アレクサンドロス大王が前323年に急死すると、確固たる後継者がいなかったので、大帝国は統一を維持できなくなった。王妃だったバクトリア(アフガニスタン)のロクサネは妊娠中で、知的能力に問題があった大王の異母兄弟アリダイオスは知的能力に問題があると見られていた。結局、アリダイオスがフィリッポス3世として即位し、やがてバビロンで生まれたアレクサンドロス4世が「共同王」とされた。

しかし、かれらは帝国を維持できずマケドニアに帰国し、やがて内紛のあげく殺された。帝国各地で 大王の後継者(ディアドコイ)と称する軍人が権力闘争を繰り広げたが、セレウコスがトルコ南東部のアンティオキアとセレウキア(バビロン郊外)として、北インドからシリアまでを支配するようになった。

セレウコス朝の首都アンティオキアからハルキスへ続くローマ街道 Wikipediaより
ディアドコイ達の争いでエジプトに亡命したりしていたが、紀元前312年にバビロンを制圧した時をもって王朝の開始という(王を名乗ったのは前305年)。
セレウコスはインドに遠征し、勃興していたマウリア朝のチャンドラグプタと手を結び、セレウコスは戦象500頭を得て、メソポタミアで使いました。そのかわりに、ガンダーラなどを割譲し、自身の娘をチャンドラグプタの息子ビンドゥサーラ(アミトロカテス)の妃とした。ビンドゥサーラは、アショーカ王の父である。
その後、セレウコスはマケドニアも手に入れようとしたが、遠征の途中で暗殺された。
アレクサンドロスは将軍たちを現地の女性と結婚させたが、多くはのちに離別したが、セレウコスはソグディアナ(ウズベキスタンのイラン系王国)の王女アバメーと結婚し、後継者のアンティオコス1世ソテルなどを儲けた。
やがて、セレウコスはこの王朝の継承は、原則として王家内部の世襲、ことに父から子への継承を軸としていた。実際、建国者セレウコス1世のあとを子のアンティオコス1世が継ぎ、その後もアンティオコス2世、セレウコス2世、セレウコス3世、アンティオコス3世と続く。生前に子を共同統治者に立てて継承を固めることもあれば、兄弟・叔父甥の内戦、宮廷クーデタ、地方総督の離反によって王位が動くことも多かった。
この王朝はバクトリアを半世紀ほど、中央アジアをさらに半世紀ほど、そしてメソポタミアやイランを前二世紀後半に失い、とくに前141年にはセレウキアが陥落し、それ以降はシリア地方のみを領有した。
彼らは各地にギリシア系都市や軍事植民市を築き、ギリシア語文化を西アジアへ広げ、いわゆるヘレニズム文明を発展させた。
仏教を国教にしたのは、アショーカ王だが、この時代のインドがセレウコス朝のヘレニズム文明に影響されていたのは言うまでもないし、ガンダーラや中央アジアなどで大乗仏教や仏教美術が成立した。
主要な王としては、建国者セレウコス1世、王朝を立て直したアンティオコス1世、いったん縮んだ帝国を再建し「大王」と呼ばれたアンティオコス3世、そしてユダヤ政策で強い反発を招いたアンティオコス4世がまず挙がる。とくにアンティオコス3世は東方遠征で威信を回復したが、西ではローマと衝突し、前190年のマグネシアの戦いで敗北、前188年のアパメイア条約で小アジアの大半を失った。
3世紀にはすでにバクトリアやパルティアが自立し、2世紀にはユダヤでマカバイ戦争が起こり、東方ではパルティアがメディアを奪って前129年、アンティオコス7世がパルティア遠征中に戦死すると、帝国再建はむずかしくなった。
その後の王朝は王族同士の争いもあり、アンティオコス8世と9世などが争い、ローマのポンペイウスがシリアを征服していく中で、前64~63年にセレウコス朝は事実上終焉した。
パレスティナについてはエジプトと争奪戦を戦ったが、前218年アンティオコス3世ンも時に支配を確立した。前175~164年アンティオコス4世らがユダヤに対してヘレニズム化政策を進め、エルサレム神殿の冒瀆と受け取られる措置をとり、前167/165年ごろマカバイ戦争(マカバイ反乱)が始まり、前164年ユダ・マカバイがエルサレム神殿を奪回した。
しかし、この地域での支配はもうしばらく続いたが、前二世紀の後半にはユダヤ人支配が確立した。しかし、前63年にはポンペイウスがローマの支配下に置いた。
しかし、いずれにしても、セレウコス朝およびガンダーラやバクトリアのようなギリシャ系国家がこの地域をローマに取って代わられるまでは維持し、仏教の発展におおいに寄与したし、私は仏教の人類愛についての考え方などキリスト教の成立にも影響を及ぼしたに違いないと思っているといった話を、『国家の興亡史からわかる現代地政学――西欧の衰退』(さくら舎)でも紹介している。
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【目次】
第1章 文明の源流と民族奥亡が紡いだ古代ユーラシアの大地図
第2章 大航海、新帝国、革命が形づくった近代ユーラシアの再構築
第3章 ユダヤ・イスラーム・ギリシアの世界が形づくった中東の文明圏
第4章 ロシアとウクライナを形づくった千年の興亡史
第5章 インド文明を形づくった大地・民族・宗教の多層史
第6章 王朝・民族・地政学で読み解く東アジア世界の歴史構造
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