ヒースロー空港での出来事

テラコッタタイルと屋根瓦を輸入している業者

2000年6月の帰国では千葉御宿にある輸入住宅業者TSU社を訪問した。同社の社長は最初スタッフを同伴してバレンシアを訪問され、最近はお一人でバレンシアを訪問されている。現地の住宅の写真を徹底的に撮りまくって勉強されている。またスペインの住宅の部屋の中もお見せした時もある。同様にインテリアで個性あるレストランなども紹介した。

写真を撮る時は注意せねばならない時もある。何かスキャンダルにからむ情報集めではないかと疑われて警察に通報される時があるからである。だから社長は常に彼の名刺を持っている。そこには彼の会社が建設した地中海にあるような家の写真が掲載されているからである。それを見せれば日本の建設業者だというのが一目で分かる。

更に、他の3都市にある輸入住宅会社をそれぞれ訪問した。それに加えて、従来の重要な顧客もそれぞれ訪問した。輸入住宅をやっていると言っても建材は日本製のものを使っているところが大半であった。だからそれを輸入物に切り換えるのはリスクもあるということで容易ではない。

2000年10月の帰国では都内で1社個性ある会社RIC社を訪問させてもらった。同社は都内京橋に家具のショールームを持ち、地下がオフィスになっていた。豪華が家具を販売している会社だった。社長とはバレンシアの家具展示会で面識をもった。筆者と同様に日本全国を営業されていた方だった。カタログやサンプルなどは車に積んで営業していた。筆者よりも年上であったが長髪を後ろで結び、靴下が左右色違いのものを履き目立つネックレスと指輪も個性があった。バレンシアの家具展示会で弊社の取引メーカーのブースで筆者は彼と面識をもった。

彼は英国の刃物の販売で成功された方だった。ヒッピー風であったが、ハートのある方で筆者も彼に好感を持っていた。それで弊社の一部家具の営業もしてもらった。彼の方が筆者よりも日本での顧客の数は遥かに多いからである。2-3社は弊社と共通のお客を持っていた。それは事前に彼に知らせておいた。

彼も国内営業では訪問先が多く、持参するカタログの各モデルには価格を記載していた。その作業は社員の方がやっていた。

弊社が彼の会社に輸出した家具が一度クレームになってメーカーに相談したが、その対応が彼が希望したほどには満たされず弊社の方でそれに少しプラスして対処したが、彼にとってはまだ満足ではなかった。それでもそれ以後も取引をさせてもらった。また、取引が長く途切れた時も都内のギフトショーでお会いした際には懐かしく談笑させてもらった。

それから4年くらい経過したであろうか、都内で中国人に殺害されたというのを新聞記事で知った。
もし彼が存命であったら、弊社の大事な顧客になっていたと思う。何しろ、お互いにフィーリングがあったし、彼の営業を筆者の方から支援するための協力は惜しまないでいたからだ。

ヒースロー空港での出来事

2001年3月の帰国でよく記憶に残っていることがある。ヒースローでひとりの旅行者と2度すれ違った。何かを探している雰囲気だった。筆者が彼に尋ねると、搭乗するフライトのゲートに行く道がわからなくなったという回答だった。

筆者はもうヒースロー空港はベテランになっていたので彼が指摘しているゲートに案内した。初めての旅行者だと分かりにくい空港だ。これからメキシコに戻るということだった。チェックインカウンターに行って尋ねると、そのフライトは中止になって次のフライトまで待たねばならないということだった。

彼もそれを理解したので、筆者は自分が搭乗するフライトのゲートの方に向かった。

Boarding1Now/iStock

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