものの、時代力量は参加しないがリコールは民主的プロセスの一部だと述べるにとどまった。
結果は賛成55261票、反対65391票でリコール不成立となった。これを受けて黄は、22年の高雄市議選に無所属で立候補し、最高得票で当選した。当選後、高雄市議会民進党運営委員会に参加、23年6月に民進党入党を申請し、8月8日(台湾では8は縁起が良いとされる)に入党が承認された。
入党2ヵ月後の10月23日に降って湧いたのが趙の中国女性ハニトラスキャンダルだ。予期していた訳ではなかろうが、黄は民進党にとって真に「救いの女神」だろう。が、高雄市議を06年から4期12年続け、18年には最多の25640票を獲った陳(53歳)は強敵だ。20年1月には128072票の趙に35千票差で敗れはしたが、92377票を獲得した。
先に「陳美雅のはしゃぎ振りが目に浮かぶ」と書いたが、実は筆者は台湾在勤当時、彼女に大変お世話になった。早大の法学博士号を持ち日本語が堪能なことから、13年に高雄日本人会が講演に招いて面識があったので、高雄日本人慰霊塔の保存で彼女に一肌脱いでもらったのだ。
彼女は要望通り、高雄市政府の関係幹部を5〜6人集めてくれ、筆者は日本人慰霊塔の来歴などを述べて、保存を要請した。結果、15年秋に保存が決まった。当時はまだ陳市議が国民党で、陳菊市長が民進党重鎮とまでは思いが至らなかった。が、逆にそれが市長を刺激し、奏功したのかも知れぬ。
10年前の陳美雅の印象は、日本語は上手いが講演内容は、法学博士にしてはもう一つだったこと、そして化粧が濃いことだが、いま現地ニュースで話ぶりを観ると、キャリアから来る自信が垣間見える(高雄の友人は言葉がキツイという)。他方、周庭に似て幼さが残る黄だが、修羅場(リコール)を潜った芯の強さと聡明さを感じる。
総統選は優勢に進めているものの、立法委員選では苦戦が予想されている民進党、果たして、高雄6区の「女の闘い」がどうかなるかにも注目したい。