バレンシア家具照明展示会
当時のバレンシアの家具展示会は照明や小物も含めて1200社余りが出展していた。ヨーロッパでは当時ケルン、ミラノに次ぐ3番目の規模の展示会だった。
当時のバレンシア家具展示会はまだ勢いがあった。展示会の主催者側はこの展示会を発展させてミラノ家具展示会を追い越すのが目標であった。当初、ミラノ家具展示会とバレンシアのそれとの開催日にそれほど差がなかったのでミラノを訪問したあとバレンシアも訪問するという外国からのバイヤーが多くいた。特に中東からのバイヤーがそうであった。
その後、ミラノはバレンシアを牽制して開催を4月に早めた。バレンシアの開催は9月であった。バレンシアの主催者側はミラノに追随して開催日をミラノの開催に近い日に移動させるべきであった。しかし、その頃はバレンシアの主催者側はもう天狗になっていてバレンシア展示会だけで外国からのバイヤーはそれまでと同じように訪問してくれると見込んでいた。
ところが、ふたを開けて見ると案の定それ以後は外国からのバイヤーは減少して行った。何しろ、4月のミラノの展示会だけで十分に新商品などを見ることができた。その後9月にわざわざバレンシアの展示会を訪問する必要はなかった。その結果、バレンシア家具展示会への外国からの訪問者は不況とも重なって減少の一途を辿った。そして閉鎖せざるを得なくなった。
閉鎖されてから7-8年が経過したであろうか、新ためてバレンシア家具展示会を開催しようという要望が高まり開催された。しかし、出展社は僅かに300社程度。嘗て1200社が参加していた頃の4分の1程度であった。これでは外国からわざわざバレンシアまで訪問する価値はない。ということで、展示会が復活して3-4年になるが、筆者は昨年はもう訪問しなかった。
2000年頃から中国人もバレンシア家具展示会を訪問するようになった。目的は展示されている家具をコピーするためであった。また彼らが通路で集まってフロアーであぐらをかいて食事をしている光景は異様に映った。
輸入家具は国産家具と同じ売り方では売れない
1996年10月の帰国で初めての訪問先として岐阜のHIR店を訪問した。同店を訪問するのに岐阜羽島駅で下車した。そこへ同店の社長が迎えに来てくれた。当駅で下車するのは筆者にとって初めてであった。駅を下車するとすぐ傍に銅像を目にした。誰の銅像だろうと好奇心に誘われて駅の外に出た。大野伴睦と夫人の銅像だった。
彼が政治家として活躍した年代は筆者がまだ小学校の頃であったが、ラジオやテレビで彼の名前は良く聞いたので記憶している。昔の党人派によくある義理と人情の政治家だった。「政治は義理と人情だ」「猿は木から落ちても猿、代議士は落ちればただの人」といった名言を残している。日本プロレスのコミッショナーも歴任し、力道山から尊敬された人だった。
今の政治家は数字とか知識は深いが見識は浅く官僚的な政治家が多すぎる。政治家が官僚になる必要はない。彼のような人情味の熱い党人派も政治には必要である。
伴睦は岐阜市と羽島市を発展させようとしてその中間点に新幹線を建設させた。結局、彼の亡き後はこのプランは頓挫した。それで、岐阜市の発展が損なわれた。「二兎を追う者は一兎をも得ず」のことわざ通りの結果となった。
HIR店も他の多くの小売業者と一緒で輸入はやりたいがどのようにして輸入してよいのかわからないという店だった。社長はそのあと2度スペインを訪問されて買い付けされた。が、矢張り、輸入して発展させるには徹底してそれに集中しなれば発展はない。この店も結局中途半端に終わった。
一度はスペインに若い社員を同行され、また同店の若い女性の店員を筆者が静岡のお客を訪問する際に同伴してもらったこともあった。HIR店の社長が社員をそこに訪問して輸入家具・小物の販売についてのknow howを学ばそうという意味からであった。それも1回だけの訪問で同店の社長から話を聞いてもそれを実際に実践して行かねば意味がない。それが大半の店で出来ないのが現状だった。
輸入家具を売るのは国内家具のそれと同じ販売のやり方では売れない。日本の家具販売は物入れを売るという感じだ。ヨーロッパからの輸入家具はファッションを売るという意識がないと売れない。だから、店内でもコーナー展開をしていく必要がある。これが日本の坪効率を基にした販売では無理がある。コーナー展開をさせて家具のファッションを売るという意識の転換が必要である。
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