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(前回:病院という聖域⑭:空気に従う合理性——国民は被害者であり、担い手でもあった)
本連載では、「病院という聖域」を入口に、日本社会のより深い病理を検証してきた。
病院の面会制限、日赤の二重基準、医療法人の財務不可視、MS法人による隠された黒字、診療報酬政治の悪夢のスパイラル、コロナ禍の帝王切開、PCR偏重と発熱拒否、マスクを外せない社会、接種ありきのワクチン政策、専門家の暴走——個別には別問題に見える。だが本質は一つである。
責任が発生しない構造だ。
総括——六つの層に生じた責任の空白
財務の不可視。医療法人の決算公開は義務はあるが罰則なし、関連当事者取引の開示義務もない(病院という聖域④:医療法人のまやかしの透明性・制度が生む不可視化の構造)。
MS法人を経由した利益移転は制度上追跡不能であり、コロナ禍の病床確保料がどこに流出したかも検証できない(病院という聖域⑤:隠された黒字──MS法人が作る財務の錯視)。見えない金には責任が生じにくい。

専門家。PCR大規模検査、接触8割削減、思いやりワクチン——強い予測が語られ、外れても検証されず、発言者は次の会議に呼ばれた(病院という聖域⑬:専門家の暴走と歪められた政策判断)。
尾身氏自身が「感染予防効果はあまりない」「若者は重症化しない」と後に認めたが、情報が市民に届く形で流通することはなかった。権威に責任が伴わないなら、それは知性ではなく特権である。

行政。「総合判断」「専門家の助言を踏まえた」「現場で判断した」——決定主体が消えれば、検証も再発防止もできない。健康被害救済予算は当初3億6,000万円が補正で397億7,000万円(110倍)に膨張した(病院という聖域⑫:接種ありきのコロナワクチン政策「設計思想」を問う)。これを想定した者は誰もいない。

メディア。恐怖は視聴率になる。しかし誤報や過剰報道の総括は乏しい。当初の心筋炎比較グラフには年齢区分とデータソースが非対称に並べられ、後に差し替えられたが、そのことがテレビで訂正として流れることはなかった。煽るインセンティブだけがあり、反省のコストがない。
政治。日医連の年間21億円の収入、約6億円超の政治献金、パーティー券の分散購入、組織内議員への2億円集中(病院という聖域⑦:診療報酬政治の構造社会——保険料上昇「悪夢のスパイラル」)。中医協には保険料負担者の代表が構造上存在しない。決定の場から負担者が排除されている以上、決定の責任が負担者に向けて説明されることもない。

国民。前回述べた通り、怒るが監視しない。政治不信を語りながら制度改革には無関心、増税には怒るが予算執行は見ない。民主主義は観客席から成立しない。
背反の象徴——高額療養費制度
この構造の最も分かりやすい症状が高額療養費制度をめぐる議論である。
国民皆保険を守れと言う。しかし負担増には反対する。医療従事者の待遇を守れと言う。しかし歳出改革には反対する。給付拡大を望む。しかし財源論は嫌う。
上限引き上げ議論、共済の付加給付、実効自己負担の差、保険料=実質賃金の減少、公務員の負担構造——どれも持続可能性との緊張を正面から扱わなければ論じられない。しかし議論は常に「負担増か給付維持か」の二項対立に押し込められる。
制度変更の痛みは均等ではない。善意だけでは制度は維持できない。この論点は本連載では踏み込みきれず、稿を改めて論じたい。
責任不能社会を壊す五つの提言
- 提出=公開。医療法人決算のように提出義務はあるが公開が自治体任せで実効性を欠く制度を根本から改める。行政提出資料、審議会資料、根拠データは原則即時公開。黒塗り例外主義ではなく、公開原則主義へ。
- 補助金トレース。病床確保料がMS法人経由で流出しても追跡できない現状を是正する。補助金・診療報酬加算・委託費の流れを関連当事者取引も含めて追跡可能にする。公金に匿名性は不要である。
- COI管理。中医協の診療側偏重と利益相反、専門家会議と製薬・医療関連企業の資金関係を常時開示する。利益相反は罪ではない。隠すことが問題だ。
- 政治資金可視化。日医連のパーティー券分散購入のような迂回スキームを前提に、業界団体、関連政治団体、パーティー収入、献金の流れを検索可能にする。民主主義に必要なのは信頼ではなく検証可能性である。
- 謝罪可能社会。「誤りを修正できない構造」の根底には、日本では誤りを認めた者が永久追放されやすいという文化的基盤がある。だから誰も謝らない。責任追及と訂正可能性は両立させねばならない。
最終結論
問題は、不正の有無ではない。誰か一人の悪意でもない。
責任が発生しない構造そのものである。
各プレイヤーが自己利益に従って合理的に行動する。その合成の結果として、誰も望まなかった帰結だけが残る。これが本連載が一貫して提示してきた「合成の誤謬」の姿である。
そして、その構造を監視し続けることは、民主主義の責務であり、避けられないコストでもある。無関心でいられても、無関係ではいられない。
本連載はここで区切る。だが、この国の責任不能構造への問いは終わらない。今後は不定期寄稿として、引き続き検証を続けたい。
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