中東情勢の鍵を握る7つの君主国とその王たち

中東にはまっとうに民主主義が機能している国は1つもない。とくに、7つある君主国は封建制国家そのものだ。その政治状況は次回に回すとして、今回は、歴史的な由来を『国家の興亡史からわかる現代地政学――西欧の衰退』(さくら舎)と『世界の王室うんちく大全』(平凡社新書)から紹介してみよう。

いま世界には、イスラム君主国が10か国あるが、そのうち7か国が中東で、そのほかにモロッコ、ブルネイ、マレーシアである。今回は中東の7か国を紹介したい。

現在の湾岸諸国 地図データ googleより

ヨルダン・ハシミテ王国~世界一美しい王妃

預言者ムハンマドの一族の系図を説明すると、彼らはムハンマドの11代前のクライシュを祖とするクライシュ族に属する。ウマイヤ家などもクライシュ族だが、ムハンマドの曾祖父を祖とするハーシムからアリーやアッバースも含むハーシム家が出ている。

そして、アリーと預言者の娘ファティーマの子であるハサンの17世孫といわれるキタダ・イブン・イドリースが、エジプトやオスマン帝国の庇護下にメッカのシャリーフ(宗教的指導者)およびアミール(地方総督)となり、近代にまで及んだ。

イギリスは第一次世界大戦でドイツ側に立ったオスマン帝国にくさびを打ち込むために、アラブ人の民族意識を高揚させ利用しようとし、メッカのシャリーフだったフサイン・ビン・アリーをけしかけ、1915年に、駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンは「フサイン=マクマホン協定」を結び、オスマン帝国に対して反旗を翻させ、1916年、ヒジャーズ王国が建国された。その子のファイサルは「アラビアのロレンス」の支援も受けてダマスカスを攻略した。

ところが、勝手にカリフを称したことや親英的すぎることへの反発、パレスティナ問題で英国がシオニズム運動との間で二股膏薬的な動きで裏切ったこともあり、うまくいかなかった。さらに、メッカを中心としたヒジャーズ王国はサウド家に追われて滅亡した。ただ、イラクにフセインの次男ファイサル、ヨルダンに3男のアブドラが王国を樹立し、イラクの方は1958年に革命で倒されたが、ヨルダンでは健在である。

戦後のヨルダンはイスラエル建国により、パレスティナ地域のうちヨルダン川西岸までも抱え込むことになり、苦難の道が続いたが、フセイン国王がしたたかに欧米、アラブ、ソ連などの間を遊泳し、王国を安定させた。

フセインの死後は、1999年にアブダッラー2世が即位した。ヨルダンの正式名称はヨルダン・ハシミテ王国で、王家の名前にちなむものである。ラーニア王妃はクウェート生まれのパレスティナ人で、シティバンクのアンマン支店に勤めていたとき国王と知り合った。いまや世界の王室でも美女ナンバーワンといわれるほど欧米での人気は高いが、ベドウィンの有力部族長らから出しゃばりすぎだと言われている。

ラーニア王妃 世界経済フォーラムHPより

サウジアラビア王国~40人の王子が順番に王様に

ハーシム家のヒジャーズ王国の失敗につけ込んでサウジアラビアを建国したのが、ナジド地方(リヤド周辺)から発展した厳格なワッハーブ派のサウド家である。

神学者ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブ(1703~92)の開いた宗派と「剣と宗教」の盟約を結んだサウド家が台頭したが、1891年、内乱に敗れたサウード一族はクウェートへ亡命した。

しかし、1902年アブドゥルアズィーズがリヤドを奪回し、その後も発展を続けて、1927年に結ばれたジッダ条約によってヒジャーズ・ナジュド王国が成立し、1932年にはサウジアラビア王国となった。戦争中は米国と同盟し、戦後はハーシム家という共通の敵の存在のおかげでソ連寄りのエジプトのナセル大統領とも同盟することに成功し、政治的な存在感を示した。

イブン・サウドは、アラビア半島各地の土豪の娘たちを後宮に入れ、40人の王子を産ませ1953年に死んだが、その後の王位継承は、いまだもって、その子供たちの兄弟たらい回しになっている。最初に王位についたサウド王は凡庸で外遊中に弟で皇太子のファイサルに追放されたが、ファイサルは王の中の王といわれ、第4次中東戦争を機にアラブ産油国が共同で石油輸出を制限しオイルショックを引き起こした。

だが、甥に暗殺され、そのあとをハリド、ファハド、アブドラ、サルマン(2015年)と兄弟が継承している。

このうち、ファハド、スルタン、サルマンは南西部アッシール地方の土豪スデイリ家から出たハッサ妃が生んだスデイリ・セブンと呼ばれる7人兄弟に属す。ファハドはサウド家に滅ぼされたラシード家の血を引いていた。アブドラは改革派とされてきた。現在、実権は王太子で首相のムハンマドが握っており、強引な政治手法だが近代化路線に対する期待も大きい。

ムハンマド皇太子がリヤドで閣僚会議を主宰 2026年2月3日 サウジアラビア王国政府公式サイトから

サウジアラビアのメッカにあるカーバ神殿 Aviator70/iStock

クウェート~2つの王家の交代だったが

イラクのフセイン大統領がクウェートを併合しようとして湾岸戦争は始まったのだが、歴史的に見るとフセインの要求にもそれなりの理屈があった。この地は長い間、イラクのバスラを中心都市とする地域の一部だったのである。

ただ、そこに18世紀からベドウィン(遊牧民)が定着し、彼らは、サバーハ家をオスマン・トルコとの交渉に当たる首長として選び、オスマン帝国からカーイマカーム(総督)の称号を得た。

しかし、1896年に第7代の首長に就任したムバーラク7世はあえて英国の保護下に入り、アル・カビール(大首長)を名乗ってオスマン帝国とバスラ総督府からの自立を狙ったのである。

といっても、真珠採取が主要産業の貧しい地域だったが、1946年から石油採掘が始まり、世界で最も豊かな国のひとつになった。独立したのは1961年で、サバーハ家による支配が続いている。

もともとは、同じムバーラク7世の子であるジャビルとサリームの子孫が交替で首長(アミール)をつとめていた。しかし2005年に、湾岸戦争時の王であったジャービル家のジャービル首長が没してサーリム家のサアド皇太子が即位した。

しかし、新首長が病気だというのでジャービル家を中心とするサアド首長降ろしが行われ、結局サアド首長は10日間だけで退位させられて、ジャービルの弟サバーハ・アハマド・ジャービル・サバーハ首相が王に即位し、さらに、ナワーフ王子(2020年)、ミシュアル王子(2023年)と兄弟での継承が続いている。

バーレーン王国~エデンの園の時限爆弾

オスマン帝国の支配下にあったペルシャ湾の南岸には、18世紀にアラブ人が移住して首長たちを中心に小さな国をつくった。その彼らを支援して自立させ、インドへの道を固めるのに使ったのはイギリスである。

バーレーンは、ペルシャ湾に浮かぶ小さな島々で、エデンの園はここだという伝説もある。18世紀の終わり頃から、ハリーファ家が制圧した。現在の国王はハマド・ビン・イサ・アル・ハリーファだが、住民の大半はシーア派で、アラブの春の時は政権がぐらりと揺れた。

カタール国~アルジャジーラもここにある

LNGの世界最大級の生産国であり、アメリカ・ワールドカップ予選敗退となった「ドーハの悲劇」の舞台、さらにはアジア大会開催国として知られるのがカタールだ。アラブを代表するテレビ放送局アルジャジーラもここにある。

前首長(アミール)ハリファは従兄弟アフマドを王族内の不満を背景に追放して即位したが、息子のハマド・ビン・ハリファ・アル・サーニによって外遊中のクーデターを起こされた。

アラブ首長国連邦~ドバイとアブダビのライバル対決

バーレーンとカタールを含む湾岸9か国は、イギリス軍のスエズ以東撤退を受けて連邦結成協定を結ぶが、自立可能と見た2か国が1971年に単独で独立し、残りはアラブ首長国連邦(UAE)となった。

構成国7か国のなかで、アブダビが最大で、その首長(アミール)であるムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーンがUAEの大統領を兼ねる。ドバイのマクトゥーム首長もアブダビの主導権へのほかの首長国の不満を糾合して野心を示したこともあるが、アブダビが連邦予算の7割を拠出している現状からいっても無理だった。

王家であるナヒヤーン家は、ペルシャ湾で海賊などしていたが、1820年にイギリスがペルシャ湾に大艦隊を送り込み押さえ込み保護国とした。

ドバイは、中東きってのリゾートであり、金融センターであり、エミレーツ航空の本拠地だ。ジュメイラビーチの人工島や828メートルという「ブルジュ・ハリーファ」で知られる。

オマーン王国~シンドバッドの故郷

シンドバッドが船出したと言われるオマーンは、ポルトガルの支配に入った時期もあるが、17世紀から19世紀の初めまでインド洋で最強の海洋国家だった。サイイド・サイード(1804年即位)がスルタンのころ全盛を迎え、東アフリカのザンジバルに遷都したが、その死後は、オマーンとザンジバルに分割された。

帆船から蒸気船の時代となったことで衰退が始まったが、いまもアール=サイード家のスルタンに支配されている。カーブース・ビン・サイードが即位(1970年)する前は、ラジオも新聞も空港もなく奴隷制が残っていたが、急速に近代化が進んでいる。2020年にカーブースが崩御し、遺言で従兄弟のハイサム・ビン・ターリク・アール=サイードが即位した。


国家の興亡史からわかる現代地政学――西欧の衰退

【目次】
第1章 文明の源流と民族奥亡が紡いだ古代ユーラシアの大地図
第2章 大航海、新帝国、革命が形づくった近代ユーラシアの再構築
第3章 ユダヤ・イスラーム・ギリシアの世界が形づくった中東の文明圏
第4章 ロシアとウクライナを形づくった千年の興亡史
第5章 インド文明を形づくった大地・民族・宗教の多層史
第6章 王朝・民族・地政学で読み解く東アジア世界の歴史構造


世界の王室うんちく大全

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