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番組制作の依頼
2009年の4月だったと記憶しているが、放送大学の社会学系ではなく社会福祉学系の教授から、「高齢化」関連の15回の番組制作を依頼された。
何回か電話で話すうちに、番組を通して「高齢者の生活実態」を明らかにして、高齢期と向老期の世代向けに、どのような処方箋が描けるかをまとめることになった。これが単著ならば自分なりの構想を練り上げて、締め切りを設定して、少しずつ書いていけばいずれ完成稿が出来上がる。
しかし、放送大学の一番の売りがたくさんのオリジナルの撮影映像を使い、1回の授業時間45分で分かりやすく説明するところにあることは知っていた。問題は前期・後期の授業期間以外の夏休みと冬休みそれに春休みだけで、講義内容にふさわしい取材と映像が得られるかどうかにあった。

15回を5人で受け持つ
取材旅行が大変で、いろいろと無理をお願いしなくてはならないので、まずは頼みやすいという条件を設定して、北海道大学大学院で博士課程まで学び、全国の大学で社会学の教師となり、「高齢者の生活保障」関連の業績をもっている教え子たちに協力を求めた。
そうすると、最初に声をかけた松宮朝氏(愛知県立大学准教授)、片桐資津子氏(鹿児島大学准教授)、青山泰子氏(自治医科大学講師)の3名と園井ゆり氏(活水女子大学准教授)の全員が快諾された。これはたいへんラッキーであった。
松宮氏と青山氏は北大で私が主査で博士(文学)を取得され、片桐氏の場合私は副査として審査に立ち会い、同じく博士(文学)を取得された。園井氏は少子化関連の特に里親問題の研究をしていた九大の後輩であり、この後北大で私が主査として博士論文を審査して、博士(文学)を取得された。
高齢者像を確定
依頼者の社会福祉学系の教授は、介護関連の番組は別に用意するから、できるだけ元気な「高齢者の生活」の実態とそのための条件を明らかにしてほしいという意向をお持ちであった。
それで私が図1「高齢者の位置づけ」を作成して、全員で共有することにした。分かりやすくいえば、「高齢者-前期(後期も含む)-健常者(健康、半健康)-大都市、中都市、小都市、町村)」という軸と「後期-要介護者-大都市、中都市、小都市、町村)」で、それぞれの問題意識と講義内容にふさわしい出演者や出演団体を探してほしいと4人にお願いしたのである。

図1 高齢者の位置づけ
第1回の打ち合わせ
その後、「高齢者の生活保障」の数回分として講義する内容のレジュメを各人に書いてもらい、最終的に私が6番組、片桐氏が3番組、松宮、青山、園井の各氏は2番組を受け持つことになった。
2009年の8月に5人全員1泊2日で放送大学に集まり、社会福祉学系教授の立ち合いの下、番組制作関係者であるディレクター、プロデューサー、カメラマンと15回分の具体的な打ち合わせを行い、各人の都合に合わせて取材旅行の日程調整を行った。
2泊3日の撮影旅行
それぞれ受け持った番組内容の骨子をプロデューサーに渡して、この取材はたとえば12月20日~22日をお願いしたいと思っても、取材先の都合もあり日程調整に苦労した。さらに先方に映像出演を認めていただき、どのような内容でいくかを事前に相談することが大変であった。
口からの健康づくり活動
私の場合、たとえば「口からの健康づくり活動」を取り上げたのだが、たまたま1年前に講演会でお邪魔した福岡県宗像市の「むなかた介護サービス研究会」代表の大林歯科医院に連絡して、取材撮影を了解していただくとともに、番組の中で若干の発言とコメントをお願いすることになった。このような下準備に時間をとられ、予想外に大変だったという思いが強く残っている。
撮影現場
札幌市から宗像市に出かける場合は、放送大学所属のディレクターとカメラマンと3人で宗像市のホテルに前泊して、翌日朝から歯科医院の診察室、午後からの訪問診察の様子を撮影した。一番重要な論点、すなわち「歯と口腔」が高齢者にとって身体の健康にとっていかに重要であるかを、撮影の終盤で大林医師に話していただくという流れにした。
事前に送っていただいた資料を読んで、「歯と口腔」は実に多様な働きをしていたことに気がつき、この内容なら放送大学の受講者も納得していただけるだろうと確信した(図2)。

図2 歯と口腔の働き
(出典)金子、2011:25.
消化を越えて
「歯と口腔の働き」として、誰でもが日常的に経験している摂食、咀嚼、嚥下を越えて、ストレス発散としては呼吸と味覚があり、さらにそれによる脳への刺激、免疫物質の分泌、さらに異物の認識と排除がある。そして「力の発生」機能としても、愛情・怒りなどの感情表現、顔貌、構音(ある音声を発するために、声門より上の音声器官を閉鎖したり狭めたりすること)・発音などが挙げられていた。これには「目から鱗」であった。
その他、確かに最近では歯周病と糖尿病の関連も認知されてきたので、歯と口腔は全身の鏡であることは間違いない。
映像の編集と講義収録
このような取材旅行の1月後に、45分の講義のどこにどの映像を何分くらい入れるのかという決定を含む慣れない業務が控えていた。
担当ディレクターの思惑は15分~20分くらいの映像を入れて、その前後には撮影した講義風景を入れたいところにあったが、講義者にも話す内容がたくさんあって、私の場合は15分程度の映像にしてもらった。そのうえで、こちらの日程とスタジオの空きを確認して、たとえば11月1日~2日で2本の番組収録を行った。
だから、通常の大学での講義、ゼミ、会議の合間に、1泊2日で2回分の45分の講義内容を事前にパワーポイントで準備することになり、かなり忙しい思いをした記憶がある。
講義撮影
前日の午前中に放送大学に着けば、その午後に1本、翌日午前に1本の時もあったし、前日遅く放送大学に着くと、翌日の午前に1本、午後に1本を撮り、そのまま最終便で羽田から札幌に帰ったこともある。
だから映像2本分のスーツは同じもので、ネクタイを変えただけであった。6回の講義だから、3回そのような経験をした。
慣れないカメラ相手の講義
この時は還暦を過ぎていたので、教室での講義は33年やってきたことになるが、カメラ相手の講義ではどうにも落ち着かず、第1回目の収録では冒頭にNGが出て、3回取り直した。特に目の位置が定まらず苦労したが、カメラマン氏に「カメラの向こうに数万人の視聴者がいるので、その人たちに話しかけてください」とのアドバイスを得て、やっとスムーズに話ができるようになった。慣れてみると、2回目からの講義は順調に行えるようになった
『恍惚の人』を越えて
この「高齢者の生活保障」を引き受けた時に、第一にそれまでの高齢化研究30年の経験でよく耳にした「高齢者神話」を否定してみたいと考えた。何しろ1980年代までは「高齢者研究」や「高齢化研究」はすべて「老人問題」として一括処理されていたからである。
「老人」が問題とは何ごとかという気持ちをもっていたが、とりわけ有吉佐和子『恍惚の人』(新潮社、1972)がもたらした影響が強かった。まだ高齢化率は10%程度ではあったが、それでも高齢者の大半は普通に暮らせる人々が多く、「恍惚の人」を筆頭にした「老人問題」で括るには無理があると考えていた。
高齢者神話
当時私が感じていた「高齢者神話」は表1の内容であった。すなわち、前期高齢者、後期高齢者、健常な高齢者、健康を害した高齢者、要支援・要介護状態にある高齢者など、身近な事例には事欠かないのに、すべてが「老化」(aging)で一括され、ステレオタイプ化されていた。

表1 高齢者神話
(出典)金子、2011:121.
表1で分かるように、「神話」における高齢者のイメージは、健康を害しており、何も生産せずに、明敏さからも程遠く、還暦までの多様な人生経験が全く活かされない「のっぺらぼう」として論じられる傾向が強かったのである。
さらに「恋愛や性」には無縁であるとのレッテルも張られていた。ただし、これについては文学作品などでは石川達三『四十八歳の抵抗』(1956)、伊藤整『変容』(1968=1983)などで強く異論が出されていたので、それらも考慮した。
個性があり、明敏な高齢者もたくさんいる
当時でも60歳までは男女ともに色々な仕事をして、たくさんの経験を積んできた人々なのだから、「非生産的」というラベルは逆に非現実的であるというのが、多くの「高齢者の生活」を見てきた私にはこの講義の出発点であった。
「高齢者の自立」を軸とした
なぜなら、「高齢者の自立」をテーマとして1990年代と2000年代に調査票を使った計量的研究を進めて、いくつかの比較研究によって図3を得ていたからである。この連載では『社会調査から見た少子高齢社会』(6月29日)、及び『格差不安時代のコミュニティ社会学』(7月13日)で細かく説明した。

図3 高齢者の自立志向
(出典)金子、2011:162.
この「自立」は身体的、金銭的、人間関係的な3側面から構成されていて、それら3者が連携することで、図1で分類した「高齢者」のいずれにも「自立」が可能であるとのメッセージを含んでいた。
多くは家族、仲間、働くことなどの人間関係面の要因であるが、その前提に身体的自立と金銭的自立が位置づけられている。また趣味活動はもちろんだが、調査票からのデータを細かく精査したところ、別枠で「得意」が検出できた。これは思いがけない発見であった。
趣味活動は音楽、美術、保健体育、技術家庭のいずれかに該当する
「得意」とはそれまでの趣味活動として一括されてきた「自立」要因である。趣味活動ならば、中学校で学習を放棄してきた音楽、美術、保健体育、技術家庭という4科目のどれかに含まれるという調査結果を得ていた。だから長年にわたり、高齢化対策としても主要5科目だけでなく、この中学校の4科目を充実せよと主張してきたが、文科省にも厚労省にも黙殺されてきた。
中学の4科目が高齢者の生きがいを支える
中学の4科目が50年後の高齢者の生きがいを豊かにしてくれるのであるから、厚生労働省系列の高齢化対策としても意味があることを文科省は認めなかったのである。
「生涯学習」の予算は潤沢だが、義務教育の4科目の現状は主要5科目の前には影が薄いまま推移してきている。だから、楽譜が読めない、健康知識や栄養知識を持っていない大人ばかりが量産され、そのまま高齢期を迎えることになる。

図4 生きがいの4分野
(出典)放送大学の講義で使ったテロップ
「得意」が自立を支える
ここで発見した「得意」とは、それまでの人生で一番長く携わってきた仕事や業種の延長にある知識や技術を指している。
たとえばタクシー運転手の人生であればクルマの運転、銀行員であったのなら簿記会計、中学校の英語教師で定年ならば、英語の教育というぐあいに、誰にも負けない「得意」がある。それを定年後に地元の町内会、シルバー人材センター、NPO、ボランティア活動などで活かすことを提言してきた。
そのような高齢者の活動が、通説となっていた「高齢者神話」の打破につながると考えたからである。
ボーボワール 『老い』(上巻)から
万国共通の「高齢者神話」の打破は、サルトルのパートナーであったボーボワールの『老い』(上・下)でのテーマでもあった。いくつか抜き書きを披露しておこう。
① 高齢者は実践ではなく、状態で定義される(上巻、意訳:252)。しかし、状況次第では実践者になれる。ボーボワールもまた続けて、「老人たちにとっては、それゆえ、何か従事することをみつけることがきわめて重要」(上巻:314)だとのべている。
② 「年取った者(金子注、高齢者)は消極的な態度に固まり、興味や好奇心に欠けている」(同上:269)。しかし、積極的好奇心を持ち、趣味、社会参加、得意に目覚めて活動する高齢者は増えてきた。これに関してもボーボワールは、「個人の知的水準が高ければ高いほど、彼の活動は豊かで変化にとんだ状態をつづける」(同上:314)とした。
③ 「老年は非(ノン)=労働であり、単なる消費である」(同上:319)。だからこそ、「自分の占めるべき場所」を自力でもしくは自治体や政府の配慮が重要になる。「非(ノン)=労働」は報酬を前提にしないので、得意な活動でも趣味娯楽そしてボランティア活動でも構わない。
ボーボワール 『老い』(下巻)から
④ 「老いはもろもろの力を減少させ、情熱を衰えさせる」(下巻:473)。放置すればそれしかないが、ベレンソンの言葉として引用された「人が60歳を過ぎて書くものは、まず二番煎じのお茶ほどの価値しかない」(同上:471)は印象的であった。しかし生きることそれ自体が創造ではなく、回想や追憶であれば、沈黙するよりもやはり出がらしのお茶でもそれなりの味はある。
多方面の関心
⑤ 「恵まれた老年をもつのは、多方面の関心事をもつ人びとである」(同上:535)。なぜ恵まれないかといえば、定年によって仕事を喪失したら、それに関連していた人間関係が無くなり、関心と情熱が薄れがちだからである。「無為が好奇心と情熱を衰えさせ」(同上:535)るのは万国共通である。しかし、好奇心の先には必ず仲間がいる。
⑥ 「ふつう老人たちはかれらの人生の空虚に対して、救われる手段をもたない」(同上:535)。無為は倦怠を生み、目的の欠如がますますそれを促進する。図3の「自立要因」とは真逆の状態がこれである。
⑦ 「老人は未来への足掛かりをもたないので、心が過去に向かい、心配に捉われている(同上:567)。これは構わないが、回想法により、「過去」からの生きる力も得られるからである。18回目になった本連載「縁、運、根」もまた、その事例として読んでいただければ幸いである。
⑧ 「現役でなくなった構成員(メンバー)をどう処遇するかによって、社会はその真の相貌をさらけ出す」(同上:639)。その通りであるが、ボーボワールが本書を書いた1970年時点では日本の高齢化率が7.1%だったから、1964年施行の年金制度と国民皆保険制度が機能していた程度であった。それから30年後に介護保険制度が作られ、日本でも「福祉社会」の姿が見えてきたのである。
介護の現状
2000年4月に施行された時、居宅サービスの利用者は97万人、施設サービスの利用者は52万人であり、4月における介護給付費は居宅サービスが618億円、施設サービスが1571億円であった。
それが2008年4月になると、居宅サービスの利用者が269万人、施設サービスの利用者も83万人に増えた。同じく介護給付費は居宅サービスが2469億円、施設サービスが2079億円に上昇してきた。
介護従事者の現状
しかし、介護従事者の増員がそれに追いつけないという事態が発生していた。なぜなら、せっかく福祉系の専門学校や大学を出て、「介護福祉士」資格や「社会福祉士」資格を取って就職しても、介護現場がかかえる3K(暗い、汚い、きつい)という状況が生まれており、そのうえ他の業種と比べると報酬が20%程度低いままであったからである。それで福祉介護系の施設や事業所では離職率が高くなっていった。
この業界では俗に「人が品質」であるのに、人手不足が日常化していたために、十分なケアができない実態があったので、大分県の豊後大野市の現状を取材することにした。
日本健康財団での縁から
放送大学の出演依頼が来る3年前から、厚生労働省の補助金が日本健康財団に与えられ、「高齢者の健康づくり」をメインに私が座長として研究会を年数回開催していた。そこでは、豊後大野市の病院のコミュニティ・ケア・センターに所属する河村ケアマネージャーも委員であった。それで介護の現場を撮影して、その実態を明らかにしつつ、問題点と解決の見通しを得るために、番組出演をお願いしたところ、快諾された。
ケアマネージャーの日常
そこではケアマネージャーの日常として、一人で30人の要支援・要介護者を受け持っていること、それぞれに「ケアプラン」や「介護予防ケアプラン」を作成し、訪問してプラン内容を指導すること、センターでは定例のカンファレンスが毎週火曜日夕方にあり、センター所属の5人のケアマネージャーがそれぞれ抱える利用者の状況報告を行い、意見交換して、全員で情報共有することなどを教えていただいた。
訪問介護にも同行した
たまたま取材日程に合わせてもらい、在宅の要介護者宅への訪問介護にも同行した。
50年農業を営んでこられた男性だったが、農業は素人ではやれないという持論を拝聴した。これは都市社会学を軸に少子化、高齢化、コミュニティづくり、地方創生を課題にしてきた私にとって、得難い経験であった。なぜなら、専門の農業従事者ならば、たとえば経験を活かしながらきちんとした「土壌設計」と「肥料設計」の知識と技術が不可欠だと話されたからである。
米作りにしても野菜中心の畑作にしても、この両者ができなければ、上手くいかないという結論には感心したという記憶が残っている。
2011年時点でも専業農家の世帯主の高齢化が進んでいる一方で、後継者難が顕在化していたが、きちんとした専門農業でなければ、この先やっていけないというお話だったのである。
日本一の長寿県の研究
さて、放送大学の仕事の7年前から 文科省の「科学研究費」により、「日本一の長寿県」の調査を始めていた。それで現地撮影はやらなかったが、その研究結果が揃っていたので、第15回目にその成果を講義で紹介した。表2のように男性長寿日本一は長野県男性、女性長寿日本一は沖縄県女性であったので、当初は両県に出かけていた。

表2 都道府県別平均寿命(2005年)
(出典)厚生労働省「平成17年都道府県別生命表の概況」
平成19年12月20日発表。これは5年ごとに発表される。
長野県に限定
しかし、沖縄県の長寿の要因は個性が強く、そのまま日本全国に発信するには無理があると考えて、途中で長野県の高齢男女に限定した。まず、ライフスタイル面では長野が第一次産業県であるという特性が活かされて、長野県民男女の就業率が高く、高齢者の就業率が日本一を続けていた。これは図3で示した「働くこと」に該当する。
さらに明治期以来の教育県という伝統により、長野県では高齢者の学習意欲が高く、生涯学習講座や趣味娯楽への高い参加率が、健康生きがい要因の指標になっていた。
県の独自支援
元来1970年代までの長野県では、保存食依存による塩分摂取量が多かったために、動脈硬化を原因とする脳血管疾患などの死亡率が高かった。
当時の知事がこのような死亡率の高さを反省して、長野県独自の「保健補導員」(保健指導員)制度を作り、文字通り草の根の保健運動を展開してきた。日本一長寿県になったのは、この運動が定着して20年が経過した頃からである。それにより県民の健康知識が増えて、健康診断の受診率も上がり、日本一長寿県になったというシナリオを講義で紹介した。
ピンピンコロリ
そして、長野県発祥と言われるピンピンコロリ(PPK)運動もまた、「保健補導員」制度が機能していることとは無関係ではない。これは「げ」(減塩)、「ん」(運動)、「き」(禁煙)を意味する(図5)。

図5 ピンピンコロリの「げんき」
(出典)放送大学の講義で使ったテロップ
行政による「保健補導員」制度の機能、高齢者の就業率の高さ、学習意欲の高さ、それらを媒介とした家族以外の人間関係の豊かさなどが相乗作用して、独自の日本一長寿県のライフスタイルが検出できた。それが表3である。

表3 高齢者が好む社会参加のライフスタイル
(出典)金子、2011:215.
無気力から自由になる
表3は、私が日本一長寿県としての沖縄県と長野県について3年がかりでの研究を通して、まとめたライフスタイルである。基本的には高齢者の「自立志向」が軸となっており、外出する、人との関係をいくつか維持する、自らの「得意」を次世代に伝えるなどが主内容になっている。
これもまた中盤で引用したボーボワールの『老い』で繰り返されている「あらゆる面において有害である無気力から自分を守るには、老人は活動をもち続ける」(ボーボワール、前掲上巻:313)ことにも強く関連する。
何よりも無為と孤独を避けることが、ピンピンコロリへの近道と心得たい。
【参照文献】
- 有吉佐和子,1972,『恍惚の人』 新潮社.
- 石川達三,1956,『四十八歳の抵抗』新潮社
- 伊藤整,1968=1983,『変容』岩波書店.
- 金子勇,1998,『高齢社会とあなた』日本放送出版協会.
- 金子勇編,2011,『高齢者の生活保障』放送大学教育振興会.
- Simone de Beauvoir,1970,La Vieillesse, Éditions Galimard,(=1972 朝吹三吉訳『老い』(上下) 人文書院
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・『社会学的創造力』の「縁、運、根」
・『都市の少子社会』の「縁、運、根」
・『高田保馬リカバリー』の「縁、運、根」
・『社会学評論「還暦社会」特集号』の「縁、運、根」
・『社会調査から見た少子高齢社会』の「縁、運、根」
・『少子化する高齢社会』の「縁、運、根」
・『格差不安時代のコミュニティ社会学』の「縁、運、根」
・二つの「社会学講座」と『社会分析』の「縁、運、根」
・『吉田正 ミネルヴァ日本評伝選』の「縁、運、根」






