『「時代診断」の社会学』の「縁、運、根」

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(前回:『環境問題の知識社会学』の「縁、運、根」

傾向と対策

大学入試のベストセラーシリーズに「傾向と対策」(旺文社)がある。受験でもスポーツでも楽器演奏や外国語習得でも、自らの傾向を把握したうえで、その特徴を伸ばすこと、苦手な分野や技術を克服することが、成功の秘訣であることを高校時代の受験勉強で痛感した。それを社会学の研究者になってからも引きずってきた。

学園紛争(大学闘争)で半年間授業無し

大学1年生の1969年1月に学園紛争(大学闘争)の煽りを食い、東大入試が中止になった。その後2年生になったら、8月に成立・施行された「大学臨時措置法」をめぐり、審議が開始された5月からいわゆる「大学立法粉砕闘争」が激化して、全国の主な大学では学生大会の決議により無期限ストライキに突入した。私が通っていた大学でも5月末から11月中旬まですべての公式授業が中止された。

政治、社会、経済への関心

歴史、音楽、文化への関心があった私もそれらを凍結して、政治、社会、経済への関心をもつに至り、岩波文庫や角川文庫のウェーバーやマルクスの翻訳を仲間とともに読み始めた。そうでもしないと、高校生の時よりも知的レベルが確実に低下したように感じたからである。ただし、翻訳でもその内容はほとんど理解できなかった。

半年間は専門書とは無縁

無期限ストライキは1969年11月に機動隊導入により解除され、授業がなかった分は様々な科目でレポート提出が12月半ばまでに義務付けられ、必要な単位を修得したものだけが70年1月から文学部の専門課程(私は社会学専攻)に移ることができた。通常この移行は10月からであったが、7カ月間も授業がなかったので、これは仕方がないことであった。

社会学専攻生にはなったものの、長く専門書からも遠ざかり、助手や院生の会話にも加わらなかったために、何をどうしていいのか迷うことになった。

ミルズの『社会学的想像力』

試行錯誤しながらの判断は、専門課程の社会学講座助教授であった恩師鈴木広先生が翻訳されたミルズの『社会学的想像力』(1959=1965)を読むことであった。何しろ授業が再開され、毎週講義やゼミでお会いするのだから、分からなければ直接質問できるというメリットがあった。

キーワードは「概念」

先生の翻訳は分かりやすい日本語だったので、この本を精読することにより、社会学の世界に初めて浸ることができた。加えて、専門的「概念」は慣れないとその理解は難しいが、ミルズの「概念とは経験的内容をもった観念である」(同上:162)により、何か分かったような気がした。新規の概念に出会っても、その具体的な内容を勝手に想像することで、一人で本を読み進めることができた。

概念には豊かな経験的内容が含まれる

一般的にいえば専門分野で長年の使用に耐えてきた概念は、それだけ豊かな経験的内容が含まれていて、学ぶ価値がある。社会学では権力や社会運動や核家族などがこれに当てはまる。さらに、時代に即した新しい事実がそこに加わると、新しい概念への深化や分化が始まる。

たとえば権力論ではエリート論が終始主流ではあったが、多元論(pluralism)の台頭により、権力概念に幅が出てきた。また、労働運動を社会運動の象徴とした時代から市民(住民)運動が大都市で多発するようになったので、集合行動という新しい概念を使う論文や著書も出てきた。

かつての日本では三世代同居の家族構成が普遍化していたが、高度成長期からはそれが二つの核家族に分裂したところに単身化が重なり、核家族の平均世帯人員も減少し、「小家族化」という現代を特徴づける重要な概念が生みだされた。

古い概念と新しい事実

ミルズが強調したように、「古い概念と新しい事実」(同上:115)が最良のコンビなので、それまでの概念に新しい事実を付加することで、社会現象が説明しやすくなる。

「概念が明示的に分析されると、何に反応し、どの要素を無視しているか、を比較的たやすく確認できる」(マートン、1957=1961:84)。

なるほど、灯油の容器といっても、満タンとカラとでは使いみちが違う。人間の体内から出た瞬間にその排泄物は汚く感じるが、それらはもともと体内で作られている。経験的内容と状況とで、同じものが異なる評価を受けやすいことが理解できた。

「小状況と大状況」の往復運動

同時にミルズの「社会学的想像力」では、常に一方では個人環境における私的問題に関わりつつも、他方では社会構造にかんする公的問題に視線が向けられる。これを「小状況と大状況」と言い換えてもよいが、この両者間をつねに往復する姿勢がこそが社会学的想像力の核心になることを納得した。

身近な小さな現実と遠い大きな現実

身近な現実を全体の社会的現実とのつながりの中で理解することは、一つの見地から別の見地に移動する能力を必然的に要求する。

しかし、「重箱の隅を楊枝でほじくる」ような細かさでは、「公的関連をもつ諸問題には関係のない些末な事柄に関心を向け」(ミルズ、前掲書:25)てしまい、「社会学者は『調査研究』にせきたてられ、真に価値ある遺産への手掛かりを喪失する」(同上:31)危険性を帯びてしまう。

些末性への陥穽に気を付ける

この些末性への陥穽には、理論の検証に志す場合に特に気をつけておきたい。俗にいう「瑣末実証主義」では広がりに欠け、先行研究を受けての理論化が捗らない憾みが残る。私もこれを避けるために、限られてはいたが、パーソンズとデュルケムそれにマンハイムの著書を出来るだけ精読してきた。

方法論者よ!仕事につけ!

瑣末実証主義を乗り超えるためにも、「理論なき経験的資料は盲目であり、資料なき理論は空論である」(同上:86)も十分に心得ておきたい。

理論を支える資料を獲得する方法でも、資料から理論を創造する過程でも、「あらゆる者は自己の方法論者となり、あらゆる者は自己自身の理論家となれ」(同上:292)である。

誰かを研究するのが最終的目標ではないのと同様に、「用語をめぐって闘争するのではなく、用語を使って議論」(同上:32)し、何かを研究した成果を産み出したい。50年経過した今日、それがどこまで実現したかは分からないが、この気持ちを忘れたことはない。

都市研究を課題とする

『社会学的想像力』の精読により、社会学のやり方が少しは見えてきたので、4年生の卒業論文のテーマ設定では「都市研究」を選んだ。これも恩師が都市社会学を標榜されていたことにより、自然の成り行きであった。

4年生の夏から、1月10日提出の卒業論文のためにまずは「都市」とは何かを学ぶことにした。素材としては、当時の都市社会学の重鎮であった磯村英一『人間にとって都市とは何か』(NHKブックス、1968)に取り組んだ。磯村64歳という円熟期の作品ならではの幅広さと奥深さが同居している入門書であり、文字通り精読した。

都市とは何か10か条

特に冒頭に初学者向けとして「都市とは何か10か条」がまとめられていたので、繰り返し読んだ記憶がある(磯村、1968:15-20)。

  1. 都市は人間の集積(accumulation)である。
  2. 都市は人間が定着(settle)する空間である。
  3. 都市は人間の生活機能のメタボリズム(metabolism)によってつくられる。
  4. 都市の人間は生活に移動性(mobility)をもつ。
  5. 都市は人間に第三の空間(public space, mass socialization 盛り場的空間)を与える
  6. 都市は人間を組織(system)のなかに入れる。
  7. 都市は人間の生活を一日という周期(life cycle)で規定する。
  8. 都市は人間の定着コンセンサス(residential consensus)でその範域を決定する。
  9. 人間は都市の空間を変形(renovation)する。
  10. 都市は人間のパーソナリティの表徴シンボル(symbol)である。

都市の生活空間

磯村の都市社会学では、「第一の空間」としての家庭(生活空間)、「第二の空間」としての職場(生産空間)、そして「第三の空間」としては「都心の大衆空間」が設定されている(同上:54-55)。

図1は本人作成だが、「第三の空間」には「積極的」と「消極的」という区分がなされている。また、「地域社会」(地元的)は個人の住居を中心とした近隣関係を示す。

図1 都市の生活空間
(出典)磯村、1968:55.

第三の空間とコミュニティ

特に家庭と職場は様々な制約の中で日常関係を維持しているのに対して、都心空間は誰にでも開放され、そこに出かければ一時的ではあるが、平等的で解放的なライフスタイルを満喫できる。

ただ私は、職場から離脱した定年退職者の空間は家庭と都心だけではないだろうという感想をもった。すなわち、居住地における関係としてコミュニティ論が用意されないと、人間の「定着」も「移動」も十分にはならないからである。

コミュニティに関する磯村の定義

当時の磯村は、「コミュニティは異質の人間が共通の課題をもち、その解決のために協同する空間である」(同上:170)と定義していたが、「異質の人間」、「共通の課題」、「協同する空間」は重要なので、もっと厳密に表現したいと私は考えた。しかしそれには、大学院で毎週英文のコミュニティ論文を読み込むことが必要であった。

社会的共通資本が集積する都市空間

さらに人間は都市の空間を変形するが、それには都市の公園、道路、公共交通、住宅、集合住宅、上下水道、ごみ処理施設、義務教育学校、病院・診療所などが含まれる。これらを生活機能に合わせて利用することにより、有職者も定年退職者も専業主婦も子どもたちも日常生活を営んでいる。どこかに故障が発生し、不具合が生じれば、それを診断して対応することになる。

だから、社会学として現状分析を精密にするだけでは不十分であり、「どうするのか」「どうしたらいいのか」という「処方箋」を書けるところまで都市研究では含みたいと考えたのである。

マンハイム全集に出会う

たまたま博士課程2年だった1976年に「マンハイム全集」全6巻が完結して、その知識社会学や社会計画論の全貌に触れることができた。

とりわけ主著の『変革期における人間と社会』の後半に収められた「現代の診断」(Diagnosis of our Time)は文字通り精読した。なぜなら、マンハイムが第二次大戦中の具体的な問題を取り上げ「診断」して、いわば「処方箋」を書くことまでを社会学の課題として実践したからである。

社会学を武器として社会の将来図を描くことは、都市論のうちコミュニティ研究を志していた私にも大きな刺激となった。いずれ私も「現代の診断」(Diagnosis of our Time)が書けるようになりたいという思いを強くした。

37年後に『「時代診断」の社会学』を刊行した

そしてそれから37年後の2013年に、自己流だがその観点から『「時代診断」の社会学』が刊行できた。

体裁は前半が理論編、後半が実証編

これは6月1日に取り上げた『社会学的創造力』、7月20日の『社会分析』と同じく、前半を理論編、後半を実証編とした。

理論編では、「計画とは、社会の全機構と生きた構造に関する知識に基づいて、社会という器械装置に見出される欠陥の根源を意識的につくこと」(マンハイム、1935=1976:104)を受けて、特定のテーマに即した将来像を描こうとした。

診断とは何か

診断とは、選択したテーマの現状を調べて、全体として標準化された基準から判定する技法を含み、最終的に価値判断を下し、社会計画につなぐことである。

そこにはたとえば医学者のベルナールが力説する「『事実』は必要な材料である。真に科学を構成するのは、実験的推理、即ち学説による『事実』の活用である」(ベルナール、1865=1970:51)から、観察された事実に基づいて判断して、計画につなげることになる。

科学的知識に関する基本的規準

科学的知識に関してパーソンズは、①経験的妥当性、②論理的明晰性ないし個々の命題の正確さ、③命題間の相互的含意の論理的一貫性、④関与している「いくつかの原理」の一般性をあげている(パーソンズ、1951=1974:334)。

これを読んだときには、「不治の理論病患者」を自嘲したパーソンズでさえも「健全な経験主義」を強調するのかという思いに駆られた。

社会学の基本概念

入門レベルの社会学概念としては、

  1. 個人:社会経済的変数による属性、ジェンダー、世代、健康
  2. 秩序(order):進歩の条件としての秩序、秩序の目的としての進歩
  3. 自由(liberty):自由時間のこと。ただし自由からの逃走もある
  4. 変化(change):万物流転。しかし、実際には方向性をもつ進歩(progress)、前進(advance)、成長(growth)、発展(development)、退歩(retrogression)、停滞(stagnation)、解体(disorganization)、衰退(decline)など
  5. コミュニティ(community):地域共存・共生社会 大都市と限界集落で異なる
  6. 階層(stratification):資源配分の多寡による継承された地位、財産、名声、権威。本人一代で獲得した地位、財産、名声、権威
  7. 地位(status):社会システムの要件、役割(固定、循環、流動)と整合する
  8. 権力(power)と権威(authority):優越した意志力が権力の原点
  9. 聖なるもの(sacred):俗(secular)への転換 量から質、非日常から日常
  10. 疎外(alienation):絶望感、無力感、無意味感、無規範感、自己疎隔感、アノミー指標
  11. 葛藤(conflict):意見、感覚、利害の相違の認識 簡単には協働できない

などがある。

これらを繰り返し学習すると、観察された社会的事実をこれらの諸概念に変換することができるようになる。それを行わないと、社会学的分析に進まず、せっかくの対象分析は普遍性を失い、社会学以前の単なるマスコミ記事になってしまう危険性が増大する。

論じられているのはどの時代の対象か

また、論じられているのはどの時代の対象かが正確に把握できなければ、深い関連をもつ人口データ、政治データ、経済データ、教育データなどが使いにくい。

たとえば、「発展」(development)は基本的には「拡大」と同時に「質的向上」も含む概念であり、それには「成長」(growth)としての人口数や経済規模などの量的側面だけに止まらず、異質性の増大や複雑性の強化などの質的側面も並行する。「進歩」(progress)は前進することだが、「改善」(improvement)の側面も「発展」の側面もともに含むものである。

実証編のテーマ

このような前半の理論編を用意して、後半の実証編では、第5章「高齢社会の医療費問題と介護福祉」、第6章「少子社会の現状と児童虐待問題」、第7章「災害からの復興と環境研究」を取り上げた。

各章とも実証的な現状分析結果からその社会診断を試み、将来に向けての「処方箋」づくりを試みた。しかも第5章は2014年に『日本のアクティブエイジング』(北海道大学出版会)、第6章は2020年に『「抜け殻家族」が生む児童虐待』(ミネルヴァ書房)、第7章は2023年に『社会資本主義』(ミネルヴァ書房)の第Ⅲ部「脱炭素社会と地方創生」(pp.237-337)で詳論できた。

社会の存続が最優先

本書では、全体像としては図2「社会の存続と人間関係の維持」を用意して、タテの線「社会の存続-人間関係の維持-個人の自由」のバランスを取りながら、危険の解消、豊かな生活、経済活動、連帯性を維持することにより、社会的不公平性を解消したいとした。

図2 社会の存続と人間関係の維持
(出典)金子、2013:72

高齢社会では医療費問題

第5章でなぜ高齢者の医療費問題を選択したかといえば、団塊世代の高齢者が増大した分だけ病人が多くなり、その結果高齢者医療費が増えるという単純な理由ではなく、小家族化という大きな社会変動のなかでのみそれが説明できるからである。

図3は2007年度のデータから高齢者医療費と在宅死亡率の相関を示したものであるが、在宅死亡率が13%を越える長野県、新潟県、千葉県、神奈川県、東京都、奈良県では高齢者医療費の全国平均よりも明らかに低く出ている。

図3 一人当たり老人(高齢者)医療費と在宅死亡率
(出典)金子、2013:147.

入院期間の長期化が一人当たり高齢者医療費を押し上げた

他方、在宅死亡率が低い、すなわち病院や施設での死亡率が高い福岡県や北海道に象徴される県では、一人当たりの高齢者医療費が高額になる傾向が読み取れる。

福岡県のそれは全国平均よりも年間で22万円、北海道でも16万円も多くなっている。これはそれだけ高齢者の重病患者が増えたからではなく、看護する家族力が乏しいために、高齢者の入院期間が長期化しているからである。

農業県でも小家族化で看取り力が低下した

図3の左上の象限には北海道を除くと、九州の農業県が集中しているが、元来は家族数が多く、三世代同居率が高いところであった。

しかし、高度成長期を過ぎて、三世代世帯のうちの子ども世帯が別居(移動)したために、親夫婦が高齢世帯として取り残され、どちらかが体調不良になると、入院・入所を選び、長期化するようになった。

在宅での看取り力が落ちた

図4は厚生労働省が2010年に発表した「在宅死亡率と病院・診療所死亡率の推移」であるが、高度成長が終わって3年後の1975年からこの両者の関係が逆転していることに気がつく。

それまでの高齢者はその多くが自宅で最期を迎える比率が高かったが、高度成長期の15年間が転勤や地方勤務に便利なように三世代同居世帯を縮小させて、そこから別れた子ども世帯を増加させたために、在宅での親の看取りが出来なくなったのである。

図4 在宅死亡率と病院・診療所死亡率の推移
(出典)金子、2013:147.

社会診断

統計的には、「高齢者一人当たり医療費」 を押し上げる変数は、「高齢単身世帯率」「離婚率」「平均在院日数」などであるから、文字通り社会全体の年齢構成の変化と小家族化が医療費総額を押し上げていたことになる(金子、2013:145)。

少子化について

さてこの時代、国立社会保障・人口問題研究所は、2年に一回の頻度で500年間の「将来人口推計」を発表していた。

表1は合計特殊出生率が1.39として推計された結果を基にして、2012年に公表されたものである。少子化や高齢化に関心をもつ人は学界だけではなく、政財界でもマスコミ界でも多いであろうが、当時も今も大きな話題になったことはない。

表1 将来人口推計(2010年)
(出典)金子、2013:138.

合計特殊出生率が1.39

一つは、2024年の合計特殊出生率1.15に見られるように、当時の将来推計で仮定された1.39が高すぎて、その推計結果への信頼性に欠けていたからである。

それでも2050年から2300年までは50年間での「人口半減の法則」が確実に続くという予測は読み取れた。もちろん日本人が300年後にわずか351万人になるとは誰も思わないだろうから、厚生労働省は相変わらず「待機児童ゼロ」と家庭と職場の「両立ライフ」の2つの政策を、最近まで日本の少子化対策の柱にしてきた。

少子化は社会変動

そこには「少子化は社会変動」という発想がなく、全体的な関連を想定した対策は皆無であった。

政府による少子化への対応は「日本社会存続の危機」という問題意識が乏しく、場当たり的な政令指定都市を中心とした「待機児童ゼロ」と、コミュニティを外した家庭と職場の「両立ライフ」のちに「ワーク・ライフ・バランス」に終始こだわった歴史であった。この誤作為を導いた労働経済学系の審議会委員の責任は大きい。

婚外子率と合計特殊出生率は正の相関

さらに日本の個性ともいうべき婚外子率の低さと合計特殊出生率の低さとが、日本も含めた32カ国のデータを使った相関分析を行うと、図5のようにかなり高い正の相関関係が得られた。

図5 合計特殊出生率と婚外子率の相関(32カ国)
(出典)金子、2013:177.

このような知見は政府審議会に集まった委員であれば周知されていたはずであろうが、診断には活かされず、旧態依然とした「両立ライフ」しか提示されてこなかった。

具体的にいえば、「社会の存続」の危機と子育ての有無によって「社会的不公平性」の拡大に直結するのが少子化現象であったのに、そこまでの理解が乏しく、対策が全く不十分であったことにより、2050年の人口が3000万人減少することがもはや避けられなくなった。

災害からの復興と環境研究

この50頁あまりの第7章は、8月17日の『環境問題の知識社会学』の続編なので、追加の使用データがいくつか増えたこと以外には、基本的主張は変わっていない。だから2点だけの紹介に止める。

リスクの分類

ここでいうリスクは、「発生確率×発生した際のインパクトの大きさ」である(金子。2013:219)。これは最初に瀬尾(2005)で発表された考え方であるので、関心をお持ちの方は文献を参照されることをお勧めする。

ただし表2は私のオリジナルであり、縦軸に範囲、人数、期間をとり、それぞれを3段階に分類した。たとえば、南海トラフ地震を想定すれば、B(範囲は拡大、人数は多数、期間は長期)に含まれるし、出生数の持続的現象による少子化であれば、C(範囲は全体、人数は全員、期間は永久)に該当するであろう。

表2 リスクの3分類
(出典)金子、2013:221.

もちろん線状降水帯による集中豪雨のように、A(範囲は狭小、人数は少数、期間は短期)というリスクも多い。だから、先行研究の知見を活かしながら、想定されるリスクがABCのいずれかに収まるかを予想しておきたい。ここにも「傾向と対策」が活かせるはずである。

玄海原子力発電所で入手した資料

もう一つは、九州電力玄海原子力発電所を視察した際に、来館者用の無料資料から図6を発見したことを記しておきたい。この図を講義で配布して、「再生可能エネルギー」拡大の日本における困難さを説明すると、受講生全員がよく理解してくれたという記憶がある。

図6 原子力発電所、太陽光発電所、風力発電所の土地面積比較
(出典)金子、2013:209.

敷地の制約で「再生可能エネルギー」拡大は困難

何しろ、100万kW原発級の1基ではその敷地がわずか0.6㎢で済むのに対して、太陽光発電では山手線内側の58㎢と同じ面積が必要になり、さらに風力発電に至っては、その3.4倍の214㎢の敷地がなければ原発1基に匹敵しないことが、明示的に分かるからである。

翻って考えると、「再生可能エネルギー」論者の本にはこの優れた図が見当たらなかったし、講演会でも原発の放射能の危険性は繰り返されていたが、山手線内側の面積に匹敵する敷地が何処にあるかを示す方々はいなかったようである。また、マスコミもこの資料には触れてこなかったように思われる。

観察された事実から

この敷地面積の事例からでも、観察された事実からの新しい知識と判断の重要性が理解できる。そこには自然科学と人文・社会科学の差はありえないから、それぞれの立場から慎重な科学的ベストミックスの理論を求めるしか、私たちの未来を切り開く方法はない。

【参照文献】

  • Bernard,C.,1865,Introduction à l’étude de la médicine expérimentale .(=1970 三浦岱栄訳『実験医学序説』岩波書店).
  • 磯村英一,1968.『人間にとって都市とは何か』日本放送出版協会.
  • 金子勇,2013,『「時代診断」の社会学』ミネルヴァ書房.
  • 金子勇,2023,『社会資本主義』ミネルヴァ書房.
  • Mannheim, K.,1935, Mensch und Gesellschaft im Zeitalter des Umbaus,Leiden A.W.Sythoff’s Uitgeversmaatsschappy N.V.(=1976 杉之原寿一訳「変革期における人間と社会」樺俊雄監修『マンハイム全集5 変革期における人間と社会』潮出版社):1-225.
  • Mannheim, K.,1943, Diagnosis of our Time, (=1976 長谷川善計訳「現代の診断」樺俊雄監修『マンハイム全集5 変革期における人間と社会』潮出版社):227ー515.
  • Merton,R.K,1957,Social Theory and Social Structure, The Free Press.(=1961 森東吾ほか訳『社会理論と社会構造』みすず書房).
  • Mills,C.W.,1959,The Sociological Imagination, Oxford University Press.(=1965 =1995 鈴木広訳『社会学的想像力』紀伊国屋書店).
  • Parsons,T.,1951,The Social System, The Free Press.(=1974 佐藤勉訳『社会体系論』青木書店).
  • 瀬尾佳美,2005,『リスク理論入門』中央経済社.

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