龍馬の幕末日記㊾ 寺田屋で危機一髪をお龍に救われる

2021年02月20日 06:00

※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)

お龍こと晩年の楢崎龍 Wikipediaより

薩長同盟が成立したので、私は伏見へ下り長府藩士の三吉慎蔵と寺田屋で出会った。23日のことである。

ところが、このころになると、伏見奉行所でも寺田屋を厳しく監視しており、午前3時ごろに捜査を受けることになった。まず、表で女将のお登勢が客について聞かれたあと連行され、その騒ぎを聞きつけたお龍が勝手口から駆け上がって急を知らせてくれた。

gyro/iStock

お龍が風呂に入っていたのを裸で飛び出して危急を知らせてくれたという「竜馬がゆく」にもある伝説が生まれたのはこのときのことだが、もちろん嘘だ。お龍が読んだら「司馬さんはひどい」と怒るだろう。

慎蔵は槍で応戦したが、私は四発ピストルをぶっ放したところ、奉行所の捕吏はびっくり仰天してひるんだので、そのすきに、屋根伝いに逃げ出した。幸い裏通りには見張りが配されていなかったのである。

ずいぶんと手抜かりのことだが、今にして考えれば、私がそこにいるとまでは知らずに、念のために改めに来たのかも知れない。それほど手馴れの者もおらず、狭い室内でにらみ合いが続いたのは、そのためだ。もし、これが新撰組などだったら、このときに間違いなく殺されていた。

左右の指に手傷を負ったので、材木納屋で休むことにし、その間に三吉やお龍は薩摩屋敷に急報してくれたので、留守居役の大山成美が薩摩の船印を立てた小舟で迎えに来てくれて助けられた。

このあと、私は慎蔵やお龍と京都の薩摩屋敷に戻ってそこで保護された。ここはもう治外法権地域だ。

そこへ木戸から手紙が来て、薩摩との口頭了解を記憶に基づいて書き出したので、裏書きしてくれという。

心配性の木戸らしいことだが、私は内容を確認した上で、朱書きしたのである。「竜馬がゆく」では木戸がこの手紙を書いたのは半月ごとしているが、二三日付けが正しい。すぐのことだ。手紙の到着や返事が遅れただけだ。

この裏書き付きの文書と、寺田屋事件を知らせる手紙は翌月の22日に薩摩の村田新八が山口で木戸に届けた。

しばらくすると、小松帯刀と西郷隆盛は薩摩に報告に帰ることになったので、私にも傷の湯治に来ないかと勧めてくれた。お龍も一緒でいいという。

というわけで、のちの人々が「日本で初めての新婚旅行」などという楽しい旅が実現することになったのである。

私は駕籠に乗り、お龍は男装して行列に加わった。薩摩の重役たちの一団に幕府も新撰組も手出しなどできるはずもないので、安全で楽しい旅であった。幕府の木っ端役人にしてみたら、薩摩とトラブル起こしたら、間違いなく切腹だ。

伏見から川船で大坂に下り、蒸気船「三邦丸」に乗船した。

このとき一緒だったのは、西郷、小松、お龍、中岡慎太郎、三吉慎蔵、桂久武、吉井幸輔らだったが、このうち、慎太郎と慎蔵は下関で下船した。長崎にも立ち寄ったが、このとき、皓臺寺で近藤長次郎の墓参りをした。「竜馬がゆく」ではこのときの長崎立ち寄りが省略されて、墓参りなども鹿児島の帰途の話になっている。

その近藤がどうして腹を切らされたかは、回を改めて説明したい。

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評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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