ロシア・ウクライナ戦争の動きが慌ただしい。米メディア『Axios』は22日、米国が先週ゼレンスキニーに提示したとされる停戦案をすっぱ抜いた。ゼレンスキーはこれをきっぱり拒否したと報じられている。トランプは、フランシスコ教皇の葬儀前日に行った彼との膝詰め会談の結果を翌27日、「good、nice、beautiful」としつつ、「前途多難だ(tough road ahead)」と明かした。
一方、『BBC』は同じ27日、プーチンが26日に「キエフ政権の冒険は完全に失敗した」と述べつつ、昨年8月からロシア西部クルスク州を占領していたウクライナ軍を撃破したロシア軍を祝福したと報じた。事実ならクレムリンにとって重要局面での象徴的な後押しとなるが、キーウは同国軍が同地域を維持すべく激しく戦っていると主張している、とも書いている。
本稿では、上記二つの出来事に絡めて、この戦争について筆者の思うところを述べてみたい。

トランプ大統領とゼレンスキー大統領 ホワイトハウスXより
その『Axios』記事は、トランプ提案でロシアが得るものとして以下の5項目を挙げる。
- ロシアのクリミア支配に対する米国による「法的承認(De jure recognition)」
- 米国によるルハンシク州のほぼ全域・ドネツィク・ヘルソン・ザポリージャのロシア占領地域の「事実上の承認(De-facto recognition)」 .
- ウクライナがNATOに加盟しないことの約束。但し、ウクライナがEUに加盟する可能性があること記されている
- 2014年以降に課せられた制裁の解除
- 特にエネルギーおよび産業分野における米国との経済協力の強化
一方、ウクライナが得るものは・・
- 「強固な安全保障の保証」。それには欧州諸国の特別グループに加えて、志を同じくする非欧州諸国も場合によって参加する。但し、この平和維持活動がどのように機能するかについて曖昧な記述しかなく、米国の参加についても言及されていない
- ロシアが占領している「ハリコフ州の一部の返還」
- ウクライナ南部の戦線に沿って流れる「ドニエプル川の自由な通過」
- 「補償と再建のための支援」。但し、資金がどこから調達されるかは明記なし。
上記の他、①欧州最大の原子力発電所「ザポリージャ原子力発電所」はウクライナ領と見做される。但し、米国がこれを運営し、ウクライナとロシアの両国に電力を供給する。②文書は、米国とウクライナの鉱物資源協定に言及しており、トランプ大統領は木曜(23日)に署名予定と述べた。

クリミア半島についてトランプは、「オバマとバイデンが手放した」「それは11年か12年前も昔のことだ。なぜ今になってクリミアを持ち出すのか分からない」「オバマ大統領にもう一度、なぜ放棄したのか聞いてみたらどうだろう」と述べている。事実、オバマ政権は中国による南シナ海岩礁の埋立て・軍事基地化と共に、ロシアによるクリミア半島領有を拱手傍観した。
要すれば、トランプ政権はクリミア半島をロシア領として承認する。他方、22年2月の侵攻以降にロシアが占領した4州については「事実上(De-facto)」承認するとした。「事実上の承認」とはロシアの実効支配を黙認するということだろう。そこで思い浮かぶ歴史上の出来事が二つある。一つは「一つの中国」であり、他は「台湾と北方領土の法的地位」だ。
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前者の「一つの中国」に関する米国の立場は、72年2月の「上海コミュニケ」からずっと「米国は、台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している」というもので、台湾を中国の一部とは認めていない。それに対して、ロシアによるクリミア領有の「法的な(De jure)承認」には曖昧さが皆無だ。「文句があるならオバマに言え」という訳だろう。

後者の「法的地位」について、日本の敗戦まで日本の領土であった満州(ここは事実上)・北方領土・台湾・朝鮮の法的地位は、1951年9月署名の「サンフランシスコ平和条約」(サ条約)でこう定められた。即ち、日本は台湾、千島列島、南樺太の領有権を放棄する、日本は朝鮮の独立を認めて放棄する、満州は中国政府の主権下にある、といった具合に。
「サ条約」から遡ること6年前の1945年9月2日、日本が降伏文書に署名したその日、「GHQ一般命令第一号」によって、日本軍が降伏・武装解除すべき連合国の司令官を指定された。それには、千島列島と南樺太の日本軍はソビエト連邦極東軍最高司令官対して降伏し、中国、台湾、北緯16度以北の仏領インドシナの日本軍は蔣介石に対して降伏する、とあった。
それ以来、台湾は蒋介石率いる国民党によって「実効支配」され、49年5月から87年7月までの38年間戒厳令が布かれていた。2000年以降は民進党と国民党が政権を取りあっているが、その間一貫して「一つの中国」を唱えて武力統一すら辞さない中国の脅威に晒され続けているのは周知の通りである。
が、「サ条約」に見る通り、日本は台湾を「放棄」しただけであって、朝鮮のように独立を認めた訳でもなければ、満州のように中国の主権下に加わった訳でもない。つまり、国際法上は、蒋介石:国民党が「GHQ一般命令第一号」に乗じて、「事実上(De-facto)」領有を続けているに過ぎない。これが民進党など台湾独立派の法的根拠である。この事情は、ソ連(ロシア)による南樺太と北方4島も同しだ。

今回のトランプ裁定を見るにつけ、筆者の次なる心配の種はこの「台湾」である。71年9月からの第26回国連総会で、「中華人民共和国政府の代表権回復」を趣旨とするアルバニア決議案の表決を待たずに議場から退場して以来、中華民国(台湾)に注がれる世界の目は、中国による「一つの中国」のプロパガンダで曇らされている。


それにもめげず1980年代から韓国・香港・シンガポールと共に「NIES」と称され急速な工業化と経済成長を遂げた台湾は、今や半導体をはじめとする電子立国としても、また民主主義の模範国としても、世界に冠たる地位を築くに至っている。そのバックボーンは約7割が自分は台湾人だとする「台湾人アイデンティティ」にあると筆者は考えている。

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そこで「ノヴォロシア(新ロシア)」の話になる。43年間帝位にあったピョートル大帝が1725年に没した後、6人の短命皇帝を継いで1762年に即位した女帝エカテリーナ2世(~1796年)は、73年夏のドン・コサック(コサックの軍組織)の反乱を75年9月に反乱を鎮圧する傍ら、領土の拡大にも着手した。

ポーランドの3次にわたる分割・消滅や、オスマン帝国との数次の露土戦争によるクリミア・ハン国の併合などである。第一次露土戦争 (1768年-1774年)の勝利で、オスマン帝国との「キュチュク・カイナルジ条約」で併合した、黒海北岸・東岸地域に位置したクリミア・タタール人の住むクリミア・ハン国の黒海北岸地域が、ほぼそのまま「ノヴォロシア」に当たる。
エカテリーナは広大な「ノヴォロシア」の土地を貴族階級に与え、ロシア人やウクライナ人を入植させた。その地の開発と統治は、軍人であり、政治家であり、愛人でもあったグレゴリー・ポチョムキンにさせた。斯くて「ノヴォロシア」にはエカテリノスラフ、ヘルソン、オデッサ、二コラエフなどの都市が建設されたのだった。
つまり、プーチンが2014年に領有したクリミア半島や22年2月以降の侵攻で実効支配しているルハンシク・ドネツィク・ヘルソン・ザポリージャの各州やオデッサまでもが、かつての「ノヴォロシア」であった。ソ連時代にはウクライナの南部を占めていた「ノヴォロシア」をプーチンが今日改めて実効支配したということ。
ここ2千年来の中国を見ても漢人による支配は漢や宋、そして辛亥革命以降の数百年に過ぎず、長くは北方の鮮卑やモンゴル人や女真族の支配下にあった。民主香港に国安法が持ち込まれ、大陸に一体化されても香港住民の多くは「ひっそり暮らす分には何ということはない」と言っていると、香港に妻とその両親を残して台湾の日本企業で働く日本人の知人から聞いた。

何を言いたいかと言えば、かつての「ノヴォロシア」に住む人々は事ここに至れば、ミサイルに怯える日々よりも枕を高くして眠れる日々を望んでいるのではあるまいか、ということ。
だが、台湾有事はこれからのことだ。日本は勿論のこと、米国、EU、ASEAN、インド、オーストラリア、韓国など西側諸国は、中国の魔手から民主台湾を守るべく、一致団結するべきだ。
最後にクルスク州のことだが、後講釈でいう訳ではないが、筆者は昨年8月のウクライナによるクルスク侵攻は悪手と直感した。なぜなら、それまで一方的に自国領土だけが戦場になっていた侵略戦争を、互いの領土に侵攻する全面戦争に変えてしまう恐れがあったからだ。1年前に本欄に寄せた拙稿「今更だがウクライナとイスラエルを擁護すべき理由」でもこう書いた。

(ロシア・ウクライナ戦争の)戦闘員の正確な死傷者数は判らない。が、民間人の死傷者なら確かなことがある。それは戦場になっていないロシアの民間人に犠牲者がいない一方、戦場になっているウクライナでは、「ロシア占領下の地域の数万」以外でも、ミサイルやドローンによる無差別攻撃の犠牲者が少なからずいることだ。他国の領土への一方的な侵攻と非対称な戦場での無差別攻撃による無辜の市民の犠牲者、これらの事実はソ連擁護が間違いであることを物語る。
だがクルスクの攻防では、ロ・ウ両軍の兵士のみならず、クルスクの一般住民や万単位の北朝鮮兵までが犠牲になった。ゼレンスキーにとって、やはりやるべきでない作戦だったのではなかろうか。






