ヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡・日本』は1948年に米国で上梓された。日本語版は95年に出版されたが、05年の「新版」の「刊行にあたって」の冒頭に、マッカーサーが49年8月6日に知人に宛てた書簡の「占領が終わらなければ、日本人はこの本を日本語で読むことは出来ない」との一文が記されている。
48年の上梓直後に、翻訳家の原百代がミアーズから原著の寄贈と日本での翻訳権を得て、GHQに翻訳出版を求めた結果がこのマッカーサー書簡の記述だった。
が、筆者はこのことを以てマッカーサーを難じる気になれない。48年の段階で彼は、ミアーズ本を日本国民に読ませるのは時期尚早だ、と考えたに違いないと思うからだ。マッカーサーは来日直後に、これまでの日本に対する自身の認識が間違いだったと気づいたはずだ。気づかせたのは45年9月27日に初めて会った昭和天皇であり、そこし後に話を聞いた近衛文麿だったのではあるまいか。だが、48年にはまだ彼の中で日本語版を許可する機が熟していなかった。

厚木海軍飛行場に到着したマッカーサー
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マッカーサーが、日本人にミアーズ本を読ませ、また彼の「日本観」を伝えられると確信させたのは朝鮮戦争ではなかったか。この戦争で米軍を主力とする連合軍は大苦戦した。その米軍を裏で支え、愚策とされた仁川上陸をも成功させたのは、ついこの間まで干戈を交えていた日本のロジスティクスだった。マッカーサーは、50年6月25日からのこの過酷な戦いを経て、5年前の近衛の話(同年2月の陛下への上奏と同しく、戦前戦中の軍部の跋扈と戦後の共産党の脅威)の意味を再認識したのだと思う。
斯くて、中国への原爆投下提案でトルーマンに解任されたマッカーサーは、51年5月の議会公聴会でこう述べた。
日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない。・・日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた。・・もし原料供給を断ち切られたら1000万〜1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった。
ミアーズ本にも戦前の日本についてこう記されている。
日本は生きるために海外で売らなければならなかった。かといって、何十億ドルも売ろうとしたわけではない。彼らが求めていたのは基本的なもので、むしろ控えめだった。日本人は生活水準を引き上げようとしたのではない。ただ生きることを求めていたのだ。日本から見れば、アメリカが持っている基礎資源と原料物質の豊かさこそ、不正競争をもたらしているものだが、アメリカ人はそんな見方があることすら知らない。
ミアーズはまた、戦略爆撃調査団が日本の戦争指導部から事情を聴取し、46年7月に大統領に提出した報告が次のように記していたことにも触れている。
日本の指導部が国家の存亡に関わる利益のために戦っていると難く信じて、戦争を始めたことは明らかである。これに対して、アメリカは単に自分たちの経済的優位と主義主張を押しつけようとしているのであって、国家の存亡に関わる安全保障のために戦っているのではない、と彼らは信じていた。
もしマッカーサーが『アメリカの鏡・日本』を読んでいなかったら、公聴会で同じ発言が出来ただろうか、との思いが筆者にはある。で、「占領が終わらなければ、日本人は・・読むことは出来ない」と書いたのだ。彼のそうした思いは、米国の子供に対する歴史教育の仕方に似てはいまいか。つまり、理解力が身についていないうちは、自国の歴史の影の部分を教えない、そうして愛国心を涵養するやり方である。
話は今の米国に飛ぶ。最近の若者は『NYT』の「1619プロジェクト」や移民女性議員集団「The Squad」に引きずられて歴としたマルクス主義政党と化し、アメリカ民主社会主義者(DSA)に支持されたマムダニNY市長を輩出してしまった民主党の影響もあって、奴隷制の原罪に苛まれたり、反ユダヤ主義に染まったりで、反米化が著しい。これを修正すべくトランプ1.0が立ち上げた「1776委員会」も、建国250周年を迎えたというのに影が薄い。
『アメリカの鏡・日本』に話を戻す。ミアーズが書いていることが正しい主張ばかりかと言えば、そうでないものもある。例えば以下の記述だ。
戦争が始まる前、私たちは、枢軸国は本性から侵略的であると聞かされていた。彼らを捕らえて罰しさえすれば、世界は平和になるはずだった。しかし、彼らは壊滅したというのに、本当の平和はどこにもない。内戦と革命戦争がアジア全域と太平洋の島々で吹き荒れ、世界の至る所で、戦争前夜と同じような不安の爆発の前兆が感じられる。・・・確かに日本という国家には報復をする力はない。しかし、日本はアジアと植民地のシンボルとして生き続け、私たちが気付いていない人種的敵意を煽るかも知れない。
ミアーズがこう書いた終戦直後には確かにそうだったのかも知れぬ。が、東南アジア諸国は、日本軍がこの戦争の初期にそれらの欧米の宗主国をこの地域から悉く駆逐したことによって、終戦からほぼ10年後までに、以下のように立派に独立を果たした。
- インドネシア:45年に独立宣言し49年にオランダから
- ベトナム:45年に独立宣言し54年にフランスから
- フィリピン:46年に米国から
- ビルマ(現ミャンマー):48年に英国から
- カンボジア:53年にフランスから
- ラオス:53年にフランスから
つまり、共産党を始めとする日本の左派がいう、「先の大戦で日本が多大な犠牲を強いた東南アジア諸国」などという言説は全くの的外れであって、日本軍が戦ったのはそれらの宗主国たる上記の西欧列強だったのだ。インドネシアでは、終戦後も居残った旧日本兵が現地軍と共に戦うことすらしたのである。
最後に、実は本稿は昨年8月に「戦後80年の8月に親しむべきヘレン・ミアーズ本」と題して書いた拙稿をすっかり失念して書いた。書き終わって気づき読み比べると、テーマも引用部も異なるので寄せることにした次第。それほどに『アメリカの鏡・日本』は、示唆に富んだ珠玉の主張に満ちている。







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