龍馬の幕末日記㉙ 土佐から「脱藩」(当時はそういう言葉はなかったが)

八幡 和郎

※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)

私が「脱藩」したことについては、どうも、事実とは大分違う脚色がある。脱藩は命がけの行動だったとかいうのだが、そんなほどのことではない。また、そもそも「藩」という言葉は長州人くらいしか使わなかったのだから、脱藩という言葉も土佐では使われなかったのだ。

武市半平太は私が吉田東洋の暗殺に加わって欲しかったのだろうが、そんな話に加われば、家族に迷惑がかかることが明らかだった。まして、私が諸国をまわっていた前年の暮れに、姉の高松千鶴が亡くなっており、家族への配慮をしなくてはならないと思った。

ちょうどそのころ流行りだしたのが、許可をとらずに国外へ出ることだった。のちに脱藩といわれるものだが、当時はいうとしても脱走である。長州が各地からの脱走者を保護してくれたのも、この流行の理由である。

いまでいえば、中東のどこかの国にかけこめば居候もさせてくれるし、旅券も用意してくれるというようなものだ。

吉村虎太郎 Wikipediaより

土佐からはじめて脱走したのは、吉村虎太郎、沢村惣之丞、宮地宜蔵で、3月6日のことだった。吉村は高岡郡芳生野村(津野町)の庄屋の子で、のちに、天誅組の乱で戦死した。

沢村は土佐郡潮江村の地下浪人の子で、のちに海援隊に属すが、私の死んだあと長崎で誤って薩摩藩士を殺して自刃した。宮地は高岡郡能津村(日高村)の庄屋の子で、沢村と行動をともにするが、文久3年に病死した。

しかも、沢村は密かに戻ってきて同士を募った。私はずいぶんと迷ったがこの誘いに乗ることにした。土佐の権力闘争で激しくいがみ合うのに付き合うのは私の好みではなかったし、土佐では兄や姉たちから自由に活動するというわけにもいかなかったのだ。

独力で剣術道場経営者として一家を構えた半平太ほど自由な立場でなかった。

私が坂本家を出たのは3月24日である。翌日、梼原の那須俊平の家に泊めてもらって、彼ら親子の道案内で裏道を伊予に抜けた。

「脱藩」して伊予に入った私は、那須俊平とも伊予宿間村で分かれ、肱川を舟で下って長浜港に至り、冨屋金兵衛宅に泊まった。そこから舟で周防三田尻に渡った。そうしたところ、ちょうど、島津久光公が下関から大坂へ発たれたところだったので、私も大坂へ向かうことにしたのである。

脱走して長州の三田尻に着いたらしい龍馬の確実な動静は、6月23日に河鰭公述河と大坂で会うまで不明である。下関の白石正一郎宅を訪れたともいうが、正一郎の日記にはその記述はない。このあと、薩摩入国をめざして九州へ渡ったともいうが、薩摩の軍勢が大坂、京都へ向かって動き出したときに、わざわざ、反対方向へ行ったとは納得できない。しいていえば、九州の志士たちと連絡を取ろうとしたのだろうか早い時期に畿内に入って志士たちと交わっていたかもしれないし、吉田東洋暗殺の情報を聞きつけて、情勢が気がかりでしばらくどこかで様子見をしていたのかもしれない。要するになにも分からないのであって、いかなる説もまったくの当てずっぽうでしかない。

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