旧約聖書を読んだことがある人なら、イラン人こそバビロン捕囚からユダヤ人を解放した大恩人だったことを知っている。にもかかわらずイランをイスラエルは破壊し尽くそうとしている。忘恩の徒としか言いようがない。
そこで今回は『国家の興亡史からわかる現代地政学――西欧の衰退』(さくら舎)からイスラム以前のユダヤの歴史の概要を紹介し、あわせて日本ユダヤ同祖論のことも解説したい。

メソポタミアのウル(所在地には諸説あり)にいた族長アブラハムは、トルコ南東部のハランを経て「約束の地」カナンに移住した。その子イサク、孫ヤコブは多くの子をもうけ、ヤコブは「イスラエル」と改名し、その十二人の息子がイスラエル十二部族の祖となった。末子ヨセフは兄たちに売られてエジプトに渡ったが、やがて宰相となり一族を飢饉から救った。しかし後にイスラエルの民は奴隷とされ苦しむことになる。
そこにモーセが現れ、神の導きによって民をエジプトから脱出させた。紅海を渡り、荒野をさまよい、シナイ山で神から十戒を授かった。
イスラエルの民は当初「士師(ジャッジ)」と呼ばれる長老が指導したが、やがて王を求め、サウルが初代王となった。後継で羊飼い出身のダビデ(前1000年頃)はエルサレムを征服して首都とし、詩編を残した詩人でもあった。子のソロモンは知恵ある王として知られ、シバの女王との出会いの伝承もある。ソロモンはエルサレムの神殿の丘に壮大な第一神殿を建設した(前960年頃)。
ソロモンの死後、王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(前922年頃)。北イスラエルはサマリアを首都としたが、不安定で偶像崇拝が広がり、アッシリアに滅ぼされ(前722年)、住民は連行され消息を絶った。これが「失われた十部族」と呼ばれる人々である。日本で唱えられる「日本人ユダヤ人同祖論」は、この十部族のひとつが日本に渡来したと想像力豊かに展開したものだ。
一方、ユダ王国ではダビデ家が続いたが、前586年、新バビロニアのネブカドネザル二世によって滅ぼされ、神殿は破壊され、住民はバビロンに捕囚された。ヴェルディの歌劇『ナブッコ』の合唱「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」は、この捕囚ユダヤ人の望郷の歌である。
しかし前539年、ペルシアのキュロス二世がバビロンを征服すると、ユダヤ人に帰還を許し、前515年に第二神殿が完成した。
ペルシア帝国の支配下では祭祀は復活し、自治的地位が認められた。前4世紀、アレクサンドロス大王の軍隊がやってきたときは、ユダヤ人の大祭司がアレクサンドロスを迎え平和裡に開城し、ここでも信仰にも干渉されなかった。
大王の死後はセレウコス朝支配下になり、信仰はいちおう守られたが、ヘレニズム文化の影響は強く、律法を守ろうとする勢力との確執が起きた。前2世紀に異教の祭壇を設け偶像礼拝を強制したためマカベア戦争が勃発し、エルサレムは一時占拠されたが奪還された。独立したユダヤ国家が復活したが、サドカイ派・ファリサイ派などの対立が深まった。その対立に乗じたのがローマのポンペイウスで、前63年にエルサレムを陥落させたが、大規模な破壊はなかった。
ローマは前37年にヘロデ大王(ユダヤ教徒だがユダヤ人ではなく近縁のイドマヤ人)をユダヤの王に据えた。彼は第二神殿の大改築などエルサレムの都市建設に励んだ。
イエスが布教していた頃、エルサレムは属州となり総督ピラトがいた。イエスは上層聖職者が多いサドカイ派の要求で、ピラトの了解のもと磔にされた。
その後、ユダヤ戦争(66~70年)が勃発した。ローマの将軍ティトゥスは神殿を焼き払い、ユダヤ人の離散(ディアスポラ)が始まった。
バル・コクバの乱(132年)のあと、ローマ皇帝ハドリアヌスはユダヤ人の立ち入りを禁じ、神殿の丘にユピテル神殿を建てた。
ところがコンスタンティヌス帝がミラノ勅令でキリスト教を公認(313年)すると、皇帝の母でキリスト教徒だったヘレナが聖地巡礼にやってきて、キリストが十字架に架けられた場所に聖墳墓教会を建立し、聖遺物を多く持ち帰った。以降エルサレムはキリスト教の聖地となり、390年代にテオドシウス一世がキリスト教を国教化すると、いっそう顕著となった。
しかし614年、パルティアに代わって中東の支配者となったササン朝ペルシアがエルサレムを占領した。このときユダヤ人は一時的に帰還を許された。しかし629年には東ローマ皇帝ヘラクレイオスに奪還され、キリスト教によるユダヤ人迫害がひどくなった。

イスラエルの首都エルサレム KingMatz1980/iStock
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【目次】
第1章 文明の源流と民族奥亡が紡いだ古代ユーラシアの大地図
第2章 大航海、新帝国、革命が形づくった近代ユーラシアの再構築
第3章 ユダヤ・イスラーム・ギリシアの世界が形づくった中東の文明圏
第4章 ロシアとウクライナを形づくった千年の興亡史
第5章 インド文明を形づくった大地・民族・宗教の多層史
第6章 王朝・民族・地政学で読み解く東アジア世界の歴史構造
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