恥ずかしい佐倉市議会⑨:動画公開は全国の議会改革に直結する

高橋 富人

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何かの批判をするときは、何にせよ無傷ではいられません。

まして、連載記事のタイトルを「恥ずかしい佐倉市議会」としたのですから、同議会に身を置く者として「天に唾する」という趣旨の批判をいただいたこともありました。

また、本連載での批判の矛先は議会多数派に向いているため、彼らの「複数の口」から市民の皆さまに「髙橋は過激派だ」、「髙橋は頭おかしい」、「浅慮で目立ちたがり」などの陰口を言われている、と市民の方からご心配の連絡をいただいたこともありました。

これまでの記事の趣旨からいって、この「四方八方敵だらけ」の状態は、ある意味予定されたことです。

今回の記事では、その前提があってなおこの連載に踏み切った理由を説明します。

恥ずかしい佐倉市議会シリーズ連載の狙い

私がこの連載をするにいたった理由は、一義的には「佐倉市議会における委員会等の動画公開を実現するための手段」として、でした。

おかげ様で、ようやく動画公開の前提となる議論をする場としての「議会改革推進委員会」が開催されました。

会派に所属していない私は、議会内での発言力には限界があるし、過去の原稿にあるとおり、政策実現をしようにも様々な「嫌がらせや妨害」を受けてもいます。

そのような議員が議会を動かそうとした場合、最も力になるのは「言論」です。その意味で、アゴラという全国的に影響力を持つ媒体で私の論考を掲載いただけていることは、計り知れない力となっています。他方、さすがにアゴラのネームバリューをもってしても、今回の連載のような「某地方議会の委員会等の動画公開」といった「大切だけど地味」な問題提起をする場合は、状況をオブラートに包んで説明しても見向きもされません。

そんなわけで、動画公開実現のために私が取りうる方法はこの道しか思いつきませんでした。

私の狙いのもう一つは、全国的な地方議会の「透明性改革」の促進です。

議員になってみて「地方議会の存在意義」を、改めて深く考えることが多くなりました。包み隠さずに言えば、「我が国の地方議会は、与えられた権限や国民の期待値の通り、役に立っているといえるだろうか」という根本的な存在意義について疑問を持つにいたっています。

一方で、我が国では地方分権の必要性が叫ばれている。佐倉市に関わらず「地方議会の現状」を知るにつけ、私はその方向性に「大丈夫なのか?」という恐怖すら覚えます。

地方自治の要の一つである「地方議会」。その足腰を強くするためにも、全国の地方議会の「委員会等の動画公開」は必須であると考えました。議会を衆目にさらして、市民県民の監視の目をいきわたらせるインフラを早急に作る必要があると考えました。

それに加えて、全国の地方議会の透明性を高めることで、地方議会を刷新する人材を育てる必要性を強く感じています。

議員というのは、一度当選すると新人候補より圧倒的に強い立場を手に入れます。日々の政治活動で支援者の層を厚くすることも可能ですし、議員でいることそれ自体が、すでに「顔を売る」ことに直結している。そのうえ、議会の意思決定プロセスを「できる限りブラックボックス化」しておけば、議員になろうと志す人たちにとって「未知の領域が広く深い」分、現職有利を保つことになります。

さらに言えば、議員はお互いがあまり強く批判し合わないことで、その「有利な立場」を持ち合おうとする「暗黙の了解」が存在しているようにも思います。

この「選挙互助会」的な議会の在り様は、もちろん佐倉市議会特有の風土ではなく、日本全国の地方議会に広がっています。結果、5期、6期と期数を重ねた高齢議員が大きな会派で圧倒的な発言力を持ち、市民そっちのけで利権の中につかり切っている。

そのおかしな状況を解消しない限り、巷間で言われている「地方分権」を進めることは危険ですらあると考えています。

その意味で、この連載は全国の市民の皆さまや、議員を志す方々にぜひ読んでいただきたい、という願いを込めて書いています。

 

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