ペルシャ・イラン国家の4000年の歴史を知る

トランプとネタニエフがとんでもないことをしてくれた。国際法など役に立たない、強ければギャング同然のやり方で気に入らない国の指導者を殺していいという世界にしてしまった。彼らや彼らの家族は、マフィアの親分かその家族のように生きていくしかなくなるのではないかと心配しないのだろうか。政治家という仕事はヤクザと同じになってしまった。

ハメネイ師の死亡を発表したトランプ大統領

ところで、イランの歴史については、新著『国家の興亡史からわかる現代地政学――西欧の衰退』(さくら舎)で地政学的に明らかにし、その政治体制の歩みを首都の変遷という観点から、「イラン国家の歴史は首都の変遷から理解するとよい:ペルセポリスからテヘランまで」というアゴラの記事にまとめた。

ここでは、私の別の著作である『365日でわかる世界史』(清談社)から、イランの項目を抜き出し、その国情についての概説を試みたい。

ペルシャ絨毯の上で胡座をかく

アーリア人がイランにやって来たのは紀元前2000年頃のことである。彼らのうちファールス地方(中心都市はシラーズ。ペルセポリスはその近郊)から興ったアケメネス朝が大帝国を築いたのは紀元前6世紀である。ファールスをギリシャ人たちが国名代わりに呼んだのがペルシャの語源で、アーリアが訛ったのがイランである。

イラン・ペルセポリス Wikipedia

イスラム革命が起きてイランのパーレビ国王(シャー)が追放された引き金になったのが、1971年にペルセポリス遺跡で豪華絢爛に挙行されたペルシャ建国2500年祭である。歴史絵巻のショーを見せ、シャー自ら建国者キュロスの霊魂に呼びかけるという、イスラム国家とは思えぬ異教の祭りだった。料理はパリのマキシムが出張して用意した。

モハンマド・レザー・パフラヴィー(パーレビ国王) Wikipediaより

パーレビはイスラム色を薄め、新しい国家の拠り所をアケメネス朝以来の歴史で代替しようとしたのである。このころテヘランで建築された公共建築物には、ゾロアスター教を想起させるデザインすらあった。いかにも短兵急だった。

案の定、さまざまな思惑の反シャーの人々が、パリへ亡命していたホメイニ師を抵抗のシンボルとした。イスラム革命以前にテヘランに駐在した日本人外交官は、ホメイニ師の名前も聞いたことがなかったという。

アレクサンダー大王は紀元前4世紀にアケメネス朝を滅ぼし、インダス川流域まで進出したが、引き返してバビロンで死んだ。現地の習慣を尊重し、現地人との結婚も奨励したが、イラクのセレウキア(バグダッド南方)を都としたセレウコス朝もその方針を継承した。

イラン北東部から起こりローマ帝国と対立したパルティアも、対岸のクテシフォンを首都とした。だが、さらに黄金期を築いたのはササン朝ペルシャである(3世紀)。正倉院御物に残るすばらしいデザインの品々はこの王朝のものだ。

ササン朝は東ローマ帝国との絶え間ない争いにさらされたが、7世紀になってイスラム教徒によって滅ぼされた。だが、イスラム帝国は広大な領土を管理する術をペルシャ人から学び、ペルシャ語も広く使われた。そののちトルコ人やモンゴルの来襲などで支配者はめまぐるしく代わり、ペルシャ人の国家は消えてしまった。

それを復活させたのは、16世紀にコーカサス地方から起こったサファビー朝で、17世紀には「世界の富の半分」といわれたイスファハンを首都とした。この王朝がシーア派をイランの国教とした。

イスラム圏で官僚はペルシャ人の独壇場だった

イラン人は、日本人が畳の上で生活するように絨毯の上で胡座をかく。ペルシャ語は柔らかい語感と瑞々しい感情表現に適しており、多くの国で上流階級の言葉として使われた。それにイラン人の容姿が美しいことは、ダルビッシュを見ても分かるとおりだ。男女とも「濃い顔」の美男美女が多い。

イランでは、1925年にパーレビ王朝となり、戦後の一時期に石油企業の国営化を図ったモサデク政権の時期を除いて1979年まで続いた。パーレビ朝のもとでイランは米国製の軍備を大量に購入し、「湾岸の警察」とまでいわれた。

イスラム革命後は大使館占拠事件などでアメリカと険悪な関係になり、イランに代わる代理人として米国が担ぎ出したのがイラクのフセインだ。イラン・イラク戦争をけしかけイランを牽制したつもりが、フセインが図に乗ったのでやっかいな状況になった。

現在の大統領は穏健派のロウハニだが、宗教指導者のハメネイ師が最高指導者である。核開発問題については、2016年に「包括的共同作業計画(JCPOA)」が成立し制裁を解除したが、2018年にアメリカが離脱して暗礁に乗り上げている。

イランは世界第4位の原油埋蔵量および世界第1位の天然ガス埋蔵量を有する有数の産油国である。日本とは同じ君主国同士として密接な関係があり、三井物産が中心となって石油化学プラントを建設していたが、イスラム革命で中止に追い込まれた。

その後も、互いの国民感情は悪くないが、日本の行動はアメリカとの同盟によって制約されているし、北朝鮮とイランの軍事面を含む密接な関係は、日本にとっても看過できないものだ。

最近では2019年に安倍首相とロウハニ大統領が相互に訪問し、フランスなどとも連携しつつ、アメリカとイランの関係修復の模索が行われた。

恐ろしく誇り高いイラン人だが、その文化水準を見れば当然だ。ペルセポリスや、青いタイルで飾られた「王の広場」があるイスファハンは、人類史上もっとも美しい都のひとつだ。

料理はほかの中東料理と似てはいるが、炭火焼きのようなシンプルなものが多く、ライムなどさまざまなハーブが好まれ、ザクロやピスタチオが名物といったところだ。唐辛子はあまり使わず、辛くない。

米もナンとともに主食とされ、軽く炊いたチェロウや炊き込みご飯のポロがある。羊の肉をレモンなども入れて串焼きにしたキャバブや、煮込み料理であるホレシュなどが主流である。

istanbulimage/iStock

補足:ペルシャ絨毯は世界で最も美しい調度品であり、細密画や錦織物の見事さもいうまでもない。イランでは家で靴を脱いで生活し、絨毯に座る。


365日でわかる世界史


国家の興亡史からわかる現代地政学――西欧の衰退

【目次】
第1章 文明の源流と民族奥亡が紡いだ古代ユーラシアの大地図
第2章 大航海、新帝国、革命が形づくった近代ユーラシアの再構築
第3章 ユダヤ・イスラーム・ギリシアの世界が形づくった中東の文明圏
第4章 ロシアとウクライナを形づくった千年の興亡史
第5章 インド文明を形づくった大地・民族・宗教の多層史
第6章 王朝・民族・地政学で読み解く東アジア世界の歴史構造

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