『国家の興亡史からわかる現代地政学――西欧の衰退』さくら舎)では、中東・ロシア・インド・中国というユーラシア大陸四つの文明圏の発展を同時並行的に論じているが、その四つの世界をつなぐのがモンゴル高原とシルクロードだった。

モンゴル高原というのは標高1,000~1,500mの高原で、乾燥した草原が主体で遊牧には適するが、「水・草」の分布が季節的に偏る。

Rachel Poirot/iStock
西にアルタイ山脈、南にゴビ砂漠や黄河が湾曲して西北南側の三方を囲んだ陝西省北部のオルドス高原、東に興安嶺など満州の山地、南西にはチベット高原がある。これらは農耕民にとっては超えがたい壁だが、遊牧民にとっては壁であるとともに、そこにわずかに空いた隙間が諸文明圏同士の交流の回廊を成している。
農耕民である漢民族は草原地帯には住めないし、東へ進んでも渤海湾に面した満州南部や朝鮮半島西岸、それに日本列島あたりだけに移民していた。西へは砂漠に点在するオアシスをたどってしか進めなかった。
いわゆるシルクロードは、アルタイ山脈の北側のジュンガル盆地を通る天山北路、南側のタリム盆地ではタクラマカン砂漠の北側の天山南路、それに砂漠の南側で崑崙山脈の北側である西域南道の三つで、オアシスをラクダに揺られて行く道である。

シルクロードの主要なルート(1世紀ごろ)Wikipediaより
遊牧民たちにはこれより北に「草原の道」もあった。カザフスタンのバルハシ湖の北側のステップを通り、アラル海からカスピ海方向への道で、平坦で人と馬の食料が調達しやすく、冬でも降雪がそれほどでもないので、騎馬軍団が家畜と共に移動するのに向いていた。匈奴や突厥などの民族大移動やチンギス・ハンのロシア遠征は、まさにこの道を通って行ったのである。
この道を東へ進むとアルタイ山脈北麓、モンゴル高原北西部(オルホン川流域)、ハルハ草原、大興安嶺の西麓から遼西地方を通って瀋陽や吉林省にまで到達する。大興安嶺はそれほど高い山地ではないが、森林が深く遊牧民には向かなかった。ただし、満族やその祖先とされる渤海を建国した靺鞨族は狩猟民としての性格もあるので、この深い森林地帯でも動くのが得意であった。
北方遊牧民族といっても、時代によっていろいろな民族が登場するのはなぜであろうか。民族というのは血統よりも言語集団であることが多い。そして有力な部族の言葉が周辺の部族との共通語になる。
ただ、その部族が発展して広い地域に広がると、かえって部族としての実態がなくなってしまうことも多い。匈奴とか鮮卑とかいう民族や言語が消えたとしても、血が絶えたわけではない。
駐日トルコ大使館のHPでは、552年に中央アジアのアルタイ山脈南で、モンゴル系民族「柔然」に隷属していたトルコ系民族「鉄勒」の一部の「突厥(テュルク)」が柔然を滅ぼして周辺諸民族を征服し、モンゴル高原一帯に大帝国「突厥可汗国」を築いたのが、トルコ国家の起源だと紹介している。
イスタンブールの軍事博物館には、冒頓単于やアッティラの肖像彫刻も飾っているという。
テュルク語が生まれたのは、モンゴルのカラコルムの北にあるオルホン川(モンゴル北西部を流れセレンゲ川を経てバイカル湖に注ぐ)流域で、ここでアラム文字を参考に突厥文字も創られた。725年のトニュクク碑文が最古の使用例だ。
匈奴もテュルク族と同系統らしいが、トルコ共和国では、552年の突厥帝国建国をもってトルコ建国とみなし、1952年には建国1400年祭を祝った。583年に突厥は東西に分裂したが、東突厥ではアラム文字を参考にテュルク語の書記体系が考案された。
東突厥はやがて漢民族やモンゴル族などに吸収されたが、西突厥は西へ進み、これが究極的にはオスマン帝国を経てトルコ共和国にまでつながる。
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【目次】
第1章 文明の源流と民族奥亡が紡いだ古代ユーラシアの大地図
第2章 大航海、新帝国、革命が形づくった近代ユーラシアの再構築
第3章 ユダヤ・イスラーム・ギリシアの世界が形づくった中東の文明圏
第4章 ロシアとウクライナを形づくった千年の興亡史
第5章 インド文明を形づくった大地・民族・宗教の多層史
第6章 王朝・民族・地政学で読み解く東アジア世界の歴史構造
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