龍馬の幕末日記㉒ 二度目の江戸で武市半平太と同宿になる

※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」 』(SB新書・電子版が入手可能)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)

Sean Pavone/iStock

安政元年の南海地震の次の年の12月4日に父の八平が59歳でなくなった。当時としては、そこそこ長命だった。「竜馬がゆく」では二度目の江戸遊学中だったその翌年のことだとしているが、父の死のときに龍馬は土佐にいた。

11月に仁井田浜で砲術訓練があり、兄の権平とともに参加し、西洋砲術家の徳弘孝蔵に入門していた兄ともども上々の成績を収めることができたうれしい出来事からまもないころだった。

父のあとは42歳になっていた兄の権平が継いだ。すでに嘉永4年に代勤が認められており、特に問題はなかった。ただ、兄には子がなく、普通に行けば私が跡取りということになる。

次男坊にもかかわらず、どこかに養子にという話にならなかったのもそういう事情もあったからである。

だが、河田小龍先生などから世界への眼を開かれた以上は、そういう生活には満足できないものを感じていた。私は黒船警備やらで消化不良になっていた剣術修行をもう少し続けたいという口実で、再度、江戸へ行きたいと兄に懇願し、なんとか、了解してもらった。

前回と同じように福岡家を通じて7月29日に政庁に願いを出し、8月4日に認めてもらった。出発は8月の20日で、9月の後半に江戸に入り、築地屋敷に入った。29日付けで餞別を弾んでくれた高知城下の相良屋源之助さんにお礼を書いた手紙が今も残っているので確かだ。

この二度目の江戸行きでも普通に伊予の川之江まわりの道を通っており、「竜馬がゆく」でのように、室戸岬まわりで出たとか、その途中で岩崎弥太郎に会ったとかいうことはなかった。

武市半平太 獄中自画像 Wikipediaより

同じ頃に親戚の武知半平太、それに幡多郷士の大石弥太郎も江戸に出てきており、同宿することになった。

大石弥太郎(円、元敬)は香我美郡野市村の郷士の長男である。幡多郷士と呼ばれるのは、遠隔地である土佐南西部の幡多郡開発に協力することを条件に先祖が郷士身分を得たことによるものだ。半平太の叔父で国学者だった鹿持雅澄に学び、のちに土佐勤王党の盟約文を起草した。新馬廻組に昇格し、明治になってからは旧郷士保守派の古勤王党で活躍した男だ。

亡くなった父の兄の孫に、半平太にとっても親戚に当たる山本琢磨という男がいた。酒に酔って江戸市中を歩いて商人とぶつかり、そのときに落とした懐中時計を質屋に持ち込むという不祥事を起こした。

どこの誰のものか分からないので、どうせならと思い欲が出たのだが、まだ、懐中時計など貴重な頃だから奉行所に届けがあり、琢磨は出頭を命じられてしまった。

公になれば、切腹を免れないかもしれないので、半平太ともども内密に処理しようとしたがうまくことは運ばず、琢磨は逐電するしかなかった。建前は私や半平太は出頭を勧めたとなっているが、実際どうだったかは読者の想像にお任せしよう。

山本はのちに北海道に移って沢辺琢磨と名乗り、ロシア系の日本ハリストス正教会で日本人司祭となり東京神田のニコライ堂建立にも力を尽くした。

*本稿は「戦国大名 県別国盗り物語 我が故郷の武将にもチャンスがあった!?」 (PHP文庫)「本当は間違いばかりの「戦国史の常識」 (SB新書) と「藩史物語1 薩摩・長州・土佐・佐賀――薩長土肥は真の維新の立役者」より

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