『イスラエルは民主主義国家ではない』という小論をアゴラに載せて好評を戴いた。サウジアラビアなどほかのアラブ諸国についてもいずれ書くが、きょうはイランのイスラム体制の淵源、そしてどの程度民主主義的要素があるのか、国民から支持されているのかを論じたい。

ときどき間違う人がいるのだが、イランも中国も西欧的な民主主義国ではないが、国民から現体制が支持されていないわけではない。
いろんな推計があるのだが、中国の場合で共産党体制の強い支持率は50%、まあまあ支持が30%、どちらかといえば反対が10%、反対が10%くらいではないか。
イランについては、体制積極支持と反対ではないが改革希望がいずれも40%強、反体制が10%くらいといわれる。
中国で体制への支持が高いのは当たり前で、1990年あたりから経済が40倍になるという世界最高のパフォーマンスを示し、平均寿命も10歳延び、国威発揚にも成功しているのだから、政府はよくやっていると思う人が多いのは当たり前だ(地方政府への不満は強い)。
それに対してイランは米国と対立しすぎて経済が不振なので、国威発揚は成功しても国民の改革志向が強い。また、在外の国民についていえば、中国については政府支持が一般的だが、イランは反体制派が多い。
ただ、そうはいっても体制が揺るぎないのは、近代史のなかでイランが欧米に酷い目に遭わされ続けてきたことを国民が知っているからだ。

イラン モジタバ・ハメネイ師 Wikipediaより
ここで少し近代イラン史のおさらいをしてみよう。
1. サファビー朝(1729年 – 1735年)成立(初のシーア派国家)
16世紀初頭、イスマーイール1世が部族的軍事集団(クズルバシュ)を率いてイランを統一した。もともと神秘主義教団であったサファヴィー教団が政治権力化し、スンナ派が多数であったイランに十二イマーム派シーア派を国教として強制的に導入した。オスマン帝国(スンナ派)への対抗のために団結する必要があった。しかし、18世紀からはロシアの圧力を受けるようになり、群雄割拠の時代を迎えることになった。
2. カージャール朝
18世紀末にアーガー・モハンマド・シャーが再統一し、テヘランを首都として王朝を開いた。しかしロシアと英国の「グレートゲーム」の中で半植民地的状況になった。宗教勢力や商人層(バザール)が台頭した。1906年、カージャール朝下での立憲革命によって王権は制限され、最終的に1925年にパフラヴィー朝に取って代わられた。
3. パーレビ朝成立の背景
1921年のクーデターで軍人レザー・シャーが実権を掌握し、1925年に即位した。列強(特に英露)の干渉による国家の弱体化で中央集権的近代国家建設の必要性が高まったことが原因である。軍・官僚機構を整備し、世俗化・西欧化政策を推進して「上からの近代化」を進めた。
第二次世界大戦中、中立を宣言したが、1941年に英ソが侵攻し、ペルシャ回廊として占領された。親独的と見られたレザー・シャーは退位させられ、息子のモハンマド・レザー・シャー(パーレビ国王)が即位した。戦後は米英の影響力が強まった。
4. モサデグ政権の成立と破綻
1951年、民族主義政治家モハンマド・モサデグが首相となり、アングロ・イラニアン石油会社を国有化した。英米は経済制裁と秘密工作で対抗し、1953年にCIA・MI6主導のクーデターでモサデグは失脚した。いまのアラブ諸国と同じような親米的専制体制が確立した。イスラム勢力は反王制・反英米のために大衆動員でモサデグを支えたが、モサデグが法治国家や議会主義に傾いたこともあって後半には支持しなくなった。
5. パーレビ国王の栄光と挫折
パーレビ国王は石油収入で「白色革命」と呼ばれる土地改革・教育拡充・女性解放などを推進し、急速な近代化と経済成長を実現した。一方で政治的自由を否定し、秘密警察(SAVAK)による弾圧が拡大した。宗教勢力や中間層の反発を招き、急激な西欧化と格差拡大が体制の正統性を損なった。また、古代ペルシャ帝国との絆を強調し脱イスラムを図ったことも反感の原因だった。
6. イラン革命の成立と長期持続
1979年、フランスに亡命中の宗教指導者ホメイニーが帰国し、イスラム共和国が成立した。背景には反専制・反米感情、宗教ネットワークの動員力があった。モサデグを英米が倒したことが西欧的民主主義の可能性を否定したのである。アラブ諸国でもバース党を欧米が否定したことが混乱の原因だと私は思うが、モサデグはバース党以上に西欧的なので馬鹿なことだったし、イランに民主主義が育たないと欧米が批判するのはふざけた話だ。
イスラム体制は、聖職者支配体制(ヴェラーヤテ・ファギーフ)を制度化し、英米が支援したイラクのフセインとのイラン・イラク戦争を通じたナショナリズム強化と治安機構の統制により、体制は長期的に維持されている。
テヘランの米国大使館占拠事件というハプニングが米国を妥協的でなくしたのは残念だが、イランの現体制が反英米であるのは、イスラエルへの支援も含めて英米の方により多くの責任があるし、イランの現体制が国民的支持を失っていない原因でもある。
*深田萌絵さんとの対談
『【力が支配する世界】西洋の衰退とインド・中国の台頭:地政学で読み解く「歴史の真実」と日本の生き残り策』もご覧ください。
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【目次】
第1章 文明の源流と民族奥亡が紡いだ古代ユーラシアの大地図
第2章 大航海、新帝国、革命が形づくった近代ユーラシアの再構築
第3章 ユダヤ・イスラーム・ギリシアの世界が形づくった中東の文明圏
第4章 ロシアとウクライナを形づくった千年の興亡史
第5章 インド文明を形づくった大地・民族・宗教の多層史
第6章 王朝・民族・地政学で読み解く東アジア世界の歴史構造
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