※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)
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ドラマなどでの「龍馬もの」でヒロインになるのは、司馬遼太郎さんの小説家での田鶴さまなどという架空の人物を別にすれば、初恋の人である平井加尾、江戸での恋人である千葉佐那子、そして妻になる京都のお龍だ。
大河ドラマ「龍馬伝」では、それぞれ、広末涼子と貫地谷かほり、真木よう子が演じていた女性たちだ。
ちょうど、このころ、私は佐那子と加尾について、乙女あてに手紙を書いているので紹介しよう。
まずは、千葉佐那子について書いた手紙だが、私の記憶ももう一つはっきりしないのだが、この年の6月14日のことだったと思う。これは、この当時、婚約するという話もあった佐那子のことを乙女に紹介したのである。
「この女は「佐那」というが、もとは「乙女」といって姉さんと同じ名前だった。26歳である。馬によく乗って、剣も強く、長刀もできる。顔も平井の加尾より少し美人だ。一三弦の琴をよく弾き、絵も描き、気立てもよい」などと書いている。
このころ、たしかに、佐那と結婚することも考えたのだが、そののち、私が江戸を本拠にする生活にならなかったので、いつの間にか、沙汰やみになった。
この手紙で引き合いに出した加尾は、そのときは知らなかったが、あとで知ったところでは、このころ兄の平井収二郎の死で悲嘆にくれていたころだったのである。
「青蓮院宮礼旨事件」のために、兄が、間崎鉄馬や広瀬健太ともども切腹を命じられていたのである。
この事件は、前年の12月に彼らが、収二郎が食い込んでいた青蓮院宮に土佐の最長老、つまり容堂公のまた上である豊能の父、少将様(豊資公)あてに藩政改革を求める令旨を出させ、これを梃子に土佐にあった少将様に迫ったのである。
これを知った容堂公は、2月に平井の「他藩応接役」を解き本国へ送還し、哲馬についても江戸での些事を理由に土佐へ戻し投獄した。
これは、どう考えても、家臣として出過ぎたことであることは明らかであるので、武市半平太は容堂に助命を嘆願したもののかばいきれず、6月3日に三人とも切腹させられた。
私は29日に書いた「日本を洗濯したく」という言葉でよく知れた手紙の末尾で、「まことにむごい。妹のなげきははかりしれない。ひとこと私の気持ちなど話して聞かせることができたらと思う。いまだに少しは、気にとめているのだから」と書いた。
結局の所、加尾とは彼女が安政6年に土佐をあとにしたのち会うことはなかった。彼女は慶応2年に勤王党の同志である西山志澄を婿として迎え結婚した。西山はのちに板垣退助とともに自由党を興して幹部となり、代議士や警視総監を務めた。加尾は晩年に聞き語りで書かれた「涙痕録」のなかで、私と再会できなかったことを「女子一生の痛恨」といってくれていることはすでに書いた。
このころは、気分的にも余裕があったので、手紙のなかで、いろんな人のことを書いている。
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