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(前回:『格差不安時代のコミュニティ社会学』の「縁、運、根」)
「社会学講座」は日本出版文化の象徴
戦後日本では、ほぼ10年ごとに「社会学講座」が出版されてきた。その嚆矢は1950年代後半の『講座 社会学』(全10巻 東京大学出版会)であり、続いて1970年代前半の『社会学講座』(全18巻 東京大学出版会)、2000年前後の『講座 社会学』(全16巻 東京大学出版会)へと継承されてきた。このうち『社会学講座』(全18巻)はちょうど大学院生であった私たち団塊世代にとって格好の道案内になった。
団塊世代の研究指針
一つは各拠点大学の大学院で直接指導されている教授・助教授が各巻に本格的な論文を執筆されていて、そこに所属する院生が自らの修士論文や学会誌『社会学評論』への投稿論文のお手本にすることができたからである。なにしろ毎週の講義やゼミで身近に接する恩師が書かれた論文なので、細かな質問をしても即答していただけるというメリットがあった。
これら以外にも1980年代には『基礎社会学』(全5巻 東洋経済新報社)、1990年代後半の『岩波講座 現代社会学』(全27巻 岩波書店)があり、後者への評価は高くはないが、それでも時代のニーズに応えながら、これらの講座も教育と研究に大きな役割を果たしてきたといえる。
企画者や出版社の個性が反映
「講座」では企画者や出版社の個性も強く反映していて、社会学だけでなく社会科学全体に、そして学問に志す若い世代にも指針となる内容を提供してきた。団塊世代の私もまた、選択的にとはいえこれら講座に掲載された先人からの業績にたくさんの恩恵を受けてきたのは事実である。
ちなみに私の愛読書は、『社会学講座』(全18巻)のうちの倉沢進編『都市社会学』と青井和夫編『理論社会学』であったが、それら以外の16冊も大学院生にとっては自らの視野を広げた論文が多かった。
「講座・社会変動」(ミネルヴァ書房)の企画依頼
さて、本連載第4回目(2025年4月27日)で取り上げた『都市高齢社会と地域福祉』(1993年)が九州大学の学位論文審査に合格して、博士(文学)を取得して、その翌年には、日本都市学会賞(奥井記念賞)を受賞したことには触れた。そしてこのことは、お礼を兼ねて版元のミネルヴァ書房杉田啓三社長にも連絡した。
それから数年後の1998年の秋の日本社会学会大会で社長にお会いした際に、私に対して「新しい21世紀にふさわしい社会学講座」を企画してほしいという依頼があった。これは全く寝耳に水の話ではあったが、何しろ社長自らのご意思のようであり、学界として伝統のある「社会学講座」の一翼を担えるのは名誉なことだと思い、その場で快諾した。
『マクロ社会学』(1993年)を10巻に拡大した
その理由は、5月4日に取り上げた連載第5回目の『マクロ社会学』(共著1993年)が10年で8刷まで行ったことにより、このような内容に関しては確実な読者のニーズの存在を感じていたからである。だからこの内容をいずれ拡張したいと願っていた。
そこで同じ大会に参加していた共著者の長谷川公一氏に新しい講座の話をしたら、彼も「やりましょう」という回答だったので、その後数回のやり取りをして、表1のような構成を作成した。
表1 『マクロ社会学』と「講座:社会変動」の対比
(出典)長谷川公一氏と私の共同作成
編者候補全員が快諾された
講座ものの成否はひとえに各巻の編者の双肩にかかっていることは、これまで成功したいくつかの「社会学講座」で肝に銘じていたから、長谷川氏と入念に打ち合わせて、表1に基づき団塊世代を中心にした編者の候補リストを作った。そして私か彼かもしくは二人ともに縁がある先輩・友人・知人を中心に、この「講座:社会変動」各巻への編者をお願いしたところ、候補者全員に快諾していただけた。
かねてから学問上の交流という縁があり、同じような世代という運もあったのだろうが、当時の私たちには最良の編者の方々が揃ったことになった。
全10巻の編者
具体的には、
第1巻 『社会変動と社会学』(編者・金子・長谷川)、
第2巻『産業化と環境共生』(編者・東京工業大学今田高俊教授)
第3巻『都市化とパートナーシップ』(編者・東京都立大学森岡清志教授)
第4巻『官僚制化とネットワーク社会』(編者・法政大学舩橋晴俊教授)
第5巻『流動化と社会格差』(編者・東北大学原純輔教授)
第6巻『情報化と文化変容』(編者・東北大学正村俊之教授)
第7巻『国際化とアイデンティティ』(編者・一橋大学梶田孝道教授)
第8巻『高齢化と少子社会』(編者・金子勇)
第9巻『福祉化と成熟社会』(編者・上智大学藤村正之教授)
第10巻『計画化と公共性』(当初の編者予定は長谷川、後に金子)
という布陣であった。これは新世紀にふさわしく、2000年前後では最強の布陣であったと今でも自負している。
「講座:社会変動」の狙い
「社会学講座」ではなく、「講座:社会変動」としたのは、新世紀を特色づける社会変動の姿を、できるだけ体系的に論述し、展開するという方針を鮮明にしたかったからである。
そのため、いわゆる社会学論や社会学方法論への細かなこだわりを避けて、編者それぞれがその一巻をどのような問題意識で構成して、何をテーマとして論じ、その具体的な観察対象から引き出せるものを読者に提供していただけるような本づくりに徹した。
隣接分野と政策への目配り
また、日本社会を中心に国際化の時代動向にも目配りして、隣接分野や表1に示した高齢化や国際化、それに情報化や流動化などのゼーション現象が生起している<現場>での交流や対話にも心がけるようにした。
そして、長谷川氏と私が日頃から指針としていたウェーバーの言葉、「われわれの研究が、雑然たる素材と、個々バラバラな断想との集積に終わらないようにしなければならない」(ウェーバー、1904=1998:167)。また「われわれの専門領域で狭義には『理論』と呼ばれている研究形式、すなわち明晰な概念の構成とを、これまでよりいっそう心して重視していかなければならない」(同上:184)を常時噛みしめていた。
順調な刊行
全10巻の書下ろしシリーズだから、完結には遅くて10年はかかると想定していたが、最初に『国際化とアイデンティティ』が2001年12月15日に刊行され、次に『流動化と社会格差』と『高齢化と少子社会』が2002年5月10日に同時配本になった。以下、『情報化と文化変容』が2003年10月10日、『産業化と環境共生』も2003年12月10日に出版された。
その後は少し間があり、『官僚制化とネットワーク社会』は2006年7月30日に、そして『福祉化と成熟社会』が2006年8月30日、『都市化とパートナーシップ』が2008年2月10日に刊行の運びになり、我々両名の 『社会変動と社会学』も11月30日に出版された。
編者が辞退
ちょうど8年がかりで9冊の刊行だったから、予定通りの刊行スケジュールであったが、最後の巻『計画化と公共性』が予定の編者であった長谷川氏の都合で大幅に遅れてしまい、しかも2015年になってから、この巻の編者を辞退するという意向が本人から編集部と私に伝えられた。説得はしたもののその辞意は固かった。だからといって放置するわけにもいかず、結局は私がそこから新規メンバーによる新しい企画を作り、編集部と相談して執筆者を決めてお願いして、7年遅れの再出発になった。
幸いなことに、私の念頭にあった予定候補者全員に快諾していただけたので、それから2年後の2017年3月30日に新しい『計画化と公共性』(金子編)が出て、18年後に「講座:社会変動」は無事に完結した。これもまた、私なりの縁と運の賜物であると痛感した。
18年後の講座完結への反省
ただし、この約10年の遅れは全くの誤算であったことは事実である。そのため10巻完結としてのセット販売もできなくなり、営業的にも低迷せざるを得なかった。それでミネルヴァ書房社長をはじめ、関係者にお詫びをすることにもなった。
なぜなら、講座ものにも「時の勢い」があり、10巻が10年で完結すれば、一気に10冊のセット販売、後には割引販売が可能になるからである。
しかし、最終巻だけが10年遅れで刊行されたのでは、「講座:社会変動」自体のもつインパクトが喪失してしまっており、他の9巻の内容も優れていただけに、まことに残念な結果になったと今でも思っている。
新シリーズの胎動
ただ今から振り返ると、新しいプランとして、7巻目の『福祉化と成熟社会』まで出揃った2006年の秋に、再び杉田社長から新しい一人一冊シリーズの企画を頼まれたことがあげられる。今度は書下ろしの単著シリーズの要望であった。
せっかくのお話でもあり、お引き受けはしたが、もちろん一人だけの企画は不可能であったので、同じ団塊世代の盛山和夫東京大学教授に相談した。もちろん盛山教授も了承されたが、ただ世代間の継承を考えた内容にしたほうがいいと意見が一致した。
そこで、私たちよりも一回り若い佐藤俊樹東京大学准教授と三隅一人九州大学准教授に企画・編集委員をお願いしたところ、お二人にも快諾していただいた。
この4人による数回の打ち合わせで、第1期の候補者19人を決めて、4人それぞれがもつ縁を活かして執筆の交渉をおこなった。快諾していただいた方も断わられた方もいたが、最終的には19人(のちに20人)が揃い、「叢書・現代社会学」シリーズが誕生した。
刊行のことば
第1期の執筆候補が揃ったので、「講座:社会変動」のような轍を踏まないように、4名の企画・編集委員は可能なかぎり早めに脱稿することを申し合わせた。そして、各巻冒頭の「刊行のことば」を準備した。私が草稿を書いて、3名の方々にチェックしていただき、それを最終稿とした。
『叢書・現代社会学』刊行にあたって
人間の共同生活の科学である社会学の課題は、対象とする共同生活における連帯、凝集性、統合、関係などを一定の手続きに基づいて調査し、その内実を理解することにある。数年から十数年かけてまとめた研究成果は、江湖の批判や賛同を求めるために、ジェンダー、世代、階層、コミュニティなどの社会分析の基本軸に着眼しつつ執筆され、社会学的想像力と創造力に溢れる作品として刊行される。
『叢書・現代社会学』は、21世紀初頭の日本社会学が到達した水準を維持し、それぞれで研鑽を積み上げた専門家が、得意なテーマを絞り、包括的な視点での書下ろし作品を通して、現代社会と社会学が抱える諸問題に答えようとする意図をもつ。
この狙いを達成するには、160年の社会学史のなかで培われてきた研究の軸となる基礎概念や基本的方法を身につけ、正機能と逆機能、顕在機能と潜在機能、土着と流動、開放と閉鎖、包摂と排除などの視点を駆使しながら、文献や調査資料などのデータ分析からのロジカルシンキングを行うことである。これには、事例を集める、事実を確認する、定義する、指標化する、観察する、解釈する、概念を作る、推論する、原因やメカニズムを追求する、分析する、比較する、結論を下すといった科学的で普遍的な論証のための過程が含まれる。
学界の最先端の水準を維持したうえで、分かりやすく読み応えのある叢書をという目標のもと、企画会議を繰り返し、試行錯誤のなかで斬新なシリーズを誕生させることができた。叢書全体で、現代社会の抱える諸問題と真剣に格闘しつつ、社会学という学問の全体像を明らかにして、次世代による更なる探求への発展につなげたいと願っている。
その意味で、日本社会学界の今後にもささやかな貢献ができると確信する。幅広い読者の支援をお願いする次第である。
2009年9月
金子勇・盛山和夫・佐藤俊樹・三隅一人
多様な研究分野
研究分野の多様性は社会学の特色であり、個人の主観的内面から世界システムの動向までを含み、空間的には近隣から地域社会、日本社会、国際社会までの延伸が可能になる。時間軸としても、過去と現在だけではなく、少なくとも近未来までは取り込める。
社会学の創始者であるコントは秩序を、日本の理論社会学の泰斗である高田保馬は結合を、それぞれ終生の課題としたが、本叢書に御協力いただく社会学者も、独自の問題意識と方法論を駆使して自らの専門分野で多大の成果をお持ちの方々であった。
編者4人が先に刊行した
ちなみに、金子『社会分析』2009年10月、盛山『社会学とは何か』2011年2月、佐藤『社会学の方法』2011年9月、三隅『社会関係資本』2013年9月というように「講座:社会変動」での反省を活かして、4人の編者の脱稿はいずれも早かった。
以下、その第1巻となった私の『社会分析』の「縁、運、根」を簡略にまとめておこう。
還暦で刊行した『社会分析』
私は講義の雑談として血液型による性格の違いに時々触れていたが、AB型の場合は、時折A型が強い時期とB型が強い時期があり、さらに両者のバランスを回復しようとするAB型が前面に出る場合があるという自分の経験を中心に話すことがあった。コミュニティや家族それに「少子化する高齢社会」をテーマとした社会学講義の合間の雑談だから、受講している学生も気楽に聞いていた。
しかし、この数回の連載で紹介したように、「社会調査」への問題意識と現地観察、訪問面接、データ分析に特化した時期がたとえばA型が強い時期ならば、その反動として、社会学の古典を精読したいという欲求が強い時期としてのB型の時期がいわば交互に表れていたことは事実であった。そしてAB型として、その両者を集約して一冊の「現状分析と政策論」にまとめたい気持ちになることを、還暦までに数回経験した。
マンハイムの影響
学生・院生の頃から、「現状分析」を正しく行うのが社会学の王道であるという教えは、恩師鈴木広先生から学び取っていたが、先生同様にテーマ次第ではその先に「ではどうするか」を考えておきたいという願望も強かった。
特に繰り返し読んできたマンハイムの『自由・権力・民主的計画』(1950)において、「われわれが生きているのは、・・・・・・歴史の重大な岐路においてである。必要なのは、時代を嘆くことでも過去を懐かしんで堕落を嘆くことでもなくて、堕落の時代を生み出したものの批判的分析である。(中略)そして結局は・・・・・・その社会機構を変える方法と手段を求めるであろう。状況の診断は、新しい目標と提示される手段とのいかなる叙述にも先行してなされなければならない」(マンハイム、1950=1976:10-11)という文章には影響を強い受けてきたからである。
「社会診断学」への模索
その意味では、「社会診断」としては、①社会調査による正確な現状分析、②先行研究との接合、③新しい社会目標と手段の提示の3点が同時に含まれることになり、「少子化」でも「高齢化」でも著書の場合には、その方向で努力してきたことは事実である。
この連載でも紹介してきたように、「少子化」を事例とすれば、①については合計特殊出生率、年少人口率と数、小家族化、生涯未婚率、単身化などの公的データに依拠しながら、科学研究費を使っての地方都市での訪問面接調査による現状分析を行ってきた。
②についても、高田保馬の人口史観、ブレンターノやデュボスそれにカウフマンなどの低出生率への提言を取り入れてきた。そして③に関しては、社会目標として「子育て共同参画社会」を明瞭に位置づけ、日本の近未来を想定しながら最終的な「老若男女共生社会」を展望してきた。
デカルト『方法序説』から
加えて本書では冒頭の3章分を使って、私なりの「社会分析の視点と方法」を詳細に論じた。この構成は連載第9回目の『社会学的創造力』(6月1日)と同じで、前半には理論編、後半が実証編という体裁をとっている。
特に第1章では、デカルト『方法序説』のエッセンスを社会学研究に取り込んだ内容が類書にはない個性になった。いわゆるデカルトの「4規則」であり、(1)明証性(速断と偏見を避け、疑う余地がない)、(2)分割性(問題をできるだけ多くの部分に分ける)、(3)順序正しい総合性(単純なものから複雑なものへ順序正しく考察する)、(4)枚挙性(見落としをしないようにすべてを見直す)を重視した(デカルト、1937=1997:28-29)。
『精神指導の規則』の論点も使う
さらに『精神指導の規則』(1701=1974)を使い、とりわけ「規則第3」での「学問における多数決の無益無意味さ」を強調した。また複雑な全体をいったんは単純化して、<複雑な対象→単純な方法→単純な対象→単純認識→複合認識>という「順序正しい総合性」の意義を明らかにした。
コントの「実証性」の6要件
他にも連載5回目『マクロ社会学』(5月4日)で詳述したコントの「実証性」の6要件、高田保馬の人口史観などを集めて、第1部理論編の集約とした。
後半の2/3は当時までに関心があり、雑誌論文として発表していた「日本の高度成長期の分析」、「地球温暖化論」、「地域福祉と児童虐待」、「産み育てる社会環境の分析と対策」、「日本都市社会学の源流」、そして付録としては、私が選んだ「外国における社会分析の古典」18冊の要約と紹介、「日本における社会分析の古典」12冊の要約と紹介を掲載した。
それぞれの内容は本文に譲るが、そのような「社会分析」を行う大前提を最後に紹介しておこう。
万能語使用の禁止の原則
何しろ20歳代前半の大学院修士課程から還暦まで、たくさんの社会学書や論文を読みながら暮らしてきたのであるから、学界特有の用語法にも慣れていた。その中ではもちろんお手本にしたい用語もあれば、絶対に使いたくないという用語法もあった。
還暦までの数十年は、とくに「使いたくないという用語法」を意識して、論文や著書をまとめてきたという思いが強かった。それは「万能語を使用しない」という大原則である。
万能語を使うと、建設的な議論ができない
その理由は、万能語を使うと建設的な議論ができず、そこから先の学問的な検討が不可能になるからである。たとえば、人権という言葉が出てくると、その先の学術的議論はもはやできない。何をいっても「人権問題」という批判が予想されるからである。他には「民主主義」や「市民社会」それに「人間本位」と「人間らしさ」なども、同じ文脈に位置づけられる。
「民主主義」はその可能性だけではなく、その限界についてもなかなか論じられない。自由と民主主義は美しいスローガンだが、「自由からの逃走」(フロム)も歴史的には証明された命題である。
取り上げたテーマの現状、推移、方向性を論じた挙句の果てに、「今後は民主主義を展望したい」、「市民(社会)の再生が課題だ」、「人間らしい生活が必要だ」という結論はもう止めたい。このような結論がいかに量産されても、それらは何も生み出さないからである。
「生活の論理」も使わない
社会学ではとりわけ便利な万能語である「生活の論理」や「下からの立場」が20世紀末までよく使われてきたし、21世紀になってもまだこれらを使った論文が散見される。
前者は「資本の論理」と対置され、「資本の論理」を体現する国家独占資本主義が住民の「生活の論理」を破壊するというように用いられてきた。内容は必ずしも鮮明でないままに、学問ではなく一種の気分として使用されてきたのである。
この対置は若い院生だけではなく、重鎮の教授方も重宝されていたが、私はそのような論文や著書は読まない原則を貫いてきた。
郵政民営化問題でも使われた
たとえば、2005年から2006年にかけて、日本社会の大きな争点の一つは郵政民営化問題であったが、「資本の論理」の筆頭である市場原理を押し立てる国家独占資本主義を体現する政府与野党財界は、過疎地域の最後の核になっている「郵便局」の廃止を含む「民営化」を決定した。
そのときに、国民「生活の論理」を重視する建前をもつ新聞の大半は、この「資本の論理」に賛同した。『朝日新聞』や『日本経済新聞』は、参議院で最初に否決されたその日の社説で、「郵政民営化法案」を可決せよとさえ書いたのである。
「生活の論理」とは何か
しかし、半年もたたないうちに、「資本の論理」で裏打ちされた市場原理が貫徹した郵政公社の集配局再編で、過疎地域の切捨て可能性が高まると、「生活の論理」が無視されるような「地域格差の拡大は困る」と新聞各紙は嘆くようになる。冷静な論理の目があれば、市場原理を押し立てた民営化では、このような結果が必然であると予想できたはずである。
いくら「資本の論理」に「生活の論理」を対置して、「生活の論理」を優先するといっても、言葉だけの遊びにすぎない。そしてこれは日本マスコミだけの通弊だけではなく、21世紀の現代社会学でも依然として散見されるようである。
下からの立場と上からの立場
同じレベルの用語に「下からの立場」と「上からの立場」がある。
たとえば、政府が郵政民営化を押し付けてきたことに対抗するのは、下から反対運動を組織して打ち破っていかなければならないという結論になる。しかし、これは学問的にはいささか疑問のある論理であろう。なぜなら、「上から」「下から」という基準が、主唱者の立場しだいで変化するからである。
政府の意向とは異なり、知事や市町村長が住民に向けて何か新しい施策を行ったときに、それは「上から」なのか、「下から」なのか。
市町村の「上」か「下」か
市町村の合併を例にしよう。市長や町長が合併をやろうとしても、議会が反対をする。議員の定数が確実に減少するので、議員は反対に回ることが多かった。ところが、合併をすることによって、総務省から特例で多額の補助金が来るので、市町村長や行政サイドはやりたがった。知事もおおむねは合併賛成派であった。
その場合、賛成側の住民にとっては、市町村長の合併意思を、「上から」の押し付けとは考えないだろうし、反対派も「下から」の押し付けとはみなさないはずである。
「上」「下」は相対的
いうまでもなく、市町村の「上」には、都道府県庁があり、その上には総務省はじめ中央官庁がある。そのため、住民にとっては、総務省という「上」の立場と市長という「上」の立場は同列ではない。したがって、絶えずその「上下」は相対的にならざるをえない。
これは簡単な論理の問題だが、21世紀の今日ですら、依然として論文の結論部分に「従来の上から」の押し付けを止め、今後は「下から」の立場で新しいまちづくりの創造や、高齢者福祉に取り組む必要があるという表現をする人がいることは大変残念である。
実りある社会分析のために
このようなレベルに終始する社会分析では、実りある理論化には程遠く、社会学の成果への国民からの信用も得られないと思われる。「資本の論理」に対して「生活の論理」を対置したり、「上から」に「下から」をぶつけても、いかなるメッセージの価値もないのだから。
要するに、コント以来の歴史をもつ社会の再生、建設、改善に向けての社会学では、まず万能語を排除する勇気があるかという問いかけを自らに課すことである。
これらは身近な助手、院生、学生には折に触れて話していたが、公開したことはない。アゴラの誌面をお借りして、私なりの「社会分析」の大原則をお示しした次第である。
【参照文献】
- Descartes,R.,1637, Discours de la Méthode. (=1997 谷川多佳子訳 『方法序説』岩波書店).
- Descartes,R.,1701,Regulae ad Directionem ingenii. (=1974 野田又夫訳『精神指導の規則』岩波書店).
- 金子勇,2009,『社会分析』ミネルヴァ書房.
- Mannheim,K.,1950,edited by Hans Gerth, and Ernest K.Bramstedt, Freedom, Power, and Democratic Planning, Oxford University Press.(=1976 田野崎昭夫訳『自由・権力・民主的計画』 潮出版社).
- Weber,M.,1904,Die》Objektivität《 Sozialwissenschaftlicher und Sozialpolitischer Erkenntnis.(=1998 富永祐治・立野保男訳、折原浩補訳「社会科学と社会政策にかかわる認識の『客観性』」岩波書店).
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