龍馬の幕末日記㉚ 吉田東洋暗殺と京都での天誅に岡田以蔵が関与

2021年01月30日 06:00

※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)

幕末の土佐藩士、吉田東洋(高知県立歴史民族資料館所蔵/Wikipedia)

兄の権平は政庁に私が行方不明であること、さらに刀も行方不明であることを届けた。坂本家まで処罰されないために、たんたんと予定の手続きをしたのだ。

一方、平井収二郎は京都の三条家にあった妹の加尾に、私の脱走を知らせるとともに、「龍馬の奇行は今に始まったものでないが、あいつは書物などあまり読んでないから思いつきで突飛な行動をするので関わらないように」という手紙を出したとあとで聞いた。

山内家から三条家に嫁した姫君のお世話係として送り込まれている妹の立場を考えれば当然のことだろうが、そんなこともあり、また、彼女は文久2年に豊能公に従い土佐を離れた兄と入れ替わりで両親の世話をするために土佐に帰ってしまったので、結局、加尾には二度と会うこともできずに終わってしまった。

「竜馬がゆく」では、これが家老である福岡家の田鶴さまということに置き換えられてヒロインとして大活躍するし、大河ドラマでも広末涼子さんと感激の再会をして結ばれるのだが、そんなロマンティックな出来事は起きなかったのだ。

ちょうどそのころ、土佐ではたいへんな事件が起きていた。那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助の三人が私が土佐を離れて半月ばかりのちの4月8日に参政の吉田東洋を暗殺したのである。半平太は保守派の重臣と結んでこの事件を起こし、結果として土佐の闇将軍的な実力者にのし上がったのだ。

それを受けて藩主の豊範公は、吉田東洋のもとで冷や飯をくっていたことでは共通する保守派と勤王党の微妙なバランスに立った連合政権のようなものをつくった。

gyro/iStock

私は大坂に着くと、久光公が過激派を粛正された寺田屋事件を聞かされた。詳しい事情は、情報が錯綜していてもう一つよく分からなかったが、6月に大坂で河鰭公述という公家に仕える侍になっていた沢村惣之丞と会って、。土佐での出来事も含めていろいろな事情に合点がいった。

そして、久光公たちの後を追うようにして、私は江戸へ下ることにした。もっとも、私が江戸に着いたころは、久光公は京都へ再び発たれたばかりで、その途上、部下が英国人を無礼討ちされる生麦事件があったのである。

このころ、豊範公は参勤のために江戸へ向かう予定だったが、その途中で京都に立ち寄ることが議論された。このころの参勤交代では、幕府に遠慮したこともあって伏見から山科を通って大津に向かい京都は避けていたのである。

この参勤行列は、その途中の中国路で藩主をはじめ大半が麻疹に罹患するというハプニングもあったが、ようやく8月25日に京都に入った。ここで、半平太は三条実美らと組み、尊攘派のスターとして朝廷を牛耳る実力者にのし上がり、当時は公武合体派だった岩倉具視らを追放させた。

それだけでなく、この少し前から始まっていた天誅に積極的に参加した。すでに京都にあがる前に大坂で、土佐から吉田東洋暗殺犯の探査を命じられてやってきていた下横目・井上佐一郎を殺している。同行していた岩崎弥太郎が先に帰国していて命拾いしたのはこのときだ。ただし、岩崎が大坂で吉田暗殺の下手人と疑われていた私に会ったという「竜馬伝」の話は事実でない。

京都では岡田以蔵などが先頭に立って、安政の大獄に関係したものなども含め、片端から反対派を殺し、テロの嵐が吹き荒らしたが、この行き過ぎが、のちに彼らの首を絞めた。

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評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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