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目下、自民党内で「石破降ろし」が進行中だ。国民の多くと同じく筆者も、石破総理が「慰霊の8月」のどこかで「戦後80年」に言及することを危惧するので、一刻も早く総理を辞してもらいたい。安倍氏の「戦後70年談話」のような閣議決定を経たものにはならないようだが、15日の「終戦の日」でないとしても、彼が総理として戦後80年の「見解」を述べること自体、日本の国益に適わない。
筆者の知る限り、彼の歴史認識は多分に自虐的で、誤解もあるからだ。西田昌司参院議員の「ひめゆり発言」に係る国会答弁でもそれが垣間見えた。これでは、日米同盟の潜在的な敵国である中国につけ込まれかねない。『産経』の阿比留記者によれば、石破氏は17年前から「日本の戦争責任の検証」をしたいと述べていたそうだが、辞める前に臭い一発をかまされては堪らない。
そこでヘレン・ミアーズのことになる。偶々7月31日に1時間20分余りのネットライブを見ていたら、門田隆将氏がミアーズに触れていた。番組自体は門田氏が『大統領に告ぐ』(以下、門田本)なる自著の宣伝を軸に、自民党内の抗争を解説し、石破総理の談話発出に反対する趣向だった。なお門田本の主人公は、4月の拙稿「硫黄島に因む手紙異聞(後編)」で言及した、硫黄島で玉砕した市丸利之助中将のようである。
門田氏は番組が55分ほど経過したところで、凡そこう述べた(筆者の文字起こしによる)。
『大統領に告ぐ』の紹介を兼ねて申し上げれば、真にこの市丸利之助が書いたものって、だいぶ安倍談話に近いですよね。安倍談話ではペリー来航まではなかったと思いますが、明治維新以降、西洋諸国の手がアジア植民地に伸びる中で日本にはいろんな葛藤があり、植民地解放の戦いだったとまでは明言していないものの、これは実は当時の常識だから。
要するにこの(本の)最後の方の13章・14章で、ヘレン・ミアーズ、これアメリカの文化人類学者だけど、この人が同じことを書いている訳よ。日本の立場っていうのはこうであって、事実その通りにしか日本はやってないし、問題はアングロサクソンの方にありますよということを。
マッカーサーも日本から解任されて帰った翌月ですよ。あれ昭和だから20何年か? 1950年の上院公聴会で、日本はその已むに已まれぬ形であの戦争に行ったんだと、これは自衛のための戦いだったということを証言していますから。そうするとミアーズの書いていることと同じなんだよね。当時のアメリカの1番の研究者も、GHQの最高司令官も同じことを書いているんですよ。
マッカーサーは1951年5月3日、米上院の軍事外交合同委員会で行った230語ほどの証言で、綿花も羊毛も石油も錫もゴムもない日本を米国は包囲したが、それらの全てがアジア地域にはあった。これらの供給を絶たれたら、10百万から12百万人の失業者が出ると彼らは恐れていたとし、最後を「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.(従って、彼らが戦争に踏み切った目的は、安全保障によるところが大きかった)」と結んだ。
門田本は未読だが、彼がミアーズの『アメリカの鏡:日本』(以下、ミアーズ本)の記述を述べているなら、確かにこの結語はミアーズの主張と似ている。但し、そこに至る二人の道程はだいぶ違う。
マッカーサーには開戦4ヵ月も経たない42年3月20日、「I shall return」のセリフと部下76000をフィリピンに残してオーストラリアに逃げた屈辱があった。捕虜となった敗残兵には「バターン死の行軍」(これも米国の言掛りだが、ここでは措く)といわれる事件が待っていた。
ミアーズ本にもマッカーサーが46年9月に述べた、「日本民族は太平洋地域の他の民族・・と異なり、何世紀にもわたって戦争技術と武士階級の忠実な信奉者で・・、武力をふるうべく生まれついた民族であった」との談話の一部が書かれている。この章でミアーズは、「日本人を侵略的民族と決めつける私たちの理由が余りに曖昧だから、はたと行き詰ってしまうのだ」(第四章「伝統的侵略性」)と記している。
それにも拘わらず、外交委員会で前述のような言葉が吐けたのは、「マッカーサーの2000日」と称される日本占領での数次にわたる昭和天皇との会談などを通じて、日本と日本人への認識が変化したと思しきことや、帰国後の大統領出馬への意欲を燃やしていたのに、朝鮮戦争の最中、不名誉にも自分を解任したトルーマンへの憎悪の念があったからではなかったか。
そこへいくとミアーズの日本観は極めて公平・冷静かつ学問的だ。彼女は1900年ニューヨークに生まれた。この年は北清事変(義和団事件)があった年で、義和団に加勢して敗れた清は、北京議定書によって8連合国の駐屯軍受け入れを余儀なくされた。北京と天津に兵を置いた日本は、事変における柴五郎の活躍と厳格な軍紀や兵の勇敢さを世界に知らしめ、それが日英同盟(1902年)の呼び水ともなった。
ミアーズの日本への興味は、1925年に北京に1年滞在した際に日本を訪れたことがきっかけだった。帰国後ジャーナリストとなり、結婚と離婚を経て35年に再び訪れた日本で、彼女は翌年に226事件が起きる日本社会を1年間、庶民の生活習慣から神道に至るまで体験した。帰国後、雑誌『フォーチュン』の「日本特集」編集委員になったミアーズは42年、日本での体験を書いた『Year of the wild boar(亥年)』を出版、日本専門家として全米の注目を集めた。
『亥年』が出版された42年に『ニューヨークタイムズ』(NYT)が掲載した書評がある。そこには「亥年」はミアーズが日本を訪れた1935年を意味するとある。戦後の1946年3月、GHQ労働局諮問委員会の一員として3度目の来日をし、労働組合法や労働法の策定に参画した後の48年に書かれたミアーズ本は95年に邦訳出版され、単行本の旧版・新版や文庫本・抄訳本・kindle版などで読める。よって本稿では、開戦直後に書かれた『亥年』の書評の紹介を含めて、ミアーズに親しんでみたい。
『亥年』の書評
ミアーズ(著者)の関心は、戦争や政治よりも、35年当時の東京に多く存在した小作人、商店主、僅かな農地を無駄にすることなく、屋根の藁葺きから草履や蓑笠、その他様々な用途の材料を見つける農民に向けられている。その描写は、狭い場所で接触しながら暮らす何百万人もの蟻塚の様な生活、衛生状態は原始的だが、互いの関係では入念な礼儀作法が定められて、驚くほど摩擦が少なく暮らしている様子を、新鮮かつ正確に伝えてくれる。
著者は主に古き良き日本について書き、外交官、ジャーナリスト、ビジネスマンのたまり場である帝国ホテルや、外国人居留地でのカクテルパーティーなどにはほとんど触れない。が、明らかに人類学と比較宗教学に興味を持っていて、民俗舞踊や神社参拝、胃の不調を治してと神様の腹を撫でる老婆、全国の狐神社に見られる狐の呪力への広く信じられた信仰などについて、生き生きと色彩豊かに描写している。
これらすべては、アジアで恐るべき敵として浮かび上がる日本というテーマからはかなりかけ離れているように感じられるかもしれない。しかし、日本を訪れる平均的な外国人旅行者よりも常識をはるかに超えた視点を持つ著者の観察は、それ自体が興味深いだけでなく、現在私たちが戦っている人々の心理や生活習慣について有益なヒントを与えてくれる。
著者は1935年、日中戦争による厳しい生活や窮乏がまだ課される前の東京に住んでいた。しかし、著者は典型的な日本の住宅街の商店を巡り、パンや肉、牛乳、バター、コーヒーといったものが全く売られていないことに気付く。「近所の人たちはそのような外国の贅沢品には興味がなく、国民の主食、つまり豆のスープ、シリアル、魚、漬物、味付けは醤油、そしてご馳走は羊羹で満足していた」と記している。
日本の封鎖を検討する上で、日本人が何を食べ、何を惜しむのか、また何を惜しまないのかを知ることは重要である。著者は、日本文明を「条件反射の驚くべき例」と評し、鋭い観察を行っている。習慣や期待によって行動が支配されている民族は確かに少ない。日本人は、何世紀にもわたる経験と訓練によって、全体主義国家の国民に秘密警察や強力なプロパガンダによって強制されるようなことを、自然に行うように訓練されてきたのだ。
著者は、慌ただしさも効率性も欠いた伝統的な日本の生活様式に特別な関心を寄せるあまり、日本の軍事力と工業力の秘密を時折見落としているように思われる。日本人の貧困は、特にアジア全体の生活環境と比較すると、やや誇張されているように思われる。が、全体としてミアーズ氏は、悪意や感傷にとらわれることなく、日本と日本人の優れた姿を描いている。
『アメリカの鏡:日本』
NYTの書評は『亥年』を少々不純な意図から見ているようで、ミアーズが「日本の軍事力と工業力の秘密を時折見落としているように思われる」との指摘もその表れだ。が、この関連でミアーズ本第三章「世界的脅威」は、46年7月1日の米戦略爆撃調査団総括報告27頁の以下の記述を引き、日本に対する脅威は「作られた脅威」だと指摘している。
日本の初期の戦略は、限定目標の戦争を考えたものであった。日本の能力は我々の基本的補給力への攻撃を可能にするものではなかった。日本の潜在工業力は我が国のほぼ10%であった。研究と設計技術は全くの模倣ではないにせよ、新しい分野で信頼性の高い装備を開発する能力は低かった。レーダーと通信施設は貧弱だった。艦船ないし護衛艦を十分建造することはできなかった。飛行場らしい飛行場を作るだけの建設機材を持っていなかった。石油は常時不足していた。
ミアーズは次に硫黄島と沖縄の戦いにも言及、「作戦的にいえば、沖縄の日本人は敵の侵略から祖国を守るために戦っていた」とし、こう続ける。
硫黄島と沖縄のカミカゼは、彼らを征服するために送られた膨大な数の人間にとってのみ脅威だった。「カミカゼ」は「アメリカの安全を脅かして」いたわけではない。この作戦でアメリカを「征服」しようと思っていたわけでもない。アメリカが日本を征服しようとしていたのだ。
これが日本人を「世界で最も軍国主義的な国民」とする米国の論拠であったからこそ、ミアーズは「日本人を侵略的民族と決めつける私たちの理由が余りに曖昧だから、はたと行き詰ってしまうのだ」と述べるのである。
ミアーズは巻頭で、日本が第一次大戦では米国の同盟国だったことに触れ、一つの国がいきなり「友人」から「敵」に代わった理由が判れば、私たち自身の考えと政策が他国の人々に向けられるとき、それがどのように見えるか知ることができるとし、この本「Mirror for Americans:Japan(アメリカの鏡:日本)」の意図はその探求を始めることにある、と記している。
多くの日本人が「慰霊の8月」に読むべき、多くのことを考えさせてくれる一冊ではなかろうか。読書家を自認する石破氏が既に読んでいるとすれば、その「見解」を余り心配しなくても良いかも知れぬ。






