ネット生保立ち上げ秘話(20) 初日 - 岩瀬大輔

岩瀬 大輔

F5ボタンを連打

2008年5月18日午前7時半、ライフネット生命は営業を開始した。プレスリリース等ではホームページの一般向けの公開は午前9時頃と謳っていたが、出口が5時前に関係者にメールを出していたこともあり、その時間を待たずして関係者、友人知人、そして一部の熱烈なサポーターの方々からの申し込みが入り始めた。

お客さまサービス部長を兼務する立場にあった僕は、お客様の機微情報を扱うセキュリティエリア内に設けられたデスクに座って、申込一覧を表示する画面を開きながら、数分に一度、落ち着きなくキーボードの「F5」ボタンを押してページを更新し、新たな申込みが入っていないかと確認をしていた。


間もなく、創業時から応援して下さっているある経営者の方から申込みが入った。開業時も朝一番で駆けつけてくれて皆を励まして回る谷家さんの姿が優しい母親だとすると、この方の遠くから、ときには厳しく見守りながら、この日のように大切な場面では何も言わずにそっと申込だけをしてくるスタイルは、昔ながらの威厳ある父親のようでもあった。

自身の経験からも、開業直後にもっとも嬉しいのはどんな賛辞の言葉よりも実際にお金を出して商品・サービスを買ってくれることだというのを分かっていたのだろう。「申し込んだよ」の一言も伝えてこないこの人のシャイな優しさに、改めて感謝の気持ちを覚えずにはいられなかった。

「はい、社長の出口です」

「コンタクトセンターに1本目の電話がかかってきたから、急いで出口さんを呼んで!」

時計の針が午前9時を回って、お客様からの電話が鳴った。1本目は必ず自分で対応したいと出口は話していたので、社員が急いで呼びに行った。学生時代は陸上をやっていたという出口は、このときも100メートルを10秒で走らんばかりの勢いで、そしてハードル選手のように社内の障害物を乗り越え、セキュリティエリアの奥にある、席数が10余りの小さなコンタクトセンターに滑り込んだ。
 
「大変お待たせしました、私がライフネット生命社長の出口です。この度はお電話を頂き有難うございました。」

いきなりの社長の登場に、お客様も驚かれている様子。

「本当に社長さん?」という声が聞こえて来そうだ。しばらく先方の話を聞いた後に、「少々お待ち頂けますか」と、出口は電話を保留にしてヘッドセットを頭から外した。

「ブラウザから上手く見積もり画面が動かない、というシステムの質問なんだけど・・・誰か、答えてもらってもいいかな」

自ら答えられずに残念そうな出口を見てクスッと笑いながら、すぐにシステムに詳しい人間が笑顔で電話をピックアップした。

時間が経つにつれ1件、また1件と申込が積み上がっていく。管理画面を開くと、これまでは「テスト太郎」「来風大輔」というシステムテスト用にダミーで入れていた名前しか入ってなかったフィールドに、生身の人間の名前が入っている。住所や会社名、そして保険金の受取人である奥様やお子様の名前も。それらを確認しながら、いよいよ本当に生命保険会社としての一歩を踏み出すことができたのだと実感を深めた。

開業初日はいわゆる「ご祝儀」の申込も多く頂き、あっという間に1日が過ぎ去った。オフィスを出る前に、出口が関係者にメールを打っていた。

「お陰様で、初日を無事に終えることができました。サイト訪問者は1万人を超え、申込は81人。明日から、着実に頑張って行こうと思います。」

ネット生保でもパンフレットが欲しい

翌日は早朝より、NHKのニュース番組で大きく紹介された。午前5時、7時過ぎと2回放送されたが、後に、「5時のテレビ見ました」という連絡をもらい、世の中以外と早起きの人も多いんだなぁ、と感心したものである。

何日か運営してみてすぐに分かったことが、「ネット生保」と言えども紙の資料を送って欲しいという要望が少なくないことである。我々は当初は「少しでも割安な保険料を実現するために商品内容も全てウェブで閲覧して頂き、パンフレットは作らない」という方針を決めていた。

現場からは「そうは言ってもお客様は複数社の資料を取り寄せ、並べて検討したいはず」という意見もあったのだが、「戦略とは捨てること、フォーカスすることが大切」と言い聞かせて打たなかった。実際には開業直前に慌てて、4枚程の会社概要を作っただけだった。
 
「資料は簡単な会社概要のみ準備しております。商品の詳しい案内等は当初のホームページをご覧下さい。」

このようにご案内すると、わざわざお電話をされたお客様からは「それじゃ電話した意味がないよ」とお叱りの言葉を頂くこともままあった。

思うに、開業直後は「何でもウェブで完結することで安い保険料を実現する」ということにこだわり過ぎた。つまり、ウェブ至上主義である。しかし、これは我々供給者の論理である。お客様にとって、ネットは目的ではなく利便性の高い取引を実現するための手段に過ぎない。平日の昼間、仕事の合間をぬってパソコンで情報収集を始め、帰宅後の夜遅く、ないし週末にゆっくり、手元に取り寄せた資料を見ながら検討する。そのような意思決定プロセスを理解した上で、お客様にとって便利なサービスを提供するのが我々の役目である。

開業してしばらく経ってから、商品内容等を丁寧に説明したパンフレットの作成に取りかかった。

謝絶

同じく、開業してしばらくして、健康状態を理由に保険の申込をお断りしたお客様から以下のような趣旨のメールを受け取った。

曰く、ライフネットのことは随分と前から知り、理念に共感し、と応援していた。最近、子供が産まれたことから、他社からの勧誘を断り、ライフネットが開業するのを心待ちにしていた。すぐに申し込んだが、他愛もない(と自分では思っている)持病を告知したためか、契約を断られた。自分は至って健康であり、ピンピンしている。仮に病気だとしても、そのような人こそ保険が必要なのであり、保障を提供することこそ保険会社の役目ではないか。ライフネットには大いに期待していただけに、今回の件では裏切られたように感じるし、失望した。

このメールに対しては申し訳ない気持ちでいっぱいになりつつ、丁寧な返事を書いた。せっかく応援して頂いたのにご期待に応えられなかったのは心苦しいが、現状の民間保険制度の運営上やむを得ないのである。

公的保険であれば健康状態の違いによって保険料に差を設けることはない。つまり、高リスクの被保険者から低リスク(健康体)の被保険者にリスクの移転が行われているのである。このようなリスク移転は所得の再分配と同様、公的セクターが果たす重要な役割である。そして、それを可能にしているのは「強制加入」ということで、特に高リスクの人ばかりが集まる「逆選択」の恐れがないためである。

これに対して、任意加入の民間保険の場合、健康に不安がある人ばかりが集中的に集まってしまい想定した水準よりも保険金等の支払いが多く発生してしまうこと事により、結果として保険制度の健全な運営に支障をきたす恐れがある。またリスクの移転を行うことは公平性の観点から問題がある。

したがって健康リスクに応じて加入条件に差異を設けたり(保険料を割増したり、一部の病気を不担保にする等)、当社のようにシンプルで分かりやすくするために画一的な取り扱いしかしていない場合はそもそも加入をお断りする、という具合にせざるを得ないのである。

加えて、一般の方が各疾病について感じるリスクと、保険医学上の統計的な事故発生率は異なることが多い。保険会社はそれぞれ、新しい契約申込の査定に関する基準を定めてルールブックである「査定標準」という、辞書のような基準を手元に査定を行っている。

その中では一つ一つの病気について例えば「最後に発症してから3年以上経過していたら0点、3年以内であれば、プラス30点」であるとか「数値が70以上であればプラス50点」などと定め、「合計して100点以上であればお断り、50点から100点の間であれば保険金の引き下げをお願いする」と決めている。そのルールブックに従って、1件1件の契約を査定しているのである。

今回謝絶の原因となった病気は、確かに日常的に耳にするし持病の人も少なくないのだが、保険医学的に10万人当たりの死亡者数を見ると、標準体の10倍だったのだ。生命保険の引受査定は個々人の健康リスクを占っている訳ではなく、同じグループに属する人を10万人集めた場合の発生率を想定している訳である。したがって「これは死ぬような病気でない」という日常的な感覚と異なる結果になることも少なくない。

このようなことを丁寧に説明し、メールを送信した。理由が何であれ、せっかく応援して保険を申し込んでくれた方に対してお断りするのは辛いことであると同時に、それも生命保険という仕事の宿命であることを知っていくのだった。

祝福された出発

開業から1週間後の5月24日土曜日。朝日新聞の週末版「Be」に「タブーに挑むネット生保」というタイトルで、2ページに亘って大きく特集された。

嬉しかったのは自分だけでなくこれまでお世話になった人たちに取材をして書かれた記事であり、今回の挑戦を多面的に映し出してくれた点である。

「自分にしかない個性とエッジを利かした生き方をしてみないか」(谷家さん)

「常に情熱のほとばしりを感じさせる出口社長とは、強烈な凸凹コンビ」(松本大さん)

「彼なら、どんな挑戦だってできる」(元上司のダニエル藤井さん)

「この会社の一番のリスクは何かと聞かれたら、それは岩瀬君。同時に、一番の可能性でもあるんです」(出口)

この記事は、以下の言葉で締めくくっていた。

「起業家としての第一歩は共感と祝福に包まれる。『この人なら』と思わせる何かがそうさせる」

多くの人に助けられながらの挑戦。ようやく、スタートラインに立つことができた。

(つづく)

過去エントリー
第1回  プロローグ 
第2回  投資委員会 
第3回  童顔の投資家 
第4回  共鳴   
第5回 看板娘と会社設立 
第6回 金融庁と認可折衝開始
第7回  免許審査基準
第8回 100 億円の資金調達
第9回  同志
第10回  応援団
第11回 金融庁の青島刑事
第12回  システム構築
第13回  増えていくサポーター
第14回  夏の陣
第15回  伝説のファンド、参戦
第16回  ラッキーカラーはグリーン
第17回  偶然のメール
第18回  予備免許
第19回  開業