龍馬の幕末日記㊼ 龍馬の遅刻で薩長同盟が流れかけて大変

2021年02月18日 06:00

※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)

木戸孝允 Wikipediaより

木戸孝允が大阪に着いたのは、冬季の悪天候もあって12月27日に三田尻(山口県防府市)を発ってから11日目の慶応二年の1月7日だった。

品川弥次郎らが同行した。翌日、川船で伏見へ向かったが、途中、真木和泉が自刃した山崎を通るときには、木戸は禁門の変以来で死んだ同志たちに思いをはせ、涙が止まらなかったといっていた。伏見では西郷隆盛が木戸を迎え、木戸は京都二本松の薩摩屋敷に入った。現在の同志社大学今出川キャンパスだ。

本来、私は木戸の出発に同行するはずが、長州での桜島丸問題の決着が延びたために間に合わなかった。そして、新年になっても適当な船便がなく、ようやく出発できたのは1月10日のことである。「竜馬がゆく」では木戸の出発後に長州に入ったようになっているが、そんなことはない。

このとき、新宮馬之助や池内蔵太のほか、三吉慎蔵という長府藩士が私に付いてくることになった。三吉は私より4歳年上で、維新後には北白川宮家の家令となった。その彼を私に紹介したのは、やはり長府藩士の印藤聿で、維新後は実業家として地元の発展に尽くした男だ。

ちなみに、長府藩というのは、毛利輝元の従兄弟で、秀就が生まれるまでは養子として、毛利の跡取りだった毛利秀元を初代とする支藩である。

ただし、江戸時代のなかごろに、秀就の子孫は断絶していたので、このころの長州藩主である敬親公もこの秀元の子孫だ。乃木希典も長府藩士だ。

だが、これまた悪天候でてまどり、大阪に着いたのは18日である。その夜、私は大坂に来ていた幕臣の大久保一翁先生を密かに訪ねたところ、「君が長州人を連れて上京しようとしていることはすでに幕府に通報されている。やめた方がいいぞ」といわれた。

「竜馬がゆく」では大久保先生が大坂城代で、そこに乗り込んだことになっているが、城代は大名がなるもので旗本でしかない大久保先生がそんな役目に就くはずがない。

そこで、薩摩の船印を借りて川舟で伏見へ向かい薩摩屋敷に入った。ここで三吉を連れて行くことは危険が大きすぎるので、寺田屋に預けて京都の薩摩屋敷に向かったのである。

ところが、1月20日になっていま同志社大学になっている二本松の薩摩屋敷へ行ったところ、盟約はまだ結ばれていなかった。それどころか、木戸孝允は接待はされるものの、話し合いもなく待たされているということで、いまさらながら遅参を悔いた。

西郷隆盛 Wikipediaより

木戸と品川は8日に京に着き、西郷らの出迎えを受け、小松帯刀の住まいになっていた近衛家花畑屋敷に入った。現在の同志社大学新町校舎である。桂は毎日、豪華な接待を受けた。だが、盟約へ向けての話し合いは、なかなか進まない。

「龍馬の幕末日記① 『私の履歴書』スタイルで書く」はこちら
「龍馬の幕末日記② 郷士は虐げられていなかった 」はこちら
「龍馬の幕末日記③ 坂本家は明智一族だから桔梗の紋」はこちら
「龍馬の幕末日記④ 我が故郷高知の町を紹介」はこちら
「龍馬の幕末日記⑤ 坂本家の給料は副知事並み」はこちら
「龍馬の幕末日記⑥ 細川氏と土佐一条氏の栄華」はこちら
「龍馬の幕末日記⑦ 長宗我部氏は本能寺の変の黒幕か」はこちら
「龍馬の幕末日記⑧ 長宗我部氏の滅亡までの事情」はこちら
「龍馬の幕末日記⑨ 山内一豊と千代の「功名が辻」」はこちら
「龍馬の幕末日記⑩ 郷士の生みの親は家老・野中兼山」はこちら
「龍馬の幕末日記⑪ 郷士は下級武士よりは威張っていたこちら
「龍馬の幕末日記⑫ 土佐山内家の一族と重臣たち」はこちら
「龍馬の幕末日記⑬ 少年時代の龍馬と兄弟姉妹たち」はこちら
「龍馬の幕末日記⑭ 龍馬の剣術修行は現代でいえば体育推薦枠での進学」はこちら
「龍馬の幕末日記⑮ 土佐でも自費江戸遊学がブームに」はこちら
「龍馬の幕末日記⑯ 司馬遼太郎の嘘・龍馬は徳島県に入ったことなし」はこちら
「龍馬の幕末日記⑰ 千葉道場に弟子入り」はこちら
「龍馬の幕末日記⑱ 佐久間象山と龍馬の出会い」はこちら
「龍馬の幕末日記⑲ ペリー艦隊と戦っても勝てていたは」はこちら
「龍馬の幕末日記⑳ ジョン万次郎の話を河田小龍先生に聞く」はこちら
「龍馬の幕末日記㉑ 南海トラフ地震に龍馬が遭遇」はこちら
「龍馬の幕末日記㉒ 二度目の江戸で武市半平太と同宿になる」はこちら
「龍馬の幕末日記㉓ 老中の名も知らずに水戸浪士に恥をかく」はこちら
「龍馬の幕末日記㉔ 山内容堂公とはどんな人?」はこちら
「龍馬の幕末日記㉕ 平井加尾と坂本龍馬の本当の関係は?」はこちら
「龍馬の幕末日記㉖ 土佐では郷士が切り捨て御免にされて大騒動に 」はこちら
「龍馬の幕末日記㉗ 半平太に頼まれて土佐勤王党に加入する」はこちら
「龍馬の幕末日記㉘ 久坂玄瑞から『藩』という言葉を教えられる」はこちら
「龍馬の幕末日記㉙ 土佐から「脱藩」(当時はそういう言葉はなかったが)」はこちら
「龍馬の幕末日記㉚ 吉田東洋暗殺と京都での天誅に岡田以蔵が関与」はこちら
「龍馬の幕末日記㉛ 島津斉彬でなく久光だからこそできた革命」はこちら
「龍馬の幕末日記㉜ 勝海舟先生との出会いの真相」はこちら
「龍馬の幕末日記㉝ 脱藩の罪を一週間の謹慎だけで許される」はこちら
「龍馬の幕末日記㉞ 日本一の人物・勝海舟の弟子になったと乙女に報告」はこちら
「龍馬の幕末日記㉟ 容堂公と勤王党のもちつもたれつ」はこちら
「龍馬の幕末日記㊱ 越前に行って横井小楠や由利公正に会う」はこちら
「龍馬の幕末日記㊲ 加尾と佐那とどちらを好いていたか?」はこちら
「龍馬の幕末日記㊳ 「日本を一度洗濯申したく候」の本当の意味は?」はこちら
「龍馬の幕末日記㊲ 8月18日の政変で尊皇攘夷派が後退」はこちら
「龍馬の幕末日記㊳ 勝海舟の塾頭なのに帰国を命じられて2度目の脱藩」はこちら
「龍馬の幕末日記㊴ 勝海舟と欧米各国との会談に同席して外交デビュー」はこちら
「龍馬の幕末日記㊵ 新撰組は警察でなく警察が雇ったヤクザだ」はこちら
「龍馬の幕末日記㊶ 勝海舟と西郷隆盛が始めて会ったときのこと」はこちら
「龍馬の幕末日記㊷ 龍馬の仕事は政商である(亀山社中の創立)」はこちら
「龍馬の幕末日記㊸ 龍馬を薩摩が雇ったのはもともと薩長同盟が狙い」はこちら
「龍馬の幕末日記㊹ 武器商人としての龍馬の仕事」はこちら
「龍馬の幕末日記㊺ お龍についてのほんとうの話」はこちら
「龍馬の幕末日記㊻ 木戸孝允がついに長州から京都に向う」はこちら

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑