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(前回:病院という聖域⑫:接種ありきのコロナワクチン政策「設計思想」を問う)
コロナ禍における日本の政策判断は、「専門家の助言に基づく合理的意思決定」として正当化されてきた。しかし実態は逆である。専門家の仮説やモデルが十分な検証を経ないまま政策化され、修正不能な形で固定化された。
本章では、その典型例を通じて「なぜ誰も止められなかったのか」という構造を明らかにする。
PCRスクリーニング戦略の限界と誤用
PCR検査は本来、感染が疑われる患者の診断に有用なツールである。これを無症状者を含む大規模スクリーニングに転用したことに問題があった。
この戦略を日本政策に持ち込んだ代表的な論者が、渋谷健司氏(当時・WHO事務局長上級顧問、キングス・カレッジ・ロンドン教授)である。渋谷氏は2020年4月以降、国内外のメディアに繰り返し出演し、政府のクラスター対策優先による「検査数の絞り込み」を公然と批判した。「感染者は公表数の10倍以上いる」「氷山の一角に過ぎない」といった発言はテレビを通じて広く拡散した。
「東京は手遅れに近い、検査抑制の限界を認めよ」WHO事務局長側近の医師が警鐘(ダイヤモンド・オンライン、2020年4月)

同年4月にはPCR検査の拡充を訴える記事を文春オンラインに自署寄稿し、大規模スクリーニング戦略の即時導入を訴えた。
「いまこそ国民全員にPCR検査を」(文春オンライン、2020年4月)

さらに同年7月には「偽陽性の問題はほぼ100%ない」と題する寄稿でPCRの限界論を全否定。
はびこる「PCR検査拡大は不合理」説を公衆衛生の第一人者が論破!(文春オンライン、2020年7月)

「検査拡大が経済を回す」という命題を「公衆衛生の第一人者」の権威とともに社会に流通させた。こうした発信は、検査の限界に関する議論を封じる方向に作用し、大規模スクリーニングへの疑問が政策議論に乗る余地を失わせた。
主張は後に清水一氏らとの共著論文として国際誌にも発表され、政府および一部専門家によるPCR検査をめぐる情報発信をインフォデミックと論じた論文にも名を連ねた。
日本語訳「日本におけるSARS-CoV-2の検査、追跡、隔離の優先順位」
日本語訳「日本における核酸増幅検査に関するCOVID-19インフォデミック」
しかしPCRには偽陽性・偽陰性が不可避であり、流行期には陽性的中率が低下する。さらに当時は結果判明まで数日を要し、感染力のピークを過ぎた後に判明する例も少なくなかった。拡大防止という目的は、この時間的制約によって大きく損なわれていた。
陰性証明の許可証化、発熱者拒否、公金依存の非対称という重層的な歪みについては拙稿「病院という聖域⑨:PCR偏重と発熱拒否が生んだ医療アクセス崩壊」で詳述した。

PCRスクリーニングは寮や軍隊など閉鎖環境では機能しうる。閉鎖環境では対象者が固定され全数検査が可能だが、都市や国家規模では人の流入・流出が絶えず、「境界の管理」が成立しない。問題は検査そのものではなく適用範囲の誤認にあった。そしてこの検査戦略の誤認は、後に「行動制限による制御」へと政策の重心を移す下地となった。
「8割削減」論の問題と政策固定化
接触機会の「8割削減」は対策の象徴となったが、その前提や妥当性の検証は不十分であった。岩本康志教授は、この数値の根拠となったモデルが内的整合性を欠くこと、さらに代替案(7割削減)を不利に見せるずさんな説明が国会答弁に至るまで繰り返されたことを詳細に示している。
コロナ政策の徹底検証(前編):「接触8割削減」に科学的根拠はなかった

コロナ政策の徹底検証(後編):「接触8割削減」のずさんな説明

すなわち、「科学的知見」ではなく「政策目標に適合する数値」が選択された可能性がある。なお「42万人死ぬ」という予測についても、アゴラはその発表直後から疑問を呈していた。
「新型コロナで42万人死ぬ」という西浦モデルは本当か(池田信夫・2020年4月)

本来、行動制限は複数シナリオを比較しながら調整されるべきである。しかし単一指標が絶対目標として固定化された結果、政策は修正困難となった。仮説に過ぎない数値が社会的目標として定着したことが、繰り返される行動制限の前提となった。
批判不能な専門家と統治の逆転
ではなぜ是正されなかったのか。最大の要因は、専門家が事実上批判不能となったことである。政治も官僚もメディアも検証を避け、専門家の方向性がそのまま政策となった。
本来、専門家は不確実性を含めた複数の選択肢を提示する存在である。しかし当時の専門家会議は助言機関でありながら政策の方向性を実質的に規定していた。政治はその追認機関へと後退し、官僚は予算・人事を通じた異論封じの構造的動機を持ち、メディアは危機報道というフォーマットへの依存から専門家への反論よりも増幅を選んだ。
補助主体が意思決定を代替するこの逆転は、統制を離れて独走した関東軍になぞらえうる構造である。
リスクコミュニケーションの歪み
リスクコミュニケーションもこの構造を補強した。本来は不確実性を含めて説明すべきところ、危機を強調するメッセージが優先され、単一のシナリオが繰り返し提示された。その結果、前提そのものが疑われることはなかった。
結論:誰も止められない意思決定構造
なお「当時は未知の感染症であったためやむを得なかった」との見方もある。しかし、SARSやMERSを含むコロナウイルスに関する知見は一定程度蓄積されており、PCRの偽陽性率や集団免疫の閾値推計に関する先行研究は存在した。少なくとも、不確実性を前提とした慎重な政策設計や複数シナリオの比較が求められる状況であった。
専門家は責任を負わず、政治は判断を回避し、メディアは検証より危機の強調を優先した。その結果、専門家の見解は批判なく増幅され、政策の前提が固定化された。緊急事態宣言などの行動制限は繰り返され、検証なきまま継続された。
問題は個別の誤りではなく、誤りを修正できない構造にある。この構造を改めない限り、同様の政策暴走は繰り返される。
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【次回予告】
国民は被害者であり加害者でもある
専門家が暴走し、政治が追認し、メディアが増幅した。しかしその構造を下から支えたのは誰だったのか。
次回は「空気に従う合理性」「同調圧力」「自粛警察」「代理執行」という四つの切り口から国民の役割を問う。結論は単純な免責でも断罪でもない。国民は構造に巻き込まれた被害者であり、同時に加害者でもあった。
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